Spectrum Tokyo Festival2024「これからの治療をデザインする」
デザイナーで精神科医師の小林です。2024年12月7日、Spectrum Tokyo Festival 2024で公募スピーカーとして登壇しました。
知的好奇心の強烈な刺激とお祭りの楽しさが同居する素晴らしいイベントで、多くの人と交流する機会に恵まれました。
自分のプレゼンテーション「これからの治療をデザインする」も好評をいただき、デザインにまつわる多くの方々に医療プロダクトのデザインについてお伝えすることができました。
公式でスライドを公開していただきましたが、こちらのnoteで全文書き起こします。
ちなみに2024年12月で現職を退職し、これがCureAppのデザイナーとして最後の仕事となりました。現在さらにデザインの道を深めるための準備中(求職中)です。Wantedly
1. 治療とは?
今回は治療のデザインについてお話します。最初に「治療」とはなんでしょうか?日常的に使っているようで、意外と使わない単語です。まずはこの言葉そのものと向き合ってみましょう。
たとえばこれは、よくある母親と娘の会話シーンですが、左の女性が「なんかうち風邪ひいてしもてん」と言ったとき「ほなお母さんが治療したろか」とはあまり言いません。日常生活の中であまり使う単語ではないのです。
「治療」は医療の言葉であり、基本的には医療機関を受診して病気を治してもらう行為のことを指しています。
では、治療=医療なのでしょうか?
治療は医療の中のひとつのプロセスです。医師の診察は基本的に診察、検査、診断、治療というプロセスから成っており、そのエンドポイントが治療となっています。治療の質は患者さんのニーズと最も密接に関連した部分であり、喜びや悲しみ、人生の質にも大きく影響します。
その前の診察や診断がどれだけうまくいったとしても、治療ができていなければ患者さんにとっては何の意味もありません。それだけ治療には重い価値があり、治療こそが患者さんにとっての唯一の目的ということができます。
私たちCureAppは、こうした治療と正面から向き合っている会社です。「ソフトウェアで「治療」を再創造する」というミッションを掲げ、新しいテクノロジーを活用することでこれまでにない課題解決の手段を医療現場に提供し続けています。
2. 現在の治療における課題
では、現在の治療における課題とはなんでしょうか?
世の中にはまだまだ解決できない病気が無数にあります。こちらは厚生労働省の難病指定リストですが、300以上の病気が治療困難な病気として指定されており、これら以外にもがんや認知症といった多くの人が罹患する病気もまだまだ十分に解決できていません。世の医療機関や研究機関は常に探求を続けており、今も多くの成果が発表されています。
その一方で、私たちの生活そのものも、病気と大きく関わっています
生活とは、行動の選択の積み重ねです。朝目覚ましが鳴った時に起きるか寝るか、今きたメールにすぐに返信をするか、今日の晩ごはんに何を食べるかなど、私たちは常に一瞬先の行動を選択しながら生きていると言うことができます。
なので、より健康な行動を選択し続けることができれば健康になり、不健康な選択肢をとり続けると病気になりやすいと考えられます。生活習慣病というのはまさにこうした概念で、たとえば塩分の高い食事をとり続けると血圧が上がり、アルコールを毎日多量に飲み続けるとアルコール依存症や肝臓の病気につながります。
反対に毎日の塩分摂取を控えると血圧は下がり、お酒の量を減らすことができれば肝機能の改善にもつながるのです。これは立派な治療行為であり、医療費もかからず副作用もないため、医師向けのガイドラインにも生活習慣の改善がひとつの治療行為として推奨されています。
ただ、これが簡単なようで手が届きづらい医療の課題です。健康な生活が大事ということはわかっていても、そう簡単に変えられない人はとても多く、また医師に一言「お酒飲み過ぎですよ」と言われただけでやめられるものではありません。大抵の場合、診察は数分間の非日常的なイベントであり、生活習慣の改善は日常生活の中で患者が自力で行わなければいけないものだからです。
すべての患者の毎日の生活に医療者が介入することは難しく、逆に患者側もそんな手厚いサポートを求めていません。生活を改善したい患者がいて導きたい医療者がいるのになかなか手が届かない、そんなもどかしい状況が常に存在しています。
そこで登場するのがDigital Therapeutics, DTxと呼ばれるサービスです。スマートフォンアプリをメインとしたソフトウェアが日常生活に介入することにより、医療の手が届きにくかった生活へのサポートを実現できます。患者の行動をより良い方向に促すだけでなく、医療者との情報共有などでコミュニケーションもサポートし、医療の質自体を高める働きも担っています。
