「坂本龍馬は大したことしてない」「織田信長は常識人」のような新説が生まれる意味を考える。(”司馬史観”の歪みはどこにあるのか?)
こんにちは、経営コンサルタント兼思想家の倉本圭造です。
今回は、最近「坂本龍馬は史実では大した事をしていない」という話がちょいちょいネットの噂話で聞かれるようになってきて、実際のところどういう感じなのか興味あったので調べてみる記事を書きたいと思っています。
あと、織田信長も、「実は信長は常識人で、長篠の戦いの鉄砲三段打ちとかもなかったと言われていて」みたいな話を聞くんですが、なんかこういう「時代に応じて認識が変わっていく」のは、どういう意味があるのかを考えてみたいんですよね。
もちろん、新しい研究成果が出てきて、という事もあるんですが、その細かい史実の積み重ねが「ひとつの像」を形成するにあたっては「その時代のニーズ」も大きいですよね。
例えば足利尊氏が、明治時代以後いわゆる「逆臣」の扱いを受けて低い評価だったのが、戦後になって再評価され、寛大な人柄や実質的な業績の再評価がなされることになったりした。
最近の「龍馬は大したことしてない」「信長は案外常識人」みたいな話が出てきている「社会背景」みたいなのも逆に考えたいと思っています。
(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)
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1●いつのまにか「うさんくさいヤツ代表」みたいになってしまった坂本龍馬
2010年の大河ドラマで福山雅治さんが坂本龍馬を演じていた頃は、時代的に「坂本龍馬評価がすごく高まってた」時期だったと思うんですよね。
その頃に計画されて色々あって2012年2月に出た私の最初の本もその時代の雰囲気に押されて、両親が鹿児島出身の編集者の人が「この方向で行きましょう!」と提案してくれて、『21世紀の薩長同盟を結べ』というタイトルになっていたんですが・・・
その頃は僕も坂本龍馬が大好きだったんですが、それから時間がたつにつれて僕個人の中でも「坂本龍馬への熱気」が冷めてきたな、と感じる部分はあってですね。
同じように感じてる人って多いんじゃないかと思っていて、ちまたの坂本龍馬の評価ってこの十数年ですごい下がった感があるというか、「うさんくさいやつの代表」みたいな印象(笑)になってしまってるところがあると思うんですね。
たとえば龍馬の名前を使ったノンアルコールビールがあって↓、僕は40代になってから体質的にお酒がどんどん飲めなくなったけどビールの味は好きなので、お店とかでみかけるとよく飲んでるんですが…
【国産無添加】日本ビール 龍馬1865 [ ノンアルコール 350mlx24本 ]
これ↑味はすごい美味しいので休肝日の家飲みにもおすすめなんですが、上記リンク先のアマゾンレビュー欄に以下みたいなのがあるんですよ(笑)。
要は「味はいいけど名前がねえ」・・・ってそんなイヤかっていう(笑)
こういう「龍馬に関する世間一般の評価の変化」と、「坂本龍馬は大したことしてない」という説が流布するのも表裏一体なところがあるように思うんですね。
「学説を覆す地味な発見」自体は独立にあったとしても(ただしここの部分も実は本質的にはそれほど”完全に独立”には起きない現象のように個人的には思うのですが)、それが広い範囲に「受け入れられる」プロセスは世の中の風潮がバックアップしているのは間違いない。
で、最近アベマTVで「坂本龍馬は大したことしてない」っていうテーマの回があって、YouTubeにオススメされてついつい見てしまったんですが、この番組全体を見ても「通説は間違ってるんですよ!」って連呼するだけで結局史実の坂本龍馬がどういう感じなのか全然わからなかったんですね。
なので、この加来耕三さんが書いた以下の本を読んでみたんですが…
