INFPなりの「生きづらさ」から抜け出す思考術
こんばんは。めちゃnoteサボってたkeiです。
いつの間にか4月になって周りの環境が変わり始める時期となりました。変化に対する苦手意識はそこまでなのですが、環境が変わることによる人間関係の変化だけは死ぬほど苦手です。なのでこの季節は謎に精神が削られます(汗)
今日はこの社会にいる人で多く感じている、
「生きづらさ」から抜け出す思考術についてお話ししていきます。これは哲学的なことなので正解はないと思っています。
僕は今まで自分の「生きづらさ」に悩まされていました。理想主義や打たれ弱い部分がこの社会にアンマッチしていて、学生の頃は暇さえあれば病んでいました(笑)
でも読書で心理学や哲学に触れることで、
なんとか自分の「生きづらさ」を理解してあげることができました。おかげで過去の病んでいた経験も今では話のネタにできるくらいになりましたね。
この記事では本から得た思想をダラダラとテキトーに
話しているだけなので気軽に最後までご覧くださいね☺︎
この記事が少しでもあなたの心の余裕を生み出してくれれば嬉しいです。
「やりたいこと」じゃなくて「やりたくないこと」を探す
僕は学生の頃、将来の夢を書かされるのがとても嫌いでした。というのも自分の好きなこと嫌いなことがまだ分からなかったんですよね。
周りの友達は野球が好きだったり、絵を描くのが好きだったりと、好きなことがはっきりしていてすごく羨ましかったのを覚えています。
でも自分だけは好きなことをハッキリ言葉にできませんでした。
「将来どうなりたいの?どんな大人になりたいの?」
だからこんな質問をされるのがとても苦手に感じていました。
それから自分のやりたいことが分からない自分がコンプレックスになり、「将来の夢」というものに苦手意識が生まれちゃったんですよね。
そして大人になった今。
やっと自分の好きなこと、やりたいことが見つかりました。正直遅くない?と思われるかもしれません。
でも僕は今「やりたいこと」が見つかったことに対して、これもこれで意味があったではと思っています。
10代の頃に「やりたいこと」で悩んだからこそ、
20代になった今本当に「やりたいこと」に気づけました。
前置きがバカみたいに長くなってしまいましたが、
やっとここで見出しについて触れますね(笑)
そこで僕は「やりたくないこと」だけを探すようにしました。
「やりたくないこと」を探していく中で、
いろいろな点が交わり「やりたいこと」が浮き出てくるのです。
いざ言葉にして説明すると難しく感じちゃうけど、
僕はこれで本当の自分の姿に気づけました。
これらは僕が「やりたくないこと」を必死に探して、
見つけた自分でも知らなかった僕の姿です。
自分でも「やりたくないこと」ならこんなに言語化できるのかと驚いています。
この本当の自分の姿から考えて僕はひとつの「やりたいこと」を見つけました。
それは「静かな環境で気のままに創作活動をすること」です。
僕はその「やりたいこと」を今になってやっと見つけれて、それに向かって行動できています。
仕事に繋げることはまだ難しいかもしれないけど、
自分のやりたいことのために行動できている自分をみて、生きづらさが減ったなぁって思っています。
フィットするかどうかで判断する
良い大学に入学すること。
年収の高い会社に就職すること。
結婚して子供をもつこと。
この幸せと成功のテンプレは僕たち全員にフィットするのでしょうか?これだけが正しい成功と幸せのテンプレだとは思わないでほしいです。それが「生きづらさ」を生み出してしまうのですから。
っていってもどれも当てはまらない僕が言っても、
信憑性なさすぎて叩かれそうですけど(笑)
これらを経験してない僕が生意気に話させてもらうと、自分にフィットする幸せと成功って人それぞれじゃんって。
僕は世間から見たら成功もしていないし貧乏な独身だし、家族、友人もいない見知らぬ関東の土地でひとりで生きていて、なにより社会不適合者クソフリーターとして生活しています。
(なんか一瞬悲しくなったけど気のせい!)
でもなぜか幸せなんですよね。
毎日アルバイトに行って、お金にならないライターの仕事をして、暇な時に思想を乱雑に書き上げてそれをnoteに投稿する。そして元気がなくなったらひとりで散歩しに行く。
自分でもわかんないけど、こんな生活がなぜか幸せなのです。
これが僕にフィットした幸せだったのです。
他の人から見たら悲しい生活かもしれないけどね。
でも僕にフィットした成功と幸せはこれからも変わっていくと思います。でも今の自分にフィットしている生活と幸せをみつけたから、僕は一旦これでいいのかなっておもってます。
自分にフィットするかどうかで判断することは、
いろんなことでとても大事だなって思います。
その判断が世間からしたら不正解でも、
自分にとっては正解ならそれでいいのです。
だって自分の人生をコントロールしてるのは自分ですし。
無闇に他者を傷つけない判断で、自分にフィットするならその判断は正解。
僕はこうやって考えるようにしています。
あなたも自分にとって何がフィットするかを探してみてください。絶対そのうち「生きやすい人生」が見つかるはずですから。
自分を物語の主人公だと思い込む
ちょっとありきたりだけど僕たちは「物語の主人公」なのです!
突然ですが、あなたにとってつまらない物語ってなんですか?
・主人公が成功しかしていない
・最初から最後までハッピーなお話
・主人公が追い詰められられない
そんな物語ってくっそつまんないと思いません?
映画や小説には必ずと言って良いほど主人公の困難がありますよね。みなさんも好きな作品の主人公を思い出してみてください。
もしその主人公に「困難」というものがなかったらどうでしょう?
なんか売れなさそうな平和ボケしたつまらない物語になりそうですよね。
僕たちの人生も同じもので「困難」がなければつまらないんです。ずっと成功しててもつまらないし、最初からずっと幸せでもつまらない。
ただの成功や幸せは感動できないけど、
困難があってからの成功と幸せは光って見えますよね。あたりまえっちゃあたりまえですよね。
「だから僕は困難な道をあえて選びます!」
…なんてことはなく、僕は小心者なのでそんな度胸はありません。だからできれば無難な道で成功と幸せを掴みたいのです(え?)
でも自ら困難な道を選ばずとも僕らの人生は面白いもので、勝手にズカズカと僕たちの人生に入ってきます。呼んでもないのに何度も何度も何度も。
良い加減にしてほしいですよねぇ。
そんな時こそ悲観してはもったいないと自分で思うようにしています。
そこでやっと「物語の主人公思考」の出番ですね。
さっき言ったように困難のない物語はつまらないのです。
困難と失敗のない人生は駄作です。
そして困難と失敗が僕らに与えられた人生を面白くする、最強のツールなんだと僕は思います。
駄作な人生を避けるために僕らに与えられたのは「困難」なのです。知らんけど。
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