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幼馴染が教えてくれた自分。

これまた久しぶりの投稿になってしまいました。今回は、タイトルの通り、「幼馴染との会話で気付いた自分」についてです。


久しぶりに会った幼馴染

私は偶に、「お前は薄情な人間だ」と言われることがある。おそらくこれは、人間関係において、相手に"不要な期待"をしていないからだと思う。幼少期から、親友という言葉を心から納得して使ったことはないし、人との繋がりは、何かしらのきっかけや共通する事象によってやんわり保持されるものだと認識していた。

そんな中で、先月久しぶりにあった友人は、私の中では珍しく小学校の頃から学校もスポーツクラブ(公式のドッジボール)も同じくし、環境を共有してきた所謂幼馴染だ。彼との話は、自分自身を知るという意味で、重要な機会となった。

彼のことを簡単に紹介すると、高校卒業後、整体師になるべく学校に通い、整体院に就職。その後独立し、今では訪問での整体施術の活動をしている。更に、整体師の中にも様々な資格があるらしく、学校に通いながら活動をしているとのことだ。私は全く意識していなかったのだが、彼は私をライバルのように意識してくれていたらしい。

僕が東京の商社に就職し、様々な経験を経て独立したことをきっかけに、久しぶりに飯でも行こうよ、と。僕としては、会社員ではなく独立して活動している彼の話も聞いてみたかったし、僕らが会う理由に「仕事」ができたのだから、やはり人との繋がりは必然で、長く関わっていける人がいるんだと感じた。


私のルーツ

私の性格はシンプルだ。私には2つ年上の兄がいる。公式のドッジボールを始めたのも、兄が切っ掛けだ。

なんでも「兄の真似をしたい」という多くの兄弟の例に漏れず、私も兄が始めたものは一緒にやりたいという普通の弟だった。ただ、兄は僕よりも身長が高く、なんだか勝負強かった。スポーツの大会においてスーパープレイを起こし、そのプレイがきっかけでチームが大きく前に進んだりする。そして、兄が活躍するほど、周囲の人たちにおける私の存在は、「渡邊 健太郎」ではなく、「〇〇の弟」という位置付けに変わっていったのを肌で感じた。

兄のスポーツでの活躍をきっかけとして、名前よりも"〇〇の弟"として呼ばれることが多かったことから、自身の存在場所や存在理由について考える機会が非常に多かったのを覚えている。

人間は社会的な生き物だ。環境に左右される。僕のルーツはここだ。社会における自身の存在を感じて幸せに生きたい。それ以外のことは特にこだわりがない。

彼が覚えていた私の発言

話を幼馴染に戻そう。

彼とは小学校の頃、「"ニコイチ"という単語のイメージ図を描くならば、私たちのことだろう」と思えるくらい、本当に一緒にいた。

クラブの練習では気持ち悪くなるくらい一緒に走り込みをして、活動がない日でもお互いの家を行き来して日が暮れるギリギリまで外でドッジボールをして、ご飯も一緒に食べ、土日も大会や練習試合で遠征、バスも隣に座っていた。中学校に入ってからも、バレーボール部に入って、毎日放課後、そして土日の時間も共有していたくらいだ。

そんな彼は、きっと僕のことを僕以上に知っていたのだろう。

先月会った時に話た内容は、「小学生の頃の夢」だった。
私は、日々の細かい出来事は数日前のことすら覚えていないし、人のこともすぐに忘れるが、人生を通じて大事にしていた考え方は覚えている方だと思う。

小学生の頃、私は「将来の夢」を記載する時間が本当に苦痛だった。27歳である私の年代が、小学生の頃に将来の夢として記載していたのは、消防士や教師、警察官などといった職業が多かった(現在は、Youtuberやゲーム制作関連などが人気らしい)。

なぜ私がその時間が苦痛だったかというと、その職業を記載してしまったら、その職業を意識し、人生選択をしてしまうのではないかと思っていたからだ。人生の選択肢が1つの職業という枠に収束してしまうことに恐怖を抱いてた。私のシンプルなルーツに則ると、なりたい将来像は「社会的に独特の要素を持った何者か」であったからだ。

当時のそういった思想は覚えているが、実際にどういった内容を記載していたのかは覚えていなかった。ただ、その友人が、覚えていて、教えてくれた。

「お前は、将来の夢は何ですかと聞かれた時に、
"人の役に立つ仕事がしたい"と答えていたよ」

それを聞いた時に、納得した。自身が何のカードも持っていないことを知っている上で、それでも尚、何かしら新しい価値を生み出すことに必死だったんだなと。そして、それは今でも、変わっていない。内容なんて後から理由づけができれば良いんだ。社会が決めた枠に収まらず、規模や関わる人数といった様々なパラメータ数値を考慮した上で、人の役に立つ仕事がしたいと思っていたんだ。

最近は、小難しい単語を並べて、ビジネスモデルの仮説立てをして、小さなトライをしては何も得られないことに一喜一憂していたが、手段なんて何でもいいんだ。フラットにそう思うことができた。

なぜ友人が僕の発言を覚えていて、ライバル視してくれていたかというと、他の人が将来の夢としてそういった職業を書く中で、僕だけが全然可愛くない「人に立つ仕事がしたい!」という発言をしていたからだった。

今となっては、彼も独立して、影響を与えられる金額規模も高まってきて、「事業が継続してできている時点で人の役に立ってるじゃん」という認識に変わったらしいが、ふとした自身の発言がきっかけで、15年以上も人と付き合えたりする。なんだか素晴らしいことだなと感じた。

自分を知るということ

私自身のことは、認識しているつもりでいた。自分が一番、自分を知っていると。ただ、周りの人との会話を通じて見える客観的な私自身の認識が、今ハマっている悩みから救ってくれたりする。

人に想いを伝えて、そして動いてもらうには、自分自身の言葉でなければ熱がこもらない。そして、その熱の入った言葉を発するためには、自分自身を理解しなければならない。

できていると思っていたことが、できていないのは当然。常にアップデートが重要というのは、知識の面だけではなく、自分自身のこともだと感じる。

自分を知るというトピックで、今後も発信していこうと思います。

では、また。

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