最近の北米での日本漫画の売上爆増が凄いという話と、一方でアメコミは「ポリコレ」で滅びつつあるという話は本当か?から考える、日本漫画が今後進むべき方向について。
Photo by Dev on Unsplash
最近ちょっとしたキッカケでアメコミ(ハリウッドのアメコミ・ヒーロー映画でなくDCとかの本当のアメリカン・コミック)にハマってまして、
…という話をツイッターでしようとしたら、なんかツイッターでは「アメコミ」は燃えやすい案件らしく、色んなネットバトルが私のSNSアカウントの周りを高速で駆け抜けていったということがありました。
まあ私の書き方も多少冗談で煽ってた部分もあったんですが、ちょっとその経験が色々と、「ネットバトルがなぜショウモナイものになるのか」「どうすればいいのか」について勉強になった点があるので、今回はその話をします。
(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)
・
1●なぜ日本のSNSでアメコミ関係の話題は炎上するのか?
なぜ日本のSNSでアメコミの話題は燃えるのか?について、今回SNSバトルに巻き込まれてわかったのは以下のような全体像があるんですね。
・・・つまり、長めの一文にまとめるとこうなるわけですね。↓
日本漫画ファンとアメコミファンは本来別に喧嘩する理由はなく、むしろアメコミファンのかなりの部分は日本漫画のファンですらあるが、アメコミファンとは別種族の「ポリコレ原理主義者層」的な人がアメコミをダシに日本漫画を叩きまくっているので、日本漫画ファンはアメコミファンが『敵』だと思っている。結果として日本漫画ファンはアメコミを攻撃しがちであり、身に覚えがない事で常時攻撃されているアメコミファンもそういうオタクさん層を憎悪し始める傾向が生まれている。でも本来そういう誤解ゆえの相互憎悪を抜きにすれば日本漫画ファンも楽しめるアメコミは沢山あるはず。
・・・という上記のようなもろもろの結果としてネットに憎悪の在庫がもともと溢れているので、あまり冷静な議論にならずにしょうもないネットバトルがヒートアップしがちだということらしいです。
・
2●ネットバトルの憎悪が毎回吹き飛ばしてしまうので冷静な議論ができないある一つの議題について
で、「常時開催中のネットバトル」ゆえに冷静な議論が吹き飛んでしまっている話題として、北米での日本漫画の売上はいったいどれくらいになっているのか?という問題があるんですよ。
「アメコミをネタに攻撃されすぎてアメコミを敵視するようになってしまった日本漫画ファン」の中では、北米でアメコミはコミックとして衰退してきていて、日本漫画が圧倒しつつあるという情報が流れたのをそのまま事実だと受け取っている人が結構いるんですね。
私もそういうニュースを読んだ記憶があって、「そうなのかな」と思っていたのですが、それは統計の取り方が間違っているそうです。
この記事は2021年4月の記事ですが、「大人向けグラフィック・ノベル」分野のベストセラーがほとんど日本の漫画に独占されている事がわかります。
鬼滅や進撃の巨人、スパイファミリーや呪術廻戦なんかがランクインしているのはいいとして、北米における「僕のヒーローアカデミア」と「チェンソーマン」は日本での人気より数段上な印象がありますね。あとハイキュー!もランクインしている。
ともあれ、今や北米の「大人向けグラフィック・ノベル」ジャンルのベストセラーリストはほとんど日本漫画が独占状態になるのは常態化しており、一応このジャンルにもアメコミは入るはずが相当下の方にしか出てこないことから、
…と思ってしまうのもこの記事を素直に読めば無理はない。
実際、英語記事や英語のSNSコメントやブログなどを見ていると、北米人でも「もう漫画の方がアメコミより売れている」と思っている人はかなりいます。バーンズアンドノーブルとかの有名巨大書店の棚のサイズとかでも、漫画が優勢に見えたりすることが多いらしい(これはアメコミは普通の本屋とは違うアメコミ専門店経路で売れている量が多いためと思われる)。
ただ、これは統計の取り方に問題があって、実際にはまだまだアメコミも頑張っているらしいんですよ。ちょっとこれは業界事情に詳しい人のインプットがないとなかなかわからないことなんですが。
その統計の問題とは何か?実際日本漫画はどれくらいの存在なのか?について、以下ではもう少し掘り下げてみます。
ところで今回私のツイートに対して、出会い頭に「日本スゴイ病のネトウヨの妄想wwww」とか馬鹿にしてくる人が結構いたんですが、北米人でも誤解する人が多いような記事が出回ってるんだから、「それはこういう統計の問題があって」とか普通に教えてくれれば素直にナルホドってなる話をそうやっていちいちネットバトルにする意味はあるのか?と私は思いましたよ!
