善なる神とこの世の悪について
人間の愚かさ故、バスは遅延するのである。
━━━けむぴこ
バスはなぜ遅延するのか。
私は怒っている。時刻表を10分も優に超えるバスの遅延にである。
雨の日で交通量が多いこともあろう。それは致し方あるまい。
だが晴れの日で遅延するというのはどういう了見なのだ。
あんなものを私は公共交通機関とは認めない。
素知らぬ顔で遅延をする乗り物はもはや、民衆の敵、パブリックエネミーである。
しかしバス側も言い分はあろう。
調べてみるといくつかの原因が見られた。
①交通事情
②もとよりやや遅れる前提
③乗客トラブル
①は仕方ない。誰にもどうすることはできない。それで怒る私ではない。
②これはどういうことかというと、
・ダイヤ上、正確に時刻通りに出発することはほぼ不可能。
・早めに出発してしまったときと、遅めに出発してしまったときでは、早めに出てしまったときの方が、クレームが多く、言い訳のしようもないので大変
などの理由によるものである。なるほど、たしかに予定時刻より早く出発されてしまったらたまったものではない。交通事情も相まって、ダイヤ通りに走行することはほぼ不可能であろう。
これも納得がいく。
③大きいものは運転手に絡んでくるクレーマーから、小さいものでは運賃の支払い時の遅延行為である。
これはバス側には完全に非は無い。
悪いのは愚か者どもである。
運転手に絡むクレーマーはとんだ阿呆である。その場で沸き上がった怒りを理性で抑えることをまだ知らぬ無知蒙昧の獣である。周りの乗客やバスのダイヤなど周辺状況への配慮も一切なく、ただわめきたて、不満を垂れ流すだけの赤子と同じである。なんらかの補填や今後の対応を望むのならば、真にするべきはバス会社への直接の訴えである。それをせずにただ自分の中の不満・怒りを解消するべく手近な手段を取ることは、問題解決には何の役にも立たず、己の欲望を満たすだけの自慰行為である。
運賃の支払い時の遅延行為も褒められたものではない。寝ていた、ぼーっとしていたなど、突然降車する予定のバス停に着き、焦ることもあろう。自分にもそういう経験はもちろんある。それはまあ飲み込もう。たいがいにしてほしいのはもちろんであるが。
チャージが足りなかったり、小銭が無かったりもまあ致し方あるまい。そういうときもあろう。
しかしそれ以外の、自分が支払いの直前になって、ハッと思い出したように定期や財布を漁りだす者どもはどういうことか。普段何を見て、何を感じ、何を考えて生きているんだ?普通に周りが見えていれば、少なくとも支払いには間に合うのではないか?全く理解に苦しむ。同じ生き物とは思えない。
・・・この辺にしておいてやろう。
とにかくバスの遅延において悪いのは愚か者どもである。
この世の悪とは周りの状況を憚らない愚か者である。
そして善なる神とは
ストロングゼロダブルレモン500mlロング缶である。
あれは良い。かむかむレモンの味がする。
かむかむレモンの味がする、9%のお酒。
おいしくないわけないだろう。
200円/1回の救済である。
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私はさながら神父である。
Father STRONG ZERO Double Lemonである。
救済を受け入れよ。
己の罪を体の内から浄化せよ。
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