こうした取り組みはCureAppだけのものではなく、国内、海外で多くの企業が開発し医療現場に提供しています。スタートアップも大手企業も関心が高く、さまざまなテクノロジーと組み合わせることによりさらに発展が期待できる分野でもあります。
3. DTxをデザインする
では、DTxをデザインするとはどういうことか?今回の本題です。CureAppでデザインに取り組む中でいくらでも話すことはありますが、できるだけギュッと圧縮して制限時間内にお伝えいたします。
3-1. 患者と医療者を理解する
大事なことは3つ。患者と医療者を理解する、理論で作り、事実で検証する、医療機器としてデザインする、です。
では早速、患者と医療者を理解するからいってみましょう。
治療というもののプレイヤーをものすごく単純に考えると、治療を提供する医療者と、治療を受ける患者の2者がいます。ちなみに医療者というのは医師を含む看護師や心理士や理学療法士など、広い医療職の人全般を指す言葉です。
DTxの構造として、患者が自由にダウンロードできるアプリではなく、あくまで医療者から提供されることで初めて使えるものを想定しています。なので、プロダクトのターゲットユーザーとして最初から医療者と患者の両方を理解しなければいけません。
まずは、患者を理解することについて考えます。
患者になるとはどういうことか?ある人が病気と診断されることで患者と呼ばれるようになります。なので本人にとっては何のメリットもない名称であり、患者というのは医療や社会的な視点からの呼称です。
しかし、病気と診断され、患者になることでその先の認知と行動は大きく変化することになります。
突然ですがこちら2009年の僕の写真です。特徴としては今よりも目が死んでいて世の中の全てに対してビクビクしていました。ちょうど研修医の頃だったので白衣の写真を探したのですが全然なく、こんな悪趣味極まりないTシャツの写真しかありませんでした。
なぜこんな見せたくもない写真を出したのかというと
たまたま胃の内視鏡検査、胃カメラを受けた時に、胃に37mmの腫瘍が見つかったんですね。ちょうど研修先の病院で見つかったのでそこで造影CTを受けて入院して手術も受けました。
幸い悪性ではなく手術で取り切れたため今はまったく問題ありませんが、見つかった直後の不安は非常に強く、これからの人生について多くのことを考えました。腫瘍の種類によっては大きな生活の制限や命を落とした可能性もあり、病気というものがいかに人生に影響するかを身をもって痛感するできごとでした。
このように病気が生活にどのように影響するかはデザインの観点からも重要で、さらに、病気と一口に言っても無数にあるどの病気でも影響の受け方が全然違うことを理解しなければいけません。デザイナーとして自分が取り組む病気はどのようなものか、その特徴と患者の多様性を同時に理解する必要があります。
ではどうやって患者を理解していけばいいでしょうか?いくつか方法はありますが、大きくはまず病気そのものについて文献やネットなどで調べること、そして医療者から聞くこと、患者から直接聞くことの3通りがあるかと思います。
文献の話もしたいところですが、今回は医療者と患者にターゲットを絞ります。まずは医療者から聞くことについて
医療者は治療の専門家であるため、日常的に多くの患者と接しています。そのため、患者の特徴や傾向、治療をする上での課題、医学的知識と患者の課題の関係など、多くの情報を得ることができます。
ただし、医療者に聞けば患者の生活や悩みがすべて理解できるわけではありません。患者として病院を受診したことがある方はわかると思いますが、医師に対して自分のすべてをさらけ出すことはほぼありません。どうしても「医師と話している時用の自分」を作ってしまい、医師にとってはそれが患者を理解するための情報になります。
また、医師は生活そのものを細かく理解する必要もなく、十分に把握されていないケースも多いです。医師自身の治療上の期待が混ざることも多く、医療者ならではのバイアスがかかってしまうことは避けられません。
それであれば患者から直接聞く、当然こちらの方が生活のダイレクトな悩みを聞くことができ、サービスが介入するポイントなども高い解像度で知ることができます
ただ患者に直接アプローチする場合、ひとりひとりの話す内容は当然バラバラです。ある人は病気の程度が軽く、社会生活にもほとんど困っていないかもしれません。一方である人は病気が重く、医療や生活に対して強い不満を抱えているかもしれません。またある人は別の病気の合併や、病気であること以外に大きな課題を抱えていることもあります。