・
3●結局北米での日本漫画の売上はどの程度なのか?
もちろん色々と紳士的に教えてくれる人たちもいて、参考になったのはこの記事で…
これは上記記事が話題になった頃にヤフー知恵袋に寄せられた回答なんですが、ソースがヤフー知恵袋で申し訳ないけど(笑)、凄い良い回答だったので、読むと上記統計のどこに問題があるのかがよくわかります。
上記回答のポイントは、アメコミの流通は、「1話32ページとかの小冊子形式(日本では”リーフ”と呼ばれている)」が基本で、それがまとまった時に分厚い大判の本にまとめられたものを買う人は多くない…ということらしいです。
日本人がアメコミを読む時は、以下のアマゾンリンク先のような「辞書のようなケースがついた大判の書籍」を買って読むことが多いと思いますが、この「大判の書籍にまとまったもの」だけが「大人向けグラフィック・ノベル」として計上されているらしい。
しかし、アメコミの消費のかなりの部分は、さっき言ったいわゆる「リーフ」サイズの一話読み切りで数百円とかの冊子をアメコミ専門店で買うという形態らしい。
そしてこの「リーフ」の売上は、「大人向けグラフィック・ノベル」ではなく「コミックス」という別立ての集計になっていて、逆にこの「コミックス」のランキングには日本漫画は当然ながら一冊も入ってない(この形式で出ていないので)
だから「大人向けグラフィック・ノベル」ジャンルの売上上位は日本漫画がほぼ独占状態になっていて、アメコミはかなり下の方にしか出てこないようになっているが、それは「日本漫画がアメコミを圧倒している」という事を意味せず、まだまだ北米ではアメコミの方が売上が上である(と思われる)。
…という状況らしいです。
なんか「アメコミ派vs日本漫画派」の煽りあいに埋没して正確な情報が伝わらない状態になっているっぽいので、できるだけ中立的かつ客観的にまとめてみたかったんですが…
さっきも書いたけど別に変に煽りなく「その記事にはこういう統計の問題があるんですよ」と教えてくれたら「へえ、そうなんだ」で済む話を、出会い頭から「ネトウヨの妄想乙ww」とかやりあってるから基本的な情報のシェアも進まないのではないでしょうか。
とはいえ、ここまで来たら、
って知りたいですよね?
ネットバトルが燃えてる時には忙しくて自分で調べる時間がなかったので飛び交う情報を「へえ」と眺めてるだけでしたが、さっき一時間半ぐらいざっと調べて「だいたいのところ」をまとめてみました。
なんか日本漫画というのが北米の統計の中で凄い鬼っ子というか収まりが悪くて、全然違う他のジャンルの本(子供向け絵本とか)と混ざったような統計しかなく、かつさっきの「アメコミは本屋でなく専門店で別形式で売られているのでデータをちゃんと吸い上げられているか不明」みたいな困難があるので、ざっくりとした数字しか出せませんでしたが。。。。(もっと完璧な数字は誰かやる気のある人が調べてくれるのを期待しています)
調べてみてわかったことは、さっきのヤフー知恵袋では当時最新だった2019年のデータが参照されていましたが、その後2020年、2021年の日本漫画の伸びはムチャクチャ凄いらしい。
2021年のデータが出てくるに従って、その「驚き」について書かれた記事は結構出てきます。
上記記事群を見ると、「いまだかつて無い爆発的成長」みたいな言葉とともにいくつかの数字で語られていて、2021年は部数で前年比160%、売上で倍増以上みたいな、全盛期のGAFAとかでも見ないような、ほんとそれこそ文字通りに「いまだかつて無い爆発的成長」の数字が並んでいます。
いくつかの有名タイトルだけしか売れていない感じではなく、例に出されて可愛そうでしたが「ペルソナ3」みたいな古いマイナータイトルまで売れたりする裾野の広がりが見られて「文化の定着」を感じさせるとか、2021年は急激に売れすぎてむしろ印刷キャパがボトルネックになるほどの盛況だったそうです。
一時間アレコレ漁った程度ではどの記事を見ても結局の売上の数字が「前年比これくらい」とかでしか出てこなくて、生データも簡単には見つけられない状態になっているのは、たぶん流通側が取りまとめている統計に抜け漏れがあってトレンドを追う以上の正確な実数を掴むことがしづらいからだと思われ、そういう時は川下でバラバラになった数字を流通側で追うのでなく生産者がまとめている数字を信頼したくなるわけですが…
