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西向く赤に | ハナミズキ

「東京の街路樹ランキング、1位は“ハナミズキ ”です!」
「ん〜。ハナミズキって…どんな花でしたっけ?」

この生活にならなければ見ることのなかったテレビ番組での掛け合いを半分パジャマで、ぼ〜っと眺める。
さて、「勤務開始」のメールを今日も上司に入れなければ。

テレビの中の他人事と思っていた「在宅勤務」は、あっという間に自分事となった。いまだにまだちょっと、慣れない。

「なるべく出社をしないでください、人に会わないようにしてください」
人と会わないようにすることが、自分の身も周りの人の身も守る、というもどかしい状況の中で、ほっとするべきことでもあったのだが。


最初は、
いつもより朝ゆっくり起きられるじゃないか、
お昼をちょこっと買いに行くくらいなら職場付近より家の近くの方が美味しいものが揃っているじゃないか、
少しくらい寝っ転がって休憩してもバレないじゃないか、
好きなお菓子をつまんで自分をちょっと甘やかしながら仕事したっていいじゃないか、
などと、そのメリットを色々と見つけては、嬉々としていた。

東に窓がないワンルームで朝日を浴びられないので、通勤時間に歩くぶんを補うことも兼ねて、在宅勤務開始前の散歩なんかもしてみた。
ご近所さんの庭に咲く花に季節の移ろいを感じたり、迷路のように入り組んだ散歩道の先に知らない景色を発見したり、非日常的な朝の、新しい出会いに小さな興奮を覚えた。けど。



“今しかできないことを、今だからできることを”


確か3週間ほど前の自分が、じっくりと眺めることのできない桜を思い描きながら、そう書いていた。
その通りだと思うし、その気はある。
日本語の意味は、頭では理解できる。


しかし
あまりに急に変わってゆく世界のスピードに圧倒され
自らの意思を1ミリも介さずに変えられてしまった暮らしによって
どうも、気持ちがゆらりゆらりと揺れ動く。
大波、小波、凪、小波。

自分は、自分のことをもう少し屈強な精神の持ち主かと、ぼんやり期待していたけれども、意外とそうではなかった、らしい。


“今しかできないことを、今だからできることを”


自分に反射してきた光が眩しくて、


“今までに起こったことのない事態が起きているんだから
まずは自分を労わりましょうね”


タイムラインを流れてゆく誰かの言葉の陰に、すっと隠れた。


隠れたところから少しだけ顔を出して、光を見つめて、気づいた。

私がまずすべき“今だからできること”は、ピンチをチャンスに変えられるようなたいそうなことではなくて、案外、灯台下暗しで、自分との付き合い方を知ることだったのかもしれない。


頭をからっぽにすること。

怠けた自分を許してやること。

友達と画面越しにおしゃべりしてみること。
(口角がこんなに思いっきり上がったのはひさしぶりだった)


いつも、無意識のうちにあれもしたい、これもしなきゃ、と詰め込みすぎな私へのちょっと早めで強引な気持ちの面の大型連休=ゴールデンウィーク、ってことにしとこうかな。
うーん、ゴールデンは褒めすぎか…。


トラクターが忙しなく水面を切りさく広い田んぼを、雪解けが進み少しずつ白から緑に姿を変えていく山々を、春の陽ざしがやわらかく照り返す凪いだ海を、ぼ〜っと眺めてのんびりしていた、いつもの、本物のゴールデンウィーク。
今年はやってこない。家族とも、しばらく会えない。
その隙を狙って、波はまた訪れるかもしれない。
でも今度はその波に身体と心をこちらから預けて、ゆらりゆらり、とうまく乗りこなしてみるのも、悪くない。



西にしか窓がないワンルーム、しばらくここが私の生活基地。
窓を開けても、建物、道路、電信柱。
どこにでもありふれた無機質な景色だけれど
道の脇の街路樹は、ハナミズキだった。


空を見上げる赤い花の彩りが、見上げた先の夕焼け空の美しさが、ぽっと心に火を灯した。

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