このように、同じ病気の人でも背景によって話す内容はかなり違ってきます。共通の特徴と、多様性を同時に抽出していくことが大事です。
こうした方法はどれかが正解なわけではなく、それぞれの長所を組み合わせながらうまく解像度を高めていく必要があります。気をつけたいこととして、自分たちと違う日常を送っている人と向き合った時に、そのインパクトの強さから一人の人の話を聞いてすごくわかった気になってしまうことが多いです。医療者は話がうまく、患者は話したいことがたくさんあるので、その情報ですごく理解したような気になります。
デザインの手がかりとしてそれだけを頼りにしてしまうと大きく外してしまうことが多く注意が必要です。すべての情報にバイアスがかかっていることを理解し、わかっていない前提で情報を組み合わせながら前に進んでいく必要があります。
続いて医療者をどう理解していくか?です。toCのプロダクトと違い、一旦医療者に提供の権利と管理の権利を委ねなければいけないため、この人たちへの理解をおざなりにすると、患者にとってはとてもいいもののはずなのに全然つながらないという現象がすぐに起きます。
プロダクトを直接提供する医師を中心に考えていきましょう。
デザインの観点から医師を理解する場合、まず理解するべきは日々の診療のプロセスです。診療科や施設の種類によって違いはありますが、診察、検査、診断、治療というプロセスは基本的に同じです。
そしてほぼ全ての医師に共通する特徴は、時間がないということです。外来の場合、次々に受診する患者に対応するために医師と患者のコミュニケーションに使える時間は限られており、初診で5〜10分、2回目以降の受診では1〜5分というのも珍しくありません。みなさんも長く長く待たされた後、結局医師と話したのは一瞬だったという経験はあると思います。
そのため、開発側はプロダクトがいかに医師の負担をかけないか、むしろどうすれば診療の効率を上げられるかを考えてデザインをする必要があります。
診療の効率化を目指すためには、先ほど示した診察のフローをより細かく理解することが大事です。このどこにプロダクトが入り込めるか、どうすれば隙間の時間を有効活用してもらえるかなど、解像度を高めていく必要があります。
また、こうした手間の効率化以上に大事なことがそもそもの医師の価値観です。医療というのは大学での医学教育をベースに行われるものであり、医学は患者の利益を最優先することを最大の価値としています。これはジュネーブ宣言という医師の心得を示したものですが、他にもヒポクラテスの誓いなど、純粋に患者の利益追求について書かれたものはいくつかあります。
プロフェッショナルとしての医師像を理解し、細かいニーズに応えていくデザインが求められます。
3-2. 理論で作り、事実で検証する
続いて理論で作り、事実で検証する。実際にどうプロダクトをデザインしていくかですが、これもまあまあDTxならではの特殊事情です
DTxをデザインする場合、既存の治療をやりやすくするためにデジタルデバイスを活用するケースが多くあります。たとえば運動やマインドフルネス、食事管理をやりやすくするなどです。
このときに話題になるのが、その治療法にどれだけのエビデンスの裏付けがあるのかということです。
エビデンスとはなんでしょうか?それは研究により示された統計的データのことです。たとえば塩分を減らすサポートをするアプリを作りたければ、「塩分を減らすことで血圧が下げる」可能性を証明したデータを調べます。だいたい論文の形で発表されていますが、エビデンスがあればなんでもいいというわけではなく、統計的な厳密さやどれくらいの効果が見込めるかも重要な要素になります。
また、プロダクトのデザインのすべてにエビデンスが必要なわけではありません。ソフトウェアを使った全く新しい治療法や、行動変容テクニックの医学的応用などはエビデンスが乏しく、新規性のある領域になります。大事なことは何にエビデンスがあって何にないかをしっかりと切り分けておくことが求められます。
また、当然のことですが、いかにエビデンスがあったとしても、それをプロダクトにしたときに同じ効果を発揮するとは限りません。人間が行う認知行動療法と、アプリで行う認知行動療法はほぼ別物であり、それぞれに違う効果が期待できます。なので、デザインの基本通りプロトタイプを作りユーザーテストを行い、そのフィードバックからさらに改善点を分析するというプロセスは欠かせません。