この記事では、スクエニのゼネラルマネージャーである清水マサアキ氏が、「2021年北米漫画市場は以前のピークだった2007年の2.5倍」と言っています。
この記事にそのデータがあるのですが、
北米の漫画市場は2007年を境に一度急激に落ち込んでいるんですね。(この理由については、この時期からネットの海賊版が急激に普及したことと、テレビアニメという形態がネット配信に変化する狭間で露出が極端に減ってしまった事が原因だろうという分析があるそうです)
ともあれ、上記のグラフから見ると2007年は$200ミリオン程度ですから、さっきのスクエニ清水マサアキ氏の発言をもとに推測すると2021年は2.5倍して$500ミリオン程度らしい。
さっきのグラフは2020年までなので、その後一年で$500ミリオンまで折れ線が伸びるのを想像するといかに”爆増”しているかイメージできるはずです。
ちなみに「1ミリオンドル(百万ドル)」=「1ドル100円なら1億円」なので、最近の円安傾向の中では、例えば130円なら「ミリオンドル=1.3億円」、140円なら「ミリオンドル=1.4億円」だと思ってください。
では、アメコミはどれぐらいなのか?
こっちもちゃんとした統計がなかなかなくて(なんだか販売形式や経路がバラバラで合算するだけで”色々前提を置いて分析”する必要があるらしい)、皆が信頼しているように見えるCOMICHRONというサイトによる集計では、以下のような感じらしい。
上記の緑のバーが$1.47ビリオン=$1470ミリオンなので、「グラフィックノベル」ジャンルで日本の漫画のシェアはざっくり3分の1ぐらい。
そしてこの「グラフィックノベル」の中に、子供向け絵本(北米はこれがメチャ大きいらしい)とか、そしてアメコミも入っているわけですが、グラフィックノベル売上上位ランキングではアメコミが全然出てこない事を見ると、この緑のバーの中でのアメコミはそんなに大きくないと思われます。
一方で二本めのオレンジ色のバーは、さっき言った「アメコミ流通の本命」の小冊子形態のものなので、この$435ミリオンは全てアメコミと考えていいと思います。
最後の赤のバーの電子書籍には両方入ってるでしょうから、まあこれは同等程度だと考えると、
日本漫画=$500ミリオン+電子書籍
vs
アメコミ=小冊子$435ミリオン + 「緑のバーから日本漫画と子供向け絵本を抜いた数字」+電子書籍
どれくらいかなあ?(ふと赤いバーの電子書籍は全部アメコミ??という疑惑も湧いてきましたが、まあそのへん不確定なままざっくりのイメージを掴んでください)
「日本漫画がアメコミに勝ってるわけねーだろバーカ!ネトウヨの妄想!」って言われまくったので調べてみたんですが、印象としては案外拮抗してるというか、「アマゾンと楽天」「電通と博報堂」ぐらいの位置関係にはある気がします(笑)。
しかも伸び率的に言えば日本漫画の方が断然上で、「伸び率が断然上ってことは実売上はめっちゃ少ないんじゃないの?」と思ったらそうでもないですよね。
ざっくりまとめるとこういう印象↓と言えるのではないでしょうか。
2021年の北米市場でアメコミは日本漫画の倍は行ってないぐらいで、伸び率的には日本漫画が急激に追いつこうとしている
2021年の日本漫画は急激に伸びすぎて印刷が追いつかなかったとか、その伸びトレンドは2022年も続いているというコメントを業界関係者が出しているので、あと3年〜5年ぐらいすれば北米市場でアメコミを日本漫画が抜いても驚かないかもしれない…ぐらいではあるのかなと思いました。
「現状で日本のECにおけるアマゾンと楽天ぐらいの位置関係で、楽天の方が伸び率が断然上」だったりしたら、そりゃ数年後には入れ替わるかもね?…的な感じですね。
そもそも、この「数字の実数」がアメリカという巨大経済圏の中では少なすぎるというか、日本の漫画市場が2021年に6759億円もあるのを考えると、映画があれだけ売れてるのに「北米という巨大市場のアメコミ」がこの程度でしかないのはやはり何か問題があるんじゃないですか?という見方をする人が出てくるのは理解できる話だと思います。
そして、あとで詳しく述べますが、日本漫画に対してアメコミのこういう硬直性が問題だ…的なことを言っているのは北米人でも結構いるみたいなんですね。
