信長の手紙から感じるリーダー像
細川家の文化財を所蔵する永青文庫にて開催中の「信長の手紙」に昨日行ってきました。
織田信長から、当時の細川家の当主、細川藤孝(幽斎)宛に送られた手紙が主に展示されていました。
感想として、「信長は部下に頻繁に指示を出す人だったのだな~」ということでした。決して細かく指示をだす、ということではないのですが、家臣が取り組むべきことの指示を常に出し続けていました。有名な印「天下布武」も、情報共有などの時は黒、命令の時には赤で押されていたのは思わず笑ってしまいました。
ただ、領土が広がり、戦線が拡大するにつれ、信長も正確な情報や実態を踏まえていないことや、無理な指示を出していたこともあったように感じます。本能寺の変の直前の手紙などは、私が読んでも首をかしげる内容もありました。
ただ、信長が全て考え抜き、部下を動かしていたことは間違いないのでしょう。
信長を殺したあとの明智光秀の手紙を読むと、憎き信長ではあったものの、信長亡きあとに目指すべきビジョンがなかったことを感じてしまいます。