ただこの本↑、全体の7割ぐらいは勉強になったけど、ところどころ坂本龍馬は剣術を習ってないとか、他の研究者が誰も言っていないことを結構簡単に断言してたりぶっちゃけちょっと信用できない感じの記述も結構あって(笑)
そもそもこの加来耕三氏は「龍馬ブーム」の時にはめっちゃ「龍馬アゲ」の本を書いてた人らしいんで(笑)やっぱりアカデミックな歴史研究者じゃない「歴史家」さんってヤバいのかな、という感じもしたので、もう一冊、こっちは本式の「学者さん」の書いた以下の本↓も読みました。
こっちの方は、学会の色んな説を紹介しながら一次資料に基づいて着実な展開がしてあって、信頼感はかなりありました。(一方でマニアックな話が多いとも言え、さっきの加来耕三氏の本と両方読むと全体像がわかって良いかもしれません)
この二冊の間でもかなり矛盾してる内容もあってまだまだ「定説」にはなりきってない感じなんだろうなと思いますが、ざっくりとした全体の印象として「史実の龍馬と伝説の龍馬の違い」がどういうところにあるのか?を以下にまとめます。
(余談ですが、こういう独立に色々と深まった地道な研究が”定説”レベルにまとまって行くときに、”一般の世の中のその当時の問題意識との共鳴”が必要とされる構造があるように思います。新しい龍馬像も今後そうなっていくんじゃないかと)
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2●龍馬伝説はなぜ生まれたのか?
まず、これは加来氏の本で詳しく述べられていた事なんですが、なぜ「坂本龍馬伝説」部分がここまで大きくなっているのか?という話をします。
この「坂本龍馬ブーム」っていうのは歴史上何回か繰り返されてきていて、最初の「龍馬ブーム」はすでに明治時代にあったんですね。
当時、「薩長藩閥政府」に対する反感が高まっていて、特に倒幕に功績があった「薩長土肥」の「土肥」の方はあまり明治政府で活躍できてなかった恨みもあって、土佐をベースとした自由民権運動が盛り上がってたんですね。
その中で、
…というストーリーが必要とされていた土壌があった。
結果として、
明治16年に発表された『汗血千里駒』という新聞小説なんかをキッカケに、「坂本龍馬伝説」が広まった流れがある。
その後、日露戦争の時に明治天皇の皇后である昭憲皇太后の夢枕に龍馬が出てきた…とかいう伝説が流布されたりとか、折に触れて「龍馬ブーム」が起きるんですね。
で、当時はまだ坂本龍馬を直接知ってる元勲や市井の人が結構生きてましたから、龍馬ブームで雑誌とか新聞社とかが元勲にインタビューに行って、そしたらお調子者が結構多そうな元勲さんたち(とか郷土の英雄を神格化したい土佐の一般人)がアレコレと期待に応えてフカシまくったエピソードが追加されていったらしい。
日露戦争は明治後半ですから、老人になった元勲たちが20代の頃の事を思い出話するわけで、そりゃ実態と違う部分も沢山出てくるよねという話になる。
司馬遼太郎の小説なんかは、この時期の「フカシ入った思い出話」なども全部史実と捉えた上で、さらに大作家の想像力で脚色された「二重の伝説化」が行われてるわけですね。
さらに言うと、司馬遼太郎が「竜馬がゆく」を書いていた頃は「明治維新百年」という節目で、
…がもてはやされた時期だった事でさらに「人々の思い入れ」を吸い込んで伝説が大きくなっていくことになります。
要するに坂本龍馬は、
「薩長藩閥政府」的な(今の自民党とかも含む)「その時々の日本のお上」的なイメージに対する不満を人々が持つ時に、人々がめいめい勝手に「完璧な思い入れ」ができる位置にある存在
…として機能してきたのだと言えるでしょう。
で、この
…という三重構造があって、だんだんこの「A」だけを取り出してみよう…という流れがここ十数年の間歴史学界の中で積み重ねられてきた事情があるんですね。
では、じゃあその「A」の史実の部分だけを抜き出した龍馬はどういう存在なんでしょうか?