(ここの部分に、アメコミの最近のコマ割りは日本漫画に影響を受けているのでは?という内容を書いていたのですが、いろいろなアメコミマニアの方に、むしろ昔のアメコミにも同じ手法が使われていた事を指摘されたので削除しました。丁寧なご指摘ありがとうございます)
・
4●盲目的な「日本スゴイ」は勿論ダメだが、盲目的な「日本は終わった!」も同じぐらいダメ
で、話を戻しますと、ネットバトルで盛り上がっている時には、結局どういうことなのかが全然わからないまま「バーカバーカ」みたいな憎悪の投げあいばかりが流れていってたんですが、一応ざっくり調べてみて「どういう感じなのか」が伝わったかと思います。
ちょっと私の論調が「ネット右翼さん的なものをかばっている」ように感じられる人がいるかもしれません。
「憎悪をふっかけてきているのはいつもネトウヨの方だろ?!」みたいなツイートも沢山投げかけられましたしね。
でもね、私はこういう時に常に思うんですが、「盲目的な日本スゴイ」も勿論ダメですけど、「盲目的な日本オワタ!」も同じぐらいダメなんですよ。なぜなら「盲目的な日本オワタ!」がいるから「盲目的な日本スゴイ」もやめられなくなる…みたいな循環構図があるからです。
調べてみたら「まあまあ拮抗してるぐらいではある」「むしろ2012年ごろの冬の時代から比べたら大躍進中」というのは紛れもない事実なのに、
…みたいな事を言う勢力が無視できない程度暴れていたら、逆に日本漫画ファンだって必死に自己防衛的にアメコミを攻撃するのをやめられなくなるじゃないですか。
卵が先か鶏が先か…みたいな話ではありますが、海外的な視野がある人が、「過剰に日本オワッタ言論」をすることなく、
的な情報を冷静にシェアしてくれれば、謎のネットバトルを延々続ける必要もなくなるのではないでしょうか?
・
5●「アメコミはポリコレで滅びつつある」は真実か?
で、やっと「本題」というか、「アメコミはポリコレによって滅びつつある」説がどうなのかという話をしたいのですが。
結論から言うと別にアメコミは「滅び」つつあるわけでもなく、日本漫画ほどの伸び率でないにしろ売上も増え続けているので、別にアメコミ関係者は好きなようにしたらいいんじゃない?という話ではあると思います。
それに実際の「アメコミ」を読んでみると、意外にもそれほど「ポリコレ的」な感じでもなくて、むしろ「ポリコレの押し付けには抗う」作風も結構あるなと思います。
一方で「映画のアメコミ」においては、私はポリコレは結構良い影響も与えている部分はあると思っているんですね。
最近見た「エターナルズ」とかも凄い批判されてましたけど、アジア系やインド系のヒーローが普通に活躍するとかはとても良い傾向だと思います。単に勉強ができる根暗で変なヤツ…って感じじゃないアジア系男子のキャラクターが結構描かれていてそこは凄い良かった。
人口の数%は同性愛者なのだとすれば、脇役含めて数十人いれば同性愛者も当然いるのだから、そのキスシーンが「普通に」出てくる演出が時にはあってもいい…と言われればナルホド、と思うし、勿論女性キャラクターがちゃんと活躍できる作りであることも当然大事ですよね。
そういう発想自体はとても良いというか、今の時代に必要だというのはわかる。
問題なのは「ポリコレ」自体じゃなくて「問答無用のポリコレの押し付け」だというか、
「ポリコレを押し付ける時にそこに元々あった人々が大事にしていた価値観とかを完全に捨て去るべきものとして足蹴にしたりする態度」
↑これが大問題で、「ポリコレ的な傾向のトレンド」自体に反対している人は実際そこまで多くないはず。
「ポリコレ派」が「こういうのはダメだ、こういうのはダメだ」と排除していったものなかに、社会を成り立たせるための、そして「ハリウッド映画の美点」を維持するために大事なものが詰まっているのではないか?という謙虚さを失ったら途端に社会が真っ二つに分断されて罵り合いになっていくのを止められなくなる。
それに、ただ単に「いろんな人種を出してみました」以上のキャラクター造形を行うには、アジア人を出したならアジア人なりの活躍の仕方についてもっと明確なカタルシスが得られるような掘り下げが必要なはずですが、今はそこが全然薄っぺらい。
