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尾崎が好き。その二




風 邪 の 神 覗 く 障 子 の 穴 目 か な



 五七五、の句だ。

 実は尾崎は、自由律に出会う前はこんな句も詠んでるんだけど、ここでは形式よりも中身を味わいたい。


 風邪の神ってなんだろう。誰なんだろう。


 ほんとに神様なのかもしれないし、風邪を引いた主人の息子、娘のことなのかもしれない。


 僕は最初に読んだとき、座敷わらしみたいなのを想像した。

 いたずらっ子みたいな風邪の神が、あのじいさん、ぼくが引かせた風邪で困ってないかな、なんて、こっそり覗いてる。


 死神とか疫病神が枕元にやってくるなんて話はあるけど、あんなのとは比べものにならないくらいの、ちびっこ死神、ちびっこ疫病神を思い浮かべると、くすっと笑ってしまう。



 覗く、障子、穴目。またここの言葉の選び方がいいんだ。風邪の神が、目をきょろきょろ、きょろきょろさせてる姿が目に浮かぶ。

 「覗く」のイメージはもちろんなんだけど、「穴目」も一役買ってる。「隙間」とか「破れ」じゃだめなんだ。穴目。ここにも目が入ってる。きょろきょろ、っていう擬音が含まれてる気がする。


 「障子」なのもいい。「ふすま」じゃないんだ。目目連(もくもくれん)っていう妖怪がいたのをふと思い出す。

 こういうやつ。

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 障子からいっぱいの目がこちらを覗いてる。これもやっぱり「きょろきょろ感」を演出してる。

 あとは、障子だと、直接見えるのは目だけだとしても、障子紙に映る影で存在感をたしかめられる。



 風邪の神、憎めないなぁ。ちびっこ疫病神。あのじいさんに風邪引かせてこい、お駄賃やるから、なんて、言いつけられて来たんだろう。鼻水垂らしながら来たんだろう。自分が風邪の神のくせに、鼻水垂らしながら。




 それにしても、風邪の神は「ほんとうに」いるんだろうか。



 もし、風邪の神が「いたらいいなぁ」という願望だったとしたら。


 家で寝込んでる主人は、一人で風邪を引いて、寂しさに浸ってるのかもしれない。


 障子の穴目。きっと綺麗な家じゃないんだろう。ボロ屋と言ってもいいのかもしれない。こんなボロ屋で、一人で風邪を引いて、なんて滑稽でみじめな自分。せめて、風邪を引いたのが、鼻水垂らした、おかっぱの風邪の神のせいだったらいいなぁ。

 なんて、思ってるんだろうか。



 そう考えると、最初はくすっと笑える風邪の神から、家主の孤独へと視線が移動して、にわかに切なさも帯びてくる。




 ストーカー犯罪や悪質な