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3●個人的にはむしろ以前より「龍馬やるじゃん」と思った(笑)
この記事冒頭にも書きましたが、ここ10年ちょいの間にだんだん日本で「評価を落としてきた坂本龍馬」という雰囲気に僕も結構影響受けてたんですが、個人的には上記の二冊読んで、「龍馬案外やるじゃん」って思ってまた好きになりました。
…みたいな言説を最近ネットで見るんでそうなのかな、と思ってたんですが、実際は「かなり重要人物」なのは明らかというか、「火のないところに煙は立たない」感じで、むしろ社会経験がちゃんとある人ほど「龍馬が何もしていない」という説には反対の意見を持つと思います。
現代的なイメージ的には、
優秀なBtoBの営業マン
…みたいな感じなんですね。
薩長同盟にしても、薩摩藩側と、長州藩側に、本来「協力しあえたらいいよね」という理解自体はもともと存在しているわけですよね。それがなければそもそも成立しえない。
でも第一次長州征伐の頃の恨みとかあって、お互い不信感が渦巻いていて、「提携できたらいいよね」という話だけでは全然話がまとまらない。
その状況の中で龍馬はまず薩摩藩の西郷や小松帯刀とちゃんと意思を共有した上で、長州藩側に潜り込んで話を通していく営業マン的な役割を果たしているんですね。
「長州藩側の窓口になりえる人」が長州藩内部の情勢変化によって移り変わっていく中で、新しいツテを見つけて色んな経路で話を通してキーマンを動かし、長州藩と薩摩藩の間を結びつけていく実働役になってるんですが、このあたりかなり「BtoBの優秀な営業マン」っていう感じが現代人目線では最も適切だと思います。
また、単に「薩摩藩の言う通りに動いて」るだけじゃなくて、薩摩藩側としては「協力関係」ぐらいで留めておきたくて、長州藩側としては「軍事同盟」にまで昇華したいという思惑の違いがある中で、その間でうまく立ち回って「話の流れの勢いで薩摩藩を明確な軍事同盟に引き込んでしまう」ような動きをしたような形跡もあるらしい。(これは町田氏も出演していたNHKの動画で詳しく述べられていました)
で、「薩長同盟に坂本龍馬は関係ない」って今ちまたで言われているのは、まさにその「条約」が結ばれる会議とか、条文の細かい検討とかの会議に坂本龍馬は参加してないっていうだけなんですね。
…という感じ。
だから、司馬遼太郎の小説に出てくる、
…という歌舞伎の名シーンみたいな話は確かに全部ウソなんですよ。(これはのちのち明治中期に”元勲が調子に乗ってフカシた内容”をさらに司馬遼太郎が肉付けしたシーン)
なぜなら、龍馬が京都についた日付よりも数日前に事実上の六か条の盟約の条文は既に握られている証拠があって、木戸の送別会まで開かれていた一次資料があるからだそうです。
ただ、「坂本龍馬が裏書きをした」のも史実なんで、この交渉課程で龍馬が何もしてなかったらわざわざこんな事しないですよね。
木戸孝允側からすれば、この条文が「口約束」で終わってしまっては、薩摩側からすると都合悪くなったらシラを切る可能性があるわけで、ここで「薩摩藩側にたってるがある意味第三者的存在」の龍馬の裏書きを求めた経緯があるそうです。
また、「薩長同盟は多少関わったとしても大政奉還は全然何もしてないよね」という話については、町田氏の本では「オリジナルな発想の提案」にかなり深く関わっていた可能性が指摘されています。
これも現代にあてはめてもわかるように、組織が「一つの策」に従って動いていく時って、「誰が発想のオリジナルか」みたいな事が完全にはわからない感じで、徐々に「定説」として共有されて大きな流れになっていく事が多いですよね。
Apple社が今世界中でザックザクに儲かってるiPhoneとかの「アプリ経済圏」ビジネスを他社に解放するのに最初スティーブ・ジョブズは反対だったって聞いたことがあるんですが、それでもそれを粘り強く実現に向けて動かして後々の巨大な儲けにつなげた「誰か」は確実にいたはずだ、みたいな話ですね。