まあ、今はとりあえず「出してみた」だけで精一杯というのもわかりますが、そういう行為が映画という文化が持っていた蓄積を破壊しているというのも否定できないと言えるでしょう。
実際、大ヒットした「トップガン・マーヴェリック」とかは、
…ことで、懐古趣味映画じゃなくて現役Z世代も大量動員するようなヒットになったし、”フェミニズムアクティビスト”的存在として知られる(つまり”ポリコレ側”の)北村紗衣氏も絶賛するような成功になっている。
要は、「ポリコレを押し付けられた側」に選択権や独立性が担保されているなら、ポリコレ要素は別にそれほど敵視されるものでもないはずだ…ってことなんですよ。
そこが問答無用に「こうなってないのは全部ダメです」みたいな押しつけをするヤカラがいるから全てがおかしくなってくる。諸悪の根源はそこです。
・
6●ポリコレ自体でなく問答無用のポリコレの押し付けこそが問題
特に日本漫画などの話が関わってくると、日本漫画には「トム・クルーズ」みたいなスーパーパワーを持った擁護者はいないわけですよね。
「ポリコレ用語」に、「権力勾配がある時にトーンポリシングしてはいけない」という大原則がありますよね。
これは、
どちらかが圧倒的に立場が強いというような場合に、立場が弱い方が多少強引で無理やりな方法で異議申し立てをしたとしても、そのやり方が丁寧でない事だけを理由に黙らせてはいけない
…という意味なんですが、日本漫画が置かれている状況もまさにこれなんですね。
「世界最強国家アメリカ政治の流行」と「日本という島国内の独自カルチャー」って圧倒的に「権力勾配」があるので、丁寧に接しないと「潰される!」という日本側の警戒心から攻撃的な反応が返ってくるのはむしろ当然なのだ…という発想が必要なんですよ。
そこでネット右翼さんが必死に防衛反応をしていて、その態度があまり褒められたものでないものが含まれていたとしても、そこはそれ、「権力勾配がある時にトーンポリシング」してないで、「欧米文明とは別個の価値観で動いている独立した存在」として扱って、相互的で丁寧なコミュニケーションをするようにしていくのは、「グローバル側」に立つだけの文化的基盤のある強者の人がやるべきことだと私は強く思います。
そして、日本漫画ファンが必死に「守ろう」としているものは、単に時代遅れの性差別主義者が自分たちの抑圧を正当化したいだけなのだ…かというとそうでもない。そういう風に考えること自体が、メチャ大げさな言い方をすれば「欧米文明中心主義的な文化帝国主義的差別心」であって、人類社会の欧米諸国のGDPシェアが急激に下がり続ける21世紀にはサステナブルでない考え方なんですよ。
さっきも書いたけど、アメコミはアメコミで良いところがいっぱいあるけど、アメコミ映画の巨大さからすると物凄い小さい規模にしかなってないんですよね。ソレに対して、急激に伸びている日本漫画の北米ファンなどから、「なぜ最近のアメコミが硬直的なのか」みたいな批判をする人は結構いるわけです。
もちろん、アメコミの作者は自分の好きなように、自分の哲学に従って表現する自由もあるし、別に売上的に「滅びゆく」という状況でもないから、彼らは彼らのままでもまあいいんですよ。彼らに日本漫画の形式を無理やり押し付けるのもまた良くないのは当然のことです。
でも、北米の日本漫画ファンが、「アメコミのこういうところは嫌だ。日本漫画のこういうところが素晴らしい」と言ってくれているポイントを、「アメリカの流行はこうだから日本はダメだ」という一方的な風潮で潰してしまったらそれは世界から「多様性」が失われる悲劇なわけじゃないですか。
そういう「美点」を維持していくためには、マトモなものから明らかにダメっぽいものまで、多産多死型に色々と実際にやってみるからこそ、頂点に凄いクオリティのものが生まれるわけで、その「創作環境」というのは非常にデリケートなもので、ちょっとした無理解からの押しつけで崩壊してしまってもおかしくない。
だからこそ必死に「自分たちの美点を守るための防衛反応」をしている人たちを一方的に断罪してないで、「そこにあるアメリカの流行とは別個の価値とは何なのか」について理解する姿勢がまず我々には必要なはずです。
それこそが「多様性」を人類社会の中に持ち込んでいく大事なプロセスだからですね。
・
7●日本漫画にあって現状のアメリカのポリコレにない「本当の多様性」とは?
