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福井県は東京とつながる前に、日本の激動期とつながっていたのです

今日から北陸新幹線が延伸し、東京と福井県が直結しました。これまで福井県といえば大阪とのアクセスがよい一方で、東京とのアクセスは不便のイメージがあったので、福井の方々としては大きな変化だったのではないでしょうか。そういえば、17年前の2007年の朝の連続ドラマ「ちりとてちん」は福井が舞台でした。このドラマのなかでは、貫地谷しほりさん演じたヒロインが夢や展望を描くために故郷をでて向かった先が大阪でした。その後、ヒロインは落語家を夢みて頑張るのですが、北陸新幹線が延伸した今であれば、大阪に行くか、東京の浅草に行くか迷っていたかもしれません。
 
実は福井県はまだお伺いしたことがない県の一つです。新潟、石川、富山は何度かお伺いしたものの、福井県は大阪からの移動で通過したことはあるものの、まだその地に降り立ったことがない県なのです。この延伸を機に一度お伺いできればと思っています。
 
私にとって福井県といえば、歴史のなかで印象深い人物が二人います。一人は戦国時代の朝倉義景。もう一人は幕末から明治にかけての松平春嶽です。歴史が好きな方であればご存知かもしれませんが、前者は暗君で、後者は名君と言われた人物です。これほど明暗分かれる人物もいません。
 
朝倉義景は、そのご先祖様は下剋上のはしりのような人物だったにも関わらず、5代100年も繁栄が続いたためなのか、全く覇気がない戦国大名でした。酒色におぼれ、将軍候補であった足利義昭の支援要請に応えなかったために織田信長に越され、最終的には信長に滅ぼされます。
信長との戦いのなかでも、大事な戦いに自ら出向かない、出向いても大事なところで撤退するなど、滅亡しない方が不思議な戦国武将でした。
朝倉氏が居住していた福井市郊外の一乗谷は、現在「一乗谷朝倉氏遺跡」として、かつての繁栄のあとを見ることがあります。一度お伺いしたいものです。
 
松平春嶽は、朝倉義景とは打って変わって幕末の「四賢侯」(4人の名君で、その他は島津斉彬(薩摩)、伊達宗城(宇和島)、山内容堂(土佐))の一人とされたほどの人でした。
この人、もともと福井の出身ではありませんでした。徳川将軍家の親戚となる御三卿の田安家という家の出身です。そこから養子として福井藩の藩主となったのです。なお、春嶽に限らず、江戸時代は養子が名君となるケースが多いのです。
この春嶽、福井藩主を継いだのち、藩政改革を断行して財政を改善したりしています。またその後は江戸幕府の首脳としても活躍しましたが、最終的には江戸幕府は滅亡してしまいました。
しかし、松平春嶽が藩政改革のなかで引き上げた人物のなかには、明治時代に入ってから活躍する人物もいました。何より、春嶽は坂本龍馬を支援していたのですから、江戸幕府の枠のなかには収まらない人物だったのでしょう。
 
戦国時代や幕末など、日本の激動期と福井県は非常につながりが深かったのです。そんな歴史がある福井県が、今日東京とつながりました。ここからまた新しい歴史が生まれるでしょう。

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