ただ、ここでも悩ましい問題があり、患者・医療者どちらもテストのリクルートはかなり難しいです。知り合いのツテを最大限活用しますが、たとえば医師であっても若い大学病院勤務の整形外科医に聞く意味がないというケースはけっこうあり、60代の整形外科開業医などになると、いるはずなのになかなか出会えないというのが実情です。
患者の場合は病気によってコミュニティが運営されていることもあり、こうした団体の協力を得ることでテストの質を高めることもできます。
3-3. 医療機器としてデザインする
最後に、医療機器としてデザインする。いざ医療現場に投入するにはどうすればいいのか?ここはかなり専門的な話なのでサラッとご紹介します。
医療機器として開発をする場合、出来上がったらすぐに市販できるわけではありません。開発と市販の間に聞き慣れないプロセスがいくつも立ちはだかり、さらにガイドラインなどによる規制もプロセスごとに存在します。医療機器としての価値を、厚生労働省、PMDAといった規制当局に実証しなければいけないのです。
特に大きなものが治験と呼ばれる医療機関と患者を対象にした大規模な試験で、この実施に大きなコストと期間を要することになります。
では、どのような価値を示せばいいのか?大きな関心ごとは、有効性、安全性、品質維持の3つです。なんとなく言葉から察することができると思いますが、一つずつ見ていきましょう
まずは有効性。これは薬や医療機器が実際に患者に効くかどうかです。医療機器が意図した効果を達成できる能力、と書いていますが、この「意図した効果」の部分がけっこう重要だったりします。
たとえば高血圧の治療プロダクトの効果をプロダクトを使っている人と使っていない人に分けて、3ヶ月間で使っている人で有意に血圧が下がることと設定したとします。そうすると、3ヶ月の試験でこの目標が達成できれば、効果があったということができます。
これをうっかり「将来の脳卒中の発症率を下げる」といった内容にしてしまうと、検証がものすごく大変になります。脳卒中が起きるかどうかは誰にもわからないため、大規模な集団を長期間追いかけて観察する必要がでてきます。
これは極端な話ですが、あまり低い目標を掲げるとインパクトは弱くなり、試験の期間を短くしすぎると保険で使える期間も短くなるなど、細かな駆け引きを要する作業となります。
続いて安全性について。人の命を預かる以上、安全であることはとても大事ですが、ユニークなのは100%の安全は求められていないことです。薬を使った治療にはほぼ副作用があり、医療機器についても同様のリスクを容認しながらそれでも治療的メリットが上回る場合に治療手段として認められることになります。
生活改善のソフトウェアの場合、それほど深刻なリスクは抱えていませんが、たとえばUIやコンテンツのライティングが安全性に影響する場合はあります。
「自分ならそうは使わないけどもしかしたら」ということが結構起きますので、エクストリームな事態を想定しながら慎重に書くことが重要です。
最後に品質維持について。これは有効と安全が担保された医療機器が安定供給できることを価値としており、薬などの成分がいつの間にか変わっていないことや、医療機器が認可された状態から勝手に変えられていないかなどを厳しく管理する規制です。
平たくいうと、承認後のリニューアルが簡単にできない、ということです。とりあえずリリースしてみて反応をみながら柔軟に作り替えていくという手段がなかなかできません。この厳しさは今ここに集まっているみなさんなら痛感できることかと思います。
ざっくりいうとこんな感じですが、これらはすべて日本の医療の質を担保するために必要な制度であり、また新規参入の大きなハードルになる部分でもあります。明らかに今の時代に合わない規制も存在するため、DTxの進歩とともに規制自体も少しずつ変わっていっているのが現状です。
以上駆け足で話しましたが、DTxをデザインするとは、ユーザー理解が難しい、エビデンスの裏付けが求められる、規制による多くのハードルがある、承認後の変更コストがすごい、つまり
大変ということです。そして今回一切話しませんでしたが、これだけ苦労して世に出せたとしても売れるとは限らない、という大問題もあったりします。
4. これからの治療をデザインする
CureAppが掲げる「ソフトウェアで「治療」を再創造する」という試みは容易なものではなく、開拓していく中で現れる難題もいくつも見つかっています。
それでも医療というフィールドはまだまだデザインが介入するポテンシャルを持っており、そして新しい治療を作ることは社会の幸福とダイレクトにつながると私たちは信じています。
これからも多くの人ともに、治療のデザインについて考えて参ります。