そういう意味で、日本漫画の売上が爆増中の北米において「アメリカの意識高い系の流行とは違う日本漫画のどこに彼らは魅力を感じてくれているのか」…を掘り下げてみたいのですが、例えば以下の動画は、「manga vs american comics」で検索したらたまたま出てきた動画ですけどなかなか面白かったです。
動画のテイストはちょっと全体的にオルタナ右翼っぽいですが言ってる内容は結構納得感がありました。
特に「昨今の意識高い系アメコミがいう”多様性”と違って、日本漫画には”本当の多様性”がある」という話は非常に面白かったので以下にざっと要約します。
もちろん、「そういう問い」がおざなりになっていない名作アメコミも沢山あると私は思いますが、要はそれはさっきのトップガンマーベリックの話と同じなんですね。
「登場する人種をばらけさせましたよ」部分はいいとして、それをハリウッドの本来的精神を体現する形でトム・クルーズが作りきったような、そういう「ポリコレを取り入れつつ独立性を失わない主体」みたいな作り手の自由の尊重がしっかりと行われなければ、「ポリコレの押し付け」がその「文化」を破壊してしまうのだ…という批判という風に考えて良いと思います。
(後日追記なのですが、この記事を公開してから、アメコミ翻訳業をされている秋友克也さんという方から以下のようにコメントがあり、業界関係者の気分が伝わってくる良い連続ツイートだったのでご興味があれば以下をクリックしてツリーを読んでいただければと思います。
上記で秋友氏がおっしゃっている「意外性や難解さばかり優先され読んでスッキリする前向きな話が極端に減っている」というのは”狭義のポリコレ”とは言えないかもしれませんが、ポリコレでアメコミがダメになったと言っている人は”そういう現象”の事を全体的にざっくりポリコレと呼んでいるようにも思いますね(笑)
・
8●結論
「昨今のアメリカの意識高い系の流行」から世界の全てを断罪しまくるタイプの人が思うように「日本漫画は時代遅れで消えゆく運命」という事は全然ないし、「日本漫画が目指している何か」を待ち望んでいる人は世界中にいます。
むしろ今回記事で見てきたようにとんでもない速度で売上が伸びている途中というのが客観的な事実です。
ポリコレを敵視する必要はないが、「日本漫画の文化的独立性」を無理やり侵犯するような「ポリコレの押し付け」には徹底的に抗っていく必要があるし、その時にネットバトルでちょっと無茶をやる人がいたとしても、それは「権力勾配がある時にトーンポリシングするな」的な話なのだ…ということが私の個人的な結論です。
そして「ポリコレを上から目線で押し付ける」事をせずに、むしろ「日本漫画が表現したいこと」に敬意を払って深く理解し、その良さが消えない算段を丁寧に行っていくことによって、「ポリコレを必死に拒否する勢力」もその存在意義を失って落ち着いてくるようになるはずです。
そうやって溶け合っていった先においては、「ポリコレ的発想」が日本漫画の魅力をより深く解き放ってくれる道も開けるでしょう。
その先では、「なんでもかんでも人種と性別と性的志向の話にしてしまう」今のアメリカの風潮とは全く違う形で、社会の新しい調和の形を描いていくムーブメントを、日本漫画は作っていくことになるのだと私は考えています。
関係無いようで関係ある話をするんですが、先日アメリカのペロシ下院議長が台湾を訪れて米中関係があわや戦争か?というぐらいに強烈に緊張していましたよね。
あれは習近平政権にとって今色んな意味で物凄いデリケートな時期だからその時期に米国高官が台湾訪問するとか(少なくとも中国政府側からすれば)絶対看過できない的な状況だったわけですけど、その時ペロシさんは「私が女だから騒いでるんだ」みたいなことを言ってて唖然としたんですよね(笑)
いやいやいやいや。今の時期に行ったら別に男だろうと大問題になってるって!
なんかこう、米国のマイノリティ問題って、こういうところで「変なところだけ過剰に配慮しまくってみせる一方で、実際面において改善が全然進まない」感じになるんですよね。
こういう風に焚きつけるのはマイノリティの人にとって良いことかどうかかなり微妙なんですよ。
というのは、ある人が社会で普通に活躍していくには、職場でも教育現場でも、色々と「双方向の」やり取りの中で学んで変わっていくことが必要なわけですけど。
日常生活のありとあらゆることについて、なんでもかんでも「私がマイノリティだからそういう事を言うんだな!」っていう感じになると…
そういう風な発言はもう全部アメリカではアンタッチャブルな扱いになっていて、誰かがそう言いだしたら決して否定してはいけないみたいな感じになってますけど、それで大丈夫なんですかね?