それも「一人だれか特定の人」がいるんではなくて、「本当にゼロから発想して最初に言葉にした人」と、それを目ざとく見出して「それ良いじゃん!」ってなって何度も何度も熱弁して形にする役割の人もいる。そしてそれが形になってきたものを「正式な組織の方針」として決定する役割の人(Appleの場合はジョブズ)もいる。
「大政奉還」にまで至る流れは薩土盟約が結ばれた頃から一つの流れになっていたわけですが、「船中八策」自体の実在は否定されているけれども、その元となった「大条理」プランというものが当時の海援隊日誌の中に見られるらしいです。
これが「最初のオリジナル」かどうかはわからないが、「倒幕勢力の中の定説」の位置に押し上げられていくプロセスの中では龍馬の貢献がないはずはない、ぐらいの状況ではあるらしい。
2つの本を読んだ上での個人的な感想として、そもそもあれだけ「藩単位」で世界が動いている情勢の中で、その間を巧みに動き回ってネットワークし、実際の武器取引で結びつける事も含めた関係性を作っていった龍馬の存在があってこそ、この「薩長同盟」にしろ「薩土盟約からの大政奉還までの流れ」にしろが実現可能であったというぐらいは言えると思います。
(ただし、そういう立場の人は他にも何人かいて、それらの功績が龍馬一人のものに統合されてしまっている例もあるらしい。町田氏の本では、龍馬のストーリーでいつも過小評価されてる”饅頭屋長次郎”が実はすごい優秀な存在だったという論証がされています)
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4●「司馬史観」が歪んでいるのはどういう部分なのか?
で、ここまでのまとめ方をすると、いわゆる「司馬遼太郎の竜馬」がどういう風に実相とズレているのかがイメージできるようになってきたのではないかと思います。
昨今の「坂本龍馬はうさんくさい」というイメージは、この「司馬史観」自体が現代社会とズレていて、結果として「司馬史観の竜馬がうさんくさい」→「坂本龍馬(特に坂本龍馬が好きだと言うヤツ)はうさんくさい」という印象に繋がってしまっているのではないかという感じすら私は持ちました。
司馬遼太郎がもてはやされた時期の「かっこよさ・優秀さ」と、現代の「かっこよさ・優秀さ」に隔たりがあって、司馬遼太郎世界のかっこよさは漫画でいうと「課長島耕作」とか「サラリーマン金太郎」みたいな世界観だったと言えるんじゃないかと(笑)
むしろ、現代社会における組織の動き方を実態として知っている人ほど、史実の龍馬を知れば
…的ないわゆる「仕事デキル感」が湧いてきて、「うさんくさい印象」が払拭されるところがあるのではないかと思いました。
全体的に、司馬史観の現代に合わない部分は、以下のようにまとめられるかと思います。
むしろそういう「司馬史観」の「島耕作テイスト」が剥げ落ちた方が、現代人は坂本龍馬の強みを偽りなく理解できる環境になってきているようにすら思いましたね。
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5●織田信長の歴史的再評価も同じ流れがある
と、ここまで坂本龍馬の評価の変遷とその意味について見てきましたが、ちょっと似たような話が織田信長の話にもあるんじゃないかと思っています。
何年か前から、織田信長が実は「破天荒で革命的」な人物ではなく非常に常識的な人物だった・・・っていう説が出てきているという話をネットでちらほら見てたんですよね。
若い頃アホなフリして変な格好して練り歩いて百姓の子供と相撲取ってたみたいな話は史実みたいですが、その後大人になってからの
…こういうのは全部史実の裏付けが薄いそうです。
というか、現代人が普通に考えて、室町幕府や天皇の権威を利用するだけ利用した方が得策なのは間違いなくて、「それも全部否定する革命家信長」みたいな存在である方が「非合理的」ではあるはずなんですよね。
また、「楽市楽座」は信長の独創ではないし、「鉄砲三段打ち」は史実ではないそうですが、ただじゃあ信長が「革新的」でないかというと全然そんなことはないんですよ。
