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私の人生を変えてくれた人の話。
「俺の見える範囲から今すぐ消えろ。」
そんな叱られ方をされたことがあるだろうか?
改めて文字にして書くと「漫画か!」って思うけれど・・・私は・・・ある。
むしろここから、私の人生は前に進み始めたし、私は自分を受け入れることができるようになった。20代も後半に差し掛かった頃の出来事だ。
そのころの私には、自信があった。
根拠は・・・ないこともない。
私は、それなりに勉強ができた。
田舎の小さな中学校では学年2位だったし(1位にはどうしても慣れない程度)、
センター試験では、800点中709点。自分の中では過去最高得点で、「俺、本番に強いわぁ!」って思っていたし、いまだに点数を覚えているくらいには自信になった。もちろん上には山ほど上がいるけれど、田舎の小さな町で「できる顔」をするには十分だった。
学生時代は運動は全くできなかったし、臆病なお調子者で、決してモテたわけでもなかったけれど・・・それなりに恋愛もした。
リーダーにはならなかったけれど、パフォーマーとして地元の高校演劇部を引っ張ってきた自覚はある。井の中の蛙を気取れる程度の「人気」も、せまーいせまーい界隈では、あった。
大学時代もパフォーマーとして演劇に関わり、主役や主役に準ずる役をたくさんやらせていただいた。それぞれの場所で評価をいただき、それはもう幸せであった。好きになった後輩ともお付き合いできたし、「先輩はどっちを選ぶんですか!?」なんて漫画みたいなセリフを言われたこともあった。運動のできない、人並みフェイスを持つ男としては、十分な成功体験であったと思う。この頃は「勉強」は今いちついていけなくなっていて、すっかり落ちこぼれの感じだったけれど、他の場所で輝いているぞ!って自信はあった。
教育実習でも、持ち前の明るさとパフォーマンスを生かして生徒には大いにウケた。研究室の教授に「大学で学ぶ姿と全く印象が違う」と感想をもらった瞬間は嬉しかったし、俺は本当はできるんだぜ!って本気で信じていた。
だからだろうな。大学を卒業しても教員になることはなかった。
「他の道でもやっていける。」
「大好きな演劇で飯を食うんだ。」
そう信じていた。俺なら信じた道を実現できる。その確信がなぜかあった。1年間フリーターをしながら札幌で数本の芝居に出演し、その実際は大したことのない、それでも感じた大きな手応えを持って、上京した。
お金がないのでアルバイトでお金を稼ぐ。早朝から深夜まで働き続けた。
大きな声と、フットワークの軽さと、明るさで飲食店では重宝された。
昼は定食屋の裏方として、夜は居酒屋の顔として働き続けた。
完全に「できるアルバイト」だ。・・・ほら、オレはどこでもやっていけるぜ!!
上京2年目の春、俳優養成上に入る。
小さな俳優養成所。大手を選ばなかったのは、「お金が高かった」から。
いや、本当はわかっていたんだろうな。大きいところでは通用しないであろう自分に。きっと、予防線を貼ったんだと思う。小さな俳優養成所なら、井の中の王様ができるかもしれない。
それからの2年半は本当に楽しかった。
夢や希望に燃える仲間たちと、井の中の蛙の中心として大声で鳴きまくった。少し大きめの舞台にも出してもらったし、映画のエキストラレベルの役や、再現VTRにも出演したりした。お芝居のノルマを売り切れずに借金は増えたけれど、幸せだった。運動のできない私が、中国武術を習ったり、ダンスを習ったり、アクロバットを習ったり、もう知らない世界ばかりでいつも輝いていた。
でも、気がついた。さすがに2年半、井の中から外を見れば、わかる。
井の中からは・・・出られないことに。
外に出る勇気も、実力もなかった。
すっごく楽しかったけれど、これでは食べていけない。井戸の中にお金は落ちてこないから。自分の井戸を維持するためにお金がかかるばかりだった。それなりに賢かった自分は、自分のプライドを守るために、自分のプライドを守れるギリギリのタイミングで、演劇を・・・やめた。
「辞めたオレ、結構かっこいい。判断はえ〜な。」
そうやって思えるタイミングで。
小さな井戸の中のカエル。無いはずの鼻を必死に伸ばして、「できる自分」でいたかった。鼻が折れる前に、次の井戸へ移動したのだ。
次の井戸は声優プロダクション。
「やること決まってないなら・・・ウチで働かない?」
笑顔の女社長に声をかけてもらった。小さなプロダクションだ。
「やります!」
即決した。次の井戸が、向こうからやってきた気がした。
「にっしーくん、月最低いくらあれば生活できる?」
「風呂なしトイレ共同のボロアパートなので・・・11万くらいあれば生活はできると思います。」
「じゃあ最初の給料はそれでいきましょう。期待してるよ!頑張ってね!」
そんな詐欺みたいな面接を、何にも不思議に感じていなかった。社会人経験が圧倒的に不足していたし、井戸の中のカエルほど、扱い易いものはいない。虚構の鼻を褒めてあげれば、いくらでも働く。自分の自信をキープしたいからだ。一見、とても人の良い社長のもとで、最低限の給料で、死ぬほど働く日々が始まった。
仕事は楽しかった。