学歴や金銭に守られた一握りの人なら、「自分がマイノリティだからそういうんだろう」方式であらゆる他人からのインプットを拒否して突き進んでもそこそこ成功できるし、むしろ我が道を行った方がいい場合も多いでしょうけど。
でも大多数の普通の人は、そうやって「全部他責的に考える」姿勢で生きていたら、どんどん孤立して社会に居場所がなくなっていってしまいますよね。
https://www.minnanokaigo.com/news/special/keizokuramoto3/
上記の三回連続インタビューでも言いましたが、そういう時にアメリカの社会の末端では、「言ったことをそのまま尊重してもらえるかわりに腫れ物に触るような扱いで社会の辺境に孤立無援に放置されてしまう」みたいな事が沢山起きていて、それが本当にその人のためになっているのか微妙なところがあると思います。
要は「どんな些細なことでも差別として糾弾できる」と「全て黙殺される」の間の
「ちょうど真ん中」に適切なポイントがあるはずが、その「ちょうど真ん中」の関係性をエンパワーするようなストーリーというのは作るのが非常に難しいんですね。
「何が差別で、何が良識的な指摘なのか」というのは非常に難しい問題ですが、「ありとあらゆる問題が性的志向と性別と人種の問題にしか見えない」みたいなアメリカの空気はやはり問題があるというか、実際のそのマイノリティの問題に対して有効な改善策になっているのかも怪しい。
要は今のアメリカにおいては、「人種とか性別とか性的志向というラベルのポリティクス」が強烈に渦巻きすぎていて、「本当の自分という個」自体を掘り下げることが非常に難しくなっているのではないか?というのは、以下の記事で書いたような「アメリカ社会の最大の問題」そのものだと言えるでしょう。
・
一方で、以下の記事で書いたように「胡蝶しのぶ型のガールズエンパワーメント」というのは確実にあると私は考えています。
女性である事の身体的ハンデがあることは前提で、それでもそれを補完する自分のスキルを磨いたり、高いコミュニケーション能力を組織全体のために使って円滑化したり、対鬼舞辻無惨戦においては千年以上男の鬼斬りたちが果たせなかった局面を大きく変える役割を果たしている。
「そこにある組織」や「そこで伝統的に大事にされてきた精神」をいちいち全否定しなくても、さらには「男と女は全然違わないんだ」という風な気負いを持つことなく女性としての自分を否定しなくても、思う存分「活躍」の道を見出していくことができる。
下記記事の小見出し6で書いたんですが…
日本の会社は欧米の会社と色々と事情が違うので、「日本の会社における女性活躍」を進めるには、ジェンダーギャップ指数みたいな何もかも丸めた数字で殴っていてもダメで、「日本の会社」の個別事情と現代日本女性のニーズの間の細かいミスマッチを解消していく地道な取り組みが必要なんですよね。
でもそういう取り組みは、何かあったらすぐに全部「私が女だからそんなことを言うんだな!」みたいになってたら全然進まないじゃないですか。
そうやって何もかも「差別」だということにして日本の会社側の事情を理解するプロセスを怠っているとどんどん味方が「フェミニスト」界隈だけになっていって、性加害の告発みたいに本当にそういう異議申し立てが必要な事例の時に「社会の半分しか仲間になってくれない(社会の半分は強烈に敵になって味方してくれない)」状況に陥ってしまう。
そういうムーブメントを焚きつけるインテリ層の活動家はそれでメシが食えていいかもしれないけど、そういう対立がほったらかしに激化していけば「普通に働く女性」の居心地はどんどん悪くなっていってしまう。
「少年ジャンプ漫画の精神」を否定せず、しかし女性作者が思う存分自由に描くことで生まれた胡蝶しのぶ型のストーリーがあれば、現実面での巨大な溝を社会の中で地道に解決していける基盤も育っていく。
日本漫画に世界のファンが期待しているのは「そういう基盤」を提供していくことであるはずです。
硬直化した「アメリカ型のポリコレ」の行き過ぎが、アメリカ社会の半分に強烈な憎悪を植え付けて、女性の妊娠中絶すら危うくなるほどの分断を招いてしまっている現状においては。
その「胡蝶しのぶ型ガールズエンパワーメント」のような、そもそもの部分で二項対立にしないようなリアルな話の積み重ねを作っていけるかどうかが大事です。
その「一番やわらかい部分」を、思い上がった文化帝国主義に踏み荒らされないためには、多少ネットで暴言が飛び交うぐらいの事はまあ仕方ないと言えるでしょう。権力勾配がある時にトーンポリシングするな!