なんか「個別のアイデア」をいかに応用して国全体で採用し、徹底的に横展開して「仕組み化」していくか・・・みたいなところが本当の強みだというか。
「長篠の戦い」において、過去に思われていたほど武田軍と織田・徳川軍の「鉄砲の数」には差がない(勿論信長軍の方がかなり多いことは確かですが)ことがわかっているそうですが、
信長方の火薬や鉛玉は東南アジア産のものがかなり含まれている事がわかってきた
…という話を何年か前にNHKの番組で見ました。
要するに「鉄砲を揃える」ことは武田方も結構やってたんだけど、そこに使える鉛玉と火薬の面で、堺を抑えて当時のグローバルネットワークの中での物量作戦を展開できた織田方とは段違いだったってことですね。
要するに、
・無駄に権威にたてついてみせることが革新的と考えられていた時代
↓
・既にある権威や仕組みを否定せず使い倒して、全く違うレベルの広域ネットワークを利用して大きな物量を実現する事が革新的だと理解される時代
…という「社会の変化」があって、
・ハグレモノの個人が脳内でひねりだした”ぼくのかんがえたさいきょうの起死回生の策”
ではなくて、
・集合知的に色んな人が考えたアイデアの萌芽を統合し、スムーズに組織全体に横展開して徹底的にやる事が勝利に繋がる
…という理解になってきているのだと言えるでしょう。
これも、むしろ現代人からすれば、
「俺は神だ!将軍だろうが天皇だろうが逆らうやつは全員倒す!」
って叫んでる信長よりもよほど「本質的な革新性を持っている存在」だということが理解できるんじゃないかと思います。
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まとめ●2010年とは違う「本当の革新性」を共有できる社会にしていこう
「司馬史観」の限界は司馬遼太郎氏個人の限界というより(世紀の大天才エンタメ作家なのは間違いないと思うので)、当時の社会の認識力が”課長島耕作レベル”だったという受け手側の限界なはずなので、それがこれから時代に応じてアップデートされていく途中なのだと思います。
今後、現代の状況に合わせた、「新しい描かれ方」が、今後の大河ドラマとかで才能ある書き手によってなされていくのだと思います。(2018年の”セゴドン”は見てないのでよく知りませんが、小松帯刀がちゃんとメインキャラクターになっていたらしいのは新しい流れを反映していると言えるのかも)
で、2010年ごろが「司馬史観的な坂本龍馬のピーク」だとして、そこまでは「司馬史観における古いアナクロな変革者のイメージ」をみんなで追いかけていたところがあるわけですよね。
例えば、2005年に堀江貴文氏がフジテレビ買収しようとしてアレコレと揉めてましたが、その当時堀江氏が目指していたことと、2020年の「映画鬼滅の刃 無限列車編」の大成功を生み出したビジネスモデル上の工夫には共通点があるんですよ。
「テレビ局」が権利を持ちすぎている状態から分離して、どこかが一体的に握ってコンテンツを世界展開できる環境を整える必要があるという問題意識は同じだった。
ただ、2005年から2020年までの間に「変革者」のイメージが進化して、アニメ制作の事がちゃんとわかっている人が細かい現場レベルの問題も目配りした上で「変革」を起こしたので巨大な成果に繋がった。
堀江氏のような「資本の論理による改革」を潰してしまった事が日本の停滞を招いた…と考えている人も多いと思いますが、そういう「改革」を取るのか、「日本社会のオリジナルな安定性の維持」を取るのか「どちらか」を選ばないといけない時期を超えて、これからは「変化」も「日本らしさの維持」もどちらも可能になる流れに持っていけるはずで、堀江氏のような才能を潰す必要も徐々になくなっていくだろうということですね。
他にも、「坂本龍馬が大好き」と公言してた孫正義氏が菅直人政権を後押しして導入した再エネ固定価格買取制度(FIT)は、当初あまりに太陽光の値段が高すぎた事が、後々の日本の再エネ行政上良くない影響を持った・・・ということは、結構再エネ推進派の人も言ってたりするんですよね。
