自分が生きた時代が若い方々にとっては歴史となっている件
弊社開催の「経営コンサルタント養成講座」で年2回講師をさせて頂いていて、昨日は今年度1回目でした。この講義では前半に「経済分析」として、受講者の皆さんが日本経済新聞から気になった記事を取り上げ、分析したものに対して講師がコメントを行うというものがあります。
このコメントをしている中で、自分が生きた時代が若い方々にとって歴史になっているのだと、嫌が上にも実感させられるます(おじさんになっている、ということです笑)。
例えば、昨年の講義ですが、中国関連記事に対するコメントの中で、
「中国は1989年の天安門事件で民主化運動を弾圧した後、一時改革が停滞したものの、鄧小平主導で改革・開放路線を推進して・・・」
とお話ししたところ、20代の方々が軒並み天安門事件を知らずに驚きました。まあ、20代は1993年以降の生まれなので、そんなものかなとその時は思いました。
また、昨日は新資本主義関連記事の中で、新資本主義が「新自由主義」の反省からきている、という話しがあったので、コメントの中で、
「新自由主義とは、政治的には米国ではレーガン政権による規制緩和、減税政策が、英国ではサッチャー政権による国有企業の民営化や金融自由化などの政策が実施されたのです。これは日本でも無縁ではなく、1980年代の中曽根政権による国鉄(現JR)、電電公社(現NTT)民営化、また00年代には小泉政権による郵政民営化などが行われました」
というお話しをしたのですが、20代の方々にはレーガン、サッチャー、中曽根の各政権は馴染みがないでしょうから、その辺は少し気を遣いながらお話しをしました。
若い方々にとっては生まれる前の時代に馴染みがないというのは致し方ありません。ただ、世界史の大きな潮流を知っていることは、世界の人達とコミュニケーションをする基礎的素養です。日本史・世界史問わず近現代史が学校教育上手薄になると言われますが、近現代史ほど今を生きる人達に深く根差した話しが多いのです。社会人になってからでもよいので、自分が生まれる前の近現代史も学んでほしいものです。