でも、しょうもないネットバトルを延々やるのもそろそろ飽きてきたでしょうし、「そもそも無理やり無理解な押し付けをして断罪するんでなければ溶け合わせて一緒に変わっていけるのだ」という共通了解が生まれていくといいですね!
・
長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。
ここからは、最近「超凄い!」と思ったアメコミの話をします(やっと・・・)
それはさっきも貼ったウォッチメンなんですけど、これもうほんと超凄いです。
https://www.amazon.co.jp/ウォッチメン-字幕版-ローラ・メンネル/dp/B00G889A68
↑映画もなかなか凄いよく出来ていて、超オススメでした。でも映画だけだとよくわからんところが沢山あるので、映画のあと以下のアメコミを読むと超すごい!と思うはず。
ここ以降では、ジョジョと「このウォッチメン型の作り込まれたアメコミ」って結構似てるんだけど、どこが違うのか?という話をします。
なんで突然ジョジョ?と思うかもしれませんが、私がジョジョ好きというだけでなく、特に第6部(ストーンオーシャン)とか第7部(スティール・ボール・ラン)とかは舞台がアメリカな事もあって、読んでる感じが凄い似てるんですよね。
でも凄い似てるからこそ、「全然違うなあ」と思う部分がむしろ強烈に浮かび上がっても来る。
アメコミの凄い部分はどこにあるのか?そして日本漫画との違いは何なのか?
アメコミって凄いものは本当に重厚なバックグラウンドがあって、一貫した世界観によるテーマ性があって、それが話に深い普遍性を与えている感じになるんですよね。
一方で荒木先生って、シリーズの前半とか結構テキトーにフィーリングで書いていてるので、当初の設定が後で忘れられて「あれなんだったの?」みたいになることも結構ある(笑)
でもね、アメコミってその「凄い部分」ゆえに、「限界」もあるな、ってジョジョと比べている時に強烈に思うところもあるんですね。
アメコミは、「インテリが強烈に主導して作られた理性的に構築された最初の設定」が強すぎてそこから抜け出せない。何のノイズもなく当然導かれるような結末にしかならない。
しかし、第5部とか第6部とか以降のジョジョって、ラスボスのスタンドが出てきたあたりから話が強烈に展開していくじゃないですか。出てきた存在全員がそれぞれの「個」を強烈に発揮していった先で、「一歩先の結末」へと物語自体のパワーによって飛躍するエネルギーの奔流がある。
一個前のこの記事で書いたように、
そこにこそ「アメリカ社会(に限らずアメリカ由来の現行のグローバルシステム)の根本的課題」があり、「日本」が貢献してそこを埋めるべき部分もあるわけです。
そのあたりの「違い」について、色んなアメコミと、荒木飛呂彦氏の「ジョジョの奇妙な冒険」との比較をしながら考えてみる記事が以下には続きます。
それと最後に、最近の「統一協会騒ぎ」で、日本における宗教行政はアメリカ型からフランス型へと移行しつつある流れがあるわけですが、その2つの世界観の違いは、アメコミ型世界観とジョジョ型世界観の違いでもあって・・・というような話もします。
・
2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。(これはまだ確定ではありませんが、月3回の記事以外でも、もう少し別の企画を増やす計画もあります。)
普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。
ここまでの無料部分だけでも、感想などいただければと思います。私のツイッターに話しかけるか、こちらのメールフォームからどうぞ。不定期に色んな媒体に書いている私の文章の更新情報はツイッターをフォローいただければと思います。
「色んな個人と文通しながら人生について考える」サービスもやってます。あんまり数が増えても困るサービスなんで宣伝してなかったんですが、最近やっぱり今の時代を共有して生きている老若男女色んな人との「あたらしい出会い」が凄い楽しいなと思うようになったので、もうちょっと増やせればと思っています。私の文章にピンと来たあなた、友達になりましょう(笑)こちらからどうぞ。
また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。
また、上記著書に加えて「幻の新刊」も公開されました。こっちは結構「ハウツー」的にリアルな話が多い構成になっています。まずは概要的説明のページだけでも読んでいってください。
・
ここから先は
倉本圭造のひとりごとマガジン
ウェブ連載や著作になる前の段階で、私(倉本圭造)は日々の生活や仕事の中で色んなことを考えて生きているわけですが、一握りの”文通”の中で形に…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?