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名補佐役としての生きがい、働きがい

先週から今週にかけて、堺屋太一氏の「ある補佐役の生涯 豊臣秀長」を読んでみました。だいぶ昔に一度読んでみたのですが、その人物的魅力が忘れられず、再読してみました。
 
古代から現代に至るまで、権力者の兄弟というのは、なかなかうまく行かないことが少なくありません。
戦国時代においても、兄弟同士が相争い、どちらかを滅ぼすことさえもありました。織田信長、伊達政宗、最上義光等、名将達も弟と争っています。
 
そうした中で、豊臣秀吉、秀長兄弟は、兄が天下人となる過程を、優れた弟が支え続けた稀有な事例として歴史に刻まれています。堺屋氏著作の題名にあるように、弟は名補佐役として評価されています。
 
秀吉は、織田信長の家臣であった頃から、無理してでも大きな目標を立て、それを成し遂げる為に余人にはできない努力を尽くしていきます。
しかし、その過程では、無理な負担を強いられる家臣や、秀吉に嫉妬する同僚等、多くの軋轢を生みます。
 
そうした内部、周囲との調整を、この弟秀長が一手に引き受けていきます。そのことにより、秀吉は、通常であれば成し遂げ難いような目標を実現していったのだと思います。
恐らく、秀長がいなければ、秀吉は大きな目標を実現する前に、様々なプレッシャーの中で押しつぶされていたのではないでしょうか。天下人、豊臣秀吉は生まれなかったのです。
 
実際、秀長が秀吉に先立って亡くなった後、秀吉は暴走をはじめて混乱を招来し、秀吉死後には豊臣家が滅亡します。
 
この秀長の生涯を振り返る時、支える人が成功することに生きがい、働きがいを見つける姿もあるのだなと感じます。この作品の最後のあたりで語られた秀長の言葉がそれを象徴していました。
「兄者と俺は一つじゃ。兄者が勝って俺が負けることはないのよ」

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