ドイツとかがなぜ脱原発できたかというと、色んな再エネがバランス良く伸びていて、特にバイオマスという「実は火力発電」の割合が結構あって、日本みたいに「太陽光一本足打法」みたいになってない事がアドバンテージのひとつになっている。
この問題は、「Aという案は正義の再エネ推進派の意見だから賛成」「Bという意見は悪の自民党の意見だから間違ってる」みたいな「尊王攘夷か開国か」レベルの話では全然適切に扱えないんですよね。
例えば逆に、今のような円安環境では、もういっそ「クソ安くなってきた太陽光パネルを余ったら電気捨てちゃってもいいぐらいの精神で増やしまくる」という作戦も今後ありえて、お日様照ってる時間だけでも燃料使わずに済めばその分中東やオーストラリアへの支払いが”直撃的に減る”という「再エネはめっちゃ国益」という要素もある。
一方でそれをやるには、「再エネのバックアップ用の火力発電所の維持費用」を再エネ側にも負担してもらわないといけないんだけど、この部分が再エネ推進派にめちゃくちゃ抵抗されてなかなか進まなかったんですよね。(最近やっとはじまりました)
要するに「正義の再エネ派と悪の自民党と東電」あるいは逆に「売国奴の再エネ派と愛国者の自民党と東電」みたいな、一昔前の世界観ではこの問題を適切に扱えない中で、ここ10年ずっと迷走してきてしまった側面がある。
でも、先日の「再エネタスクフォースの資料に中国企業のロゴが映り込んでたスキャンダル」以後、ヤバいと思ったのか再エネ推進派の中心人物である飯田哲也氏が毎日新聞に出ていた以下の記事は、
「今の日本の電力システムの現状」を無意味に全否定しないで、「明日からできる・関係者の多くにとって負担が少ない対策」について提案されていて「別人か?」って思ったりしました(笑)
っていうかこの飯田さんていう人も大昔の著作とか読むとすごいマトモな人だと思っていたので、「”ぶっ壊せ”型政治の時代」にオカシクなっていた人が徐々に正気に戻りつつ流れがあるんじゃないかと。
ただ、「お互い全否定しあって混乱していた」時期でも、まるっと10年単位で振り返ってみれば結局自然エネルギー財団が主張してきた北海道・東北と東京を結ぶ広域連携線の整備は実行される事に決まりましたし(これは長期的にはすごい大事な資産になるはず)、一方で再エネ推進派がゴリ押しすることで余計に安定供給が損なわれかねない施策はちゃんと拒否されてきた経緯もある。
つまり、「ほんとうに必要なこと」は最終的には採用されたし、「採用されるべきでなかったこと」は適切に拒否されてきたと言っていいんじゃないかと。そのプロセスは物凄い混乱して時間がかかりまくったという問題はあったにせよね。
だから四方八方から全力で引っ張りあいをして混乱した割には、徐々にではありつつも「あるべき姿」に向かって変わってきた10年ではあると思います。
だから今後はもっとスムーズにお互い協力しあえるようになっていけば最速で改革を進めていける情勢になるはず。(これは電力行政に限らず日本のあらゆる課題について言えることだと私は考えています)
要するに日本の電力行政も、
「俺達は善、あいつらは悪」みたいな「尊王攘夷論」レベルのエネルギーで混乱させられてきた過去十数年
↓
「ちゃんと色んな事情を全部テーブルの上に乗せて、最適な打ち手を協力して打っていく段階」
…に転換できる情勢まで来たってことです。
私が2012年に出した本で主張していたのは、「そういう連携」が縦横無尽に国内で共有できるようにならないと日本の復活はありえないということで、それをまさに『21世紀の薩長同盟』と例えていた本だったんですね。
以下記事の最後で書いたように、今はバラバラになってる専門家の知見をまとめあげて、一つの解決に導いていく「坂本龍馬的なコーディネーター」が今の日本には何千、何万人と必要なのだ、というのは、今回「史実の龍馬」について調べてみて改めて思いを強くしました。