普段出会えないような人たちと出会えたし、得意のパソコンを生かすこともできた。社長は表向きはとても人がいいから、ちゃんといい気分にさせてくれたし、イベントの運営も、声優のマネージャーとしての営業も、ホームページの構築も、制作スタッフとしての仕事も、本当に楽しかった。相変わらず全くお金はなかったし、ボロアパートから出ることもできなかったけれど、なんせ自分の自信をキープできた。「できるスタッフ」として働くことが嬉しかった。
そんな生活が1年続いたある日、あの人がやってきた。
声優:黒田崇矢さん。
SEGAのヒットゲーム「龍が如く」で主演の桐生一馬を演じた人だった。プロダクションに看板声優が欲しかった社長は、その満面の笑顔と、得意の口八丁手八丁嘘八百を駆使して、この弱小プロダクションに彼を引っ張ってきた。
黒田さんとの出会いが、私の人生を変えることになる。
私は、黒田さんに会うのが怖かった。
黒田さんの見た目は、怖い。
(黒田ブログより)
そこらへんのチンピラが震え上がるくらいには、怖い。いつでも帽子にサングラスで、筋骨隆々。長身で、低音ボイスで、派手な服装。人生で初めて出会った、本気で喧嘩が強い人だった。
でも私が怖かったのはそこじゃ無い。
その・・・見透かすような「目」だ。
やばい。この人と一緒にいると、バレる。
井戸の中で作ってきた、私の本当は小さな自信が・・・砕かれる。
井の中のカエルにとって、初めて出会った本物の鷹だった。
だから、一見笑顔で喋っていても、心の中では距離を置いていたし、虚構がバレない距離感を取り続けていた。
俺はできるやつ。俺はできるやつ。評価ももらってきたし、大丈夫。この距離ならバレやしないさ。でもちょっと鳴き声を小さくしよう。鷹に見つかったら食われちまう。ケロケロ。
そして、「元気な若いやつ」ぐらいのポジションで付かず離れず遠くから鷹を見続けて数ヶ月後に、その日はやってきた。
私は、本当はだらしがない男だ。
元気と勢いで取り繕ってきたけれど、ミスが多かった。
自分の悪いところを認めないのが井戸の中で生きるコツなので、自分のミスは誤魔化して生きてきた。いつしか誤魔化すための鳴き声をマスターした。大きな声で鳴いていれば大丈夫。周りからは立派なカエルにしか見えないさ。
でも、やってしまった。
黒田さんの収録スケジュールを、本人に伝え忘れた。
時間になっても現場に声優がこない。
これは・・・絶対にやってはいけない致命的なミスだ。
誰に、どれだけ迷惑をかけるのか、想像もつかない。
でも、やってしまった。
収録スタジオから連絡が・・・来る。
顔面蒼白で黒田さんに連絡を入れる。
黒田さんが最速で現場に駆けつけ、
それ以上無い抜群のフォローで対応してくれた。
社長と菓子折を持って謝りに行った。
叱られたけれど、乗り切った。
周りの対応のお陰で、大きな信頼は損ねなかった。
ホッとした。ホッとしたんだあの時の「オレ」は。
そして・・・2週間後、同じミスを・・・した。
「俺の見える範囲から今すぐ消えろ。
2度と俺の前に現れるな。」
事務所の電話から聞こえたその声を忘れられない。
震え上がったのは人生であの時だけだ。
本当に震え上がった。
どうしたら良いのか、わからなかった。
毎日を泣いて過ごした。
北海道に帰ろうか?
もう逃げるしか無いんじゃ無いか。
今更?どうやって?お金、無いよ。
ビクビクおどおどしながら出勤した私は、もうただのカエルだった。
その頃、マネージャーとして働いていた仲間が声をかけてくれた。
彼は黒田さんとずっと仕事をしてきた男だった。
「逃げちゃダメだよ。ここが勝負だろ?」
とにかく、謝った。どうしたらいいか分からないけど、泣きながら謝った。
もう殺されても仕方がないと思ったし(本気で)、東京にいられないのなら、それはそれで仕方がない。でもこのままで終わるのは嫌だった。何もないカエルのままで人生を終えちゃいけない。
黒田さんは・・・本気で叱り、私の伸ばし続けた鼻を真っ二つに折った後・・・
私を許した。
私の慢心など全てお見通しだった。
バレないように距離をとっていたことも、全部わかっていた。
これまでどうやって自分の居場所を作ってきたのかも、見えていた。
だから、何も残らないくらい本気で叱ってくれた。
そして、自分で立ち上がるまで待ってくれた。
27歳。
私は初めて「できない自分」を見つめることができた。
できない自分も、自分なんだって気がつけた。
ここから成長すればいいじゃないか。
ここが私にとっての「ゼロ」だ。
そこから黒田さんは、全力で育ててくれた。その想いに応えたくて、私も必死でついて行った。見栄を貼るのはやめた。できないならできないままで、勝負することにした。黒田さんが怖くなくなったし、ありのままの自分を出して向き合えるようになった。黒田さんに出会っていなかったら、今の自分は、ない。
社長と掛け合って、私の給料を上げてくれた。
社長の嘘が全て明るみになって、会社がボロボロと崩れていく時も、信じられる人がそこにいたから前を向けた。
今でも時折、あの時を思い出す。
見えない鼻は、伸びていないか。
自分に目をつむっていないか。
ゼロになることを恐れていないか。
大丈夫。だから、前に進める。
黒田さん、いつかあなたの背中に追いつきます。
あなたとは違う私なりの背中になってみせます。
その時はまた・・・一緒に仕事をしましょう。