昔のストライキと今のストライキ
中学生のころの話しです。少し家から遠くの私学の中学校だったので、バスで通っていました。広島のバス会社は労働組合が強かったこともあり、春闘のころになると、労使が賃上げでまとまらないとストライキに突入することもありました。
実はバスが止まると休学になったため、中学生だった私は、「ストになって休学にならないかなあ」と期待しながらストライキ情報をテレビにはりついていたものです。
今思えば、時は1980年代の後半で、時代はバブルでした。世界の中でも物価が高いといわれ、まだ成長神話が残っていた日本では、高収益が労働者に分配されないなら、ストライキも辞さない、という空気が残っていたように思います。
その後、バブルが崩壊し、まずは会社が存続することが第一の共通目標となった労使の間には、ストライキを決行してまで労働者の要求を実現するようなことは少なくなりました。ストを決行してお客さまに迷惑をかけることは、会社の存続にとってもプラスにはならなかったからです。
そうした時代が長く続いていたこともあり、昨日の西武池袋店でのストライキ決行は注目を集めるものでした。
今回は、百貨店から家電量販店という業態転換に近い選択を迫られていること、労使のコミュニケーションが円滑に進んでいなかったなどの特殊要因はあります。但し、少し注意しないといけないのは、インフレの時代に入り、待遇が悪くなる、雇用が無くなるに対する働く人の恐怖感がこれまで以上に高くなっているのでは、ということです。
実際、欧米ではこれまで労働組合とは縁遠かったIT企業でも労働組合が結成され、要望を主張する動きが活発になっています。こうした動きは、激しいインフレ、物価高による生活苦の恐怖も原因の一つになっているでしょう。
かつては、経済的繁栄に対して「分け前を与えろ」としてストが決行されてきたのですが、経済的衰退の中では分け前も少なくなり、ストはめっきり少なくなりました。それでも日本はデフレだったので生存の危機までは感じにくかったのです。
しかし、経済的衰退が止まらない中でインフレの時代となると、今度は生存のためにストライキを決行する、ということが増える可能性があります。それはお客さまに迷惑をかけるだけではなく、社会的信用も失う危険があります。
安定した経営を進めるためにも、こうした働き手の心理の変化にも考慮したコミュニケーションが求められるようになるかもしれません。