このまま、「うさんくさいやつ代表の龍馬」でなく、「実際に歴史の中で大仕事を成し遂げた龍馬」のモードで、社会の中の問題を解決できる連携を次々と打ち立てていきましょう。
そういう発想を私は「メタ正義的な解決」と呼んでおり、よろしければ大きな社会問題から、実際に経営コンサルタントである私のクライアント企業でここ10年で150万円の平均給与を上げられた事例などを元に書いた以下の本もぜひよろしくお願いします。
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長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。
ここからは、今月読んでめっっちゃ良かった「ユニクロ」の本の話をします。
山口の宇部市の商店街の中にある住居と一体化した紳士服店だった存在が、二代目の柳井正氏の代になって巨大な「ファーストリテイリング」になった一代記・・・みたいな感じなんだけど、すごい「司馬遼太郎作品」的な面白さと、経営ノンフィクション的なリアリティが両方あってめっちゃ読ませる作品でした。
一代目の柳井等氏の時代から住み込みで働いている「丁稚奉公」的な出自の初期の社員さんたちの様子や、拡大路線を目指してからのメインバンクの広島銀行宇部支店長との確執とか、東京進出してからの「体育会系エリート商社マン」出自の人材たちや、世界展開するにあたっての中国人社員や米国人広告クリエイターとの関係とか、「群像劇」の感じがすごい「司馬遼太郎作品」ぽくて単純にめちゃ面白いです。
面白いだけじゃなくて、ユニクロというか柳井正氏の「強み」がどういうところにあるのか?みたいなのがすごいわかりやすいというか、「現代のビジネスマンが読んで共感できる司馬遼太郎テイスト」みたいな感じが良かったんですよね。
「現代のビジネスマンも共感できる司馬史観」における、経営者柳井正の「他にないすごいところ」はどういう部分にあるのか?というのを考察する記事を以下に書きます。
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2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個以上ある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。(これはまだ確定ではありませんが、月3回の記事以外でも、もう少し別の企画を増やす計画もあります。)
普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。
ここまでの無料部分だけでも、感想などいただければと思います。私のツイッターに話しかけるか、こちらのメールフォームからどうぞ。不定期に色んな媒体に書いている私の文章の更新情報はツイッターをフォローいただければと思います。
「色んな個人と文通しながら人生について考える」サービスもやってます。あんまり数が増えても困るサービスなんで宣伝してなかったんですが、最近やっぱり今の時代を共有して生きている老若男女色んな人との「あたらしい出会い」が凄い楽しいなと思うようになったので、もうちょっと増やせればと思っています。私の文章にピンと来たあなた、友達になりましょう(笑)こちらからどうぞ。
また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。
また、上記著書に加えて「幻の新刊」も公開されました。こっちは結構「ハウツー」的にリアルな話が多い構成になっています。まずは概要的説明のページだけでも読んでいってください。
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倉本圭造のひとりごとマガジン
ウェブ連載や著作になる前の段階で、私(倉本圭造)は日々の生活や仕事の中で色んなことを考えて生きているわけですが、一握りの”文通”の中で形に…
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