Mountain: 海外留学の現実
「先生、毎日独りぼっちで辛いです。」
受話器の向こうで、彼女は声を震わせていた。今にも溢れだしそうな涙でいっぱいの目をした彼女の顔が浮かんだ。真夜中になった軽快な呼び出し音と、スクリーンの光の強さで一気に目が覚めたというのは全くの嘘、実際は、スマホの画面に彼女の名前が目に入った時点で私の眠気はすでに吹き飛んでいた。
時差など考えもしないでイギリスから電話をしてきた彼女は、その半年前まで、私が教える留学準備コースの生徒だった。厳しさに耐え兼ね脱落者さえ出るほどの授業にも、彼女は弱音を吐くことなく最後まで乗り切った生徒だった。彼女は超難関といわれるテストや面接を破竹の勢いで突破し、見事奨学金を勝ち取った。その後、目標にしていたイギリスの大学院に合格し、晴れて大学院生になった。
「電話する暇があるなら、明日の予習をしろ」と言われることはもちろん彼女も承知の上。それでも限界寸前の彼女には、どんな形でもよいから彼女のリングサイドに立ってくれる人を探していたのだろう。本当は今すぐにでも飛んで行ってあげたかった。「次の春休み、ロンドンに行くつもりだけど、泣き言を言う子には会う時間はないからね」と意地悪な言い方をした。私なりの愛情表現だった。
留学準備講座で学んでいた時の彼女は、とても純粋で明るく元気な大学生だった。その姿は、タンポポが咲き乱れる土手を元気に走り回る子犬を彷彿させた。その上誰よりも努力家で負けず嫌い、猪突猛進過ぎる行動力は、周りの人々に勇気を与えた。しかし、正規留学生として迎えた新境地での学生生活は、そんなタフな彼女にすら、かなりの試練を与えていた。
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外国に何年か住めば、英語がペラペラになると思っている人も多く、一応先進国として成り立っている日本から留学することは、そこまでハードルが高いことではない。ただ、海外ドラマのような生活が用意されているわけではない。言葉が違えは、文化的習慣的なルールやマナーが異なり、目に見えない壁が存在し、簡単に受け入れてもらえない時もある。
そんな「猫も杓子も留学」時代、一言で「留学」と言っても、様々な方法がある。
一声に「留学経験がある」と言っても、どこでなにを学んでいたのかによっては、語学レベルが全く異なる。例えば、「アメリカに留学した」と言っても、他の国から来た留学生やスペイン語ネイティブの友達しかできない留学生は多い。アメリカにいるのに、なぜアメリカ人の友達ができないのか。それは、留学前に英語が話せなかったから。留学してから英語を勉強しようとする学生は、現地の語学学校で外国人留学生と一緒に勉強をする。そもそもアメリカ人に会う機会が少ないのである。
しかし地元の学生と同じ場所で学びたいのであれは、①や②の方法で現地学生が通う学校に入らなければならない。どんな入り口であれ、まずは大学が求める英語技能テストで十分なスコアを取得しなければ、同じ教室に入ることはできない。
さらに語学取得目的の留学とは違い、特に卒業目的の留学(①)は楽しい海外生活とは無縁である。学校では現地の学生たちと同じ扱いであるため、言葉が通じないというのは言い訳にしか過ぎない。その上、肌の色や文化的習慣の違いから、慣れるまでは孤立しがちである。その地域の訛りを操ることができなければ、よそ者扱いに苦しみ、現地学生と互角の成績を収めなければ、意見一つ聞き入れてもらえないこともある。
さらに大学のレベルが高ければ高いほど、学生たちの学習意欲は高くなる。卒業単位を稼ぐためだけに授業に参加している学生はほとんどいない。クラスの全員が、A判定をもらうために授業に出席し、必死で勉強に取り組んでいる。そんな環境だからこそ、現地の学生たちと堂々とディスカッションができる高い語学力と優秀な成績の二つが揃い、やっと輪の中に入ることができる。そこで初めて、母国で学べないことを学ぶチャンスが生まれる。それが本来の海外留学である。
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ところが目の前にぶら下げられた人参(?)の効果があったのか、その後、彼女は私を夜中に起こすことはなくなった。偶に連絡をして来たが、弱音は吐かなかった。授業でのディスカッションのトピックや、クラスメイト達の様子など、話題はいつも満載だった。たまに何か言いたそうな気配はあったが、それ以上は何も言わず、必ず最後には、「でも頑張ります」とまっすぐな姿勢で、本来の彼女に戻った。さらに、口の中に飴玉でも入っているかのようなアクセントに代わっていく彼女の英語は、彼女がその土地の環境に属していることを表していた。
一年後、約束通り彼女に会いに行った。ロンドン市内のホテルで、ソファに横になりテレビを見ながら彼女を待った。映像とともに流れてくるBBCのニュースキャスターのアナウンスは、フランス語を聞いているかのように思われた。
ふと、大学に進学したばかりの頃の哀れな自分の姿を思い出した。高校を卒業後、大学進学を理由に親元を離れることが夢だったことが嘘のように、毎日が不安だった。新しい土地で新参者として、社会の厳しさ、生活の辛さを知った。最初の二年間は勉強の忙しさもあり、友達もできず、独りぼっちで寂しい時を過ごした。泣きべそどころか、わんわん泣いていた時もあった。
実際、何年もアメリカに住んでいても全く英語が話せない人を何人も見てきた。その中にもちろん留学生もいた。 彼らはいつも日本人同士で行動し、買い物やレストランも日系の場所にいた。先進国であれば、都会のほとんどに大きな日系コミュニティが存在するため、英語は話せなくても生活には困らないのである。諸事情により移住を余儀なくされた人にとっては、とてもありがたい環境だが、母国で学べないことを学ぶために来た留学生の立場から考えたら、さほど重要なことではないはずだ。
それに比べ、彼女はこの一年、勇敢に戦い続けた。この一年間の彼女の成長ぶりを思い返していると、部屋のベルが鳴った。ドアを開けると、そこには春のタンポポ畑を駆け巡る無邪気な子犬が、ブンブンしっぽを振りながら飛びついてきた。
「先生、サヴォイのローストビーフが食べたいです!」
彼女にとって、それまでの一年間は、背水の陣で臨む学生生活であっただろう。しかしそのご褒美は間違いなく彼女を成長させた。厳しい環境に耐え、その後も持ち前のガッツで学業に専念し、優秀な成績で大学院を卒業した。帰国後も彼女の飛ぶ鳥を落とす勢いは止まらず、数々の試験や面接をえて外務省に入り、夢だった外交官になった。彼女は、スペインに赴任になると連絡してきたとき、味を占めたのか、「頑張るので会いに来てください」と言った。
ローストビーフはかなり高くついたが、自分を超えていく生徒の姿を見ることほど、この仕事をしていて良かったと思うことはない。
さて、次は一緒に何を食べようか。