言葉の言い換えにより、分かりやすく、楽しくすることの大切さ
今日の日経新聞朝刊12面の「奈良弁の「万葉集」10万部古き「恋バナ」今風ワードで」はとっても面白い記事でした。この記事は、「愛するよりも 愛されたい 令和言葉・奈良弁で訳した万葉集(1)」(佐々木良著)という10万部のベストセラーとなった本を紹介しています。
「「くんのかい?こんのかい!こんの?くんの?いや こんのかい!」。これだけ読むと、吉本新喜劇かコントのように見える。実はこれ、万葉集だ。「来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは待たじ 来じと言ふものを」(巻四 五二七番歌)。男性がプロポーズをしてくれそうで、してくれないことにやきもきする女性の心情を歌う。」
この冒頭を読んだだけでも、万葉集をこんなに分かりやすく、しかも楽しく表現されている本なのかと興味がそそられました。そのあとにも楽しい訳が続きます。
「「女優とか モデルとか 女子アナとか いろんな女の子と遊んでるけど ほんまに愛してんのは君だけやで姫」というのは「ももしきの 大宮人は 多かれど 心に乗りて 思ほゆる妹」(巻四 六九一番歌)の意訳だ。
「いつでも心に愛は あんにゃけど 今日は特に 気合い入ってんで! 仕事がおわったら 秒で合コンに行く #彼氏ほしい #恋したい 」は「いつはしも 恋ひぬ時とは あらねども 夕かたまけて 恋はすべなし」(巻十一 二三七三番歌)」
本書は、著者の佐々木さんが立ち上げた万葉社さんから出版され、口コミにより10万部というベストセラーになったと紹介されています。
本記事での本書の紹介から次の2つのことを感じました。
まず1点目は、万葉集という、非常にとっつきにくい素材でも、単なる学びにとどまらない「面白さ」が入ることで、こんなに読まれる方の幅が広がるのかということです。本書が万葉集の学びが中心の本であり、その意識で訳も作成されていたら、10万部はいかなかったでしょう。
2点目は、言葉って本当にいくらでも言い換えできるのだと感じたことです。
恐らく「来ぬと言うも 来ぬ時あるを」というのは、現代語訳でも堅く言えば「来るという時もあれば、来ないという時もある」くらいなのだと思います。
それを奈良弁の「くんのかい?こんのかい?」というのは、訳として間違っておらず、その上で読者に親しみ、楽しさを感じさせる訳になっているのです。
文章を書く時、言葉を発する時、人はしばしば自分が使い慣れている言葉を使いがちです。しかし、自分が使い慣れている言葉が、受け手に分かりやすく、楽しみを感じるものとは限りません。
本は、受け手に分かりやすく伝わり、かつ、共感や楽しさを感じてもらうことも必要だと思います。そのためには、分かりやすさや楽しさを意識して言葉を言い換えていくという作業が大事であることを、本記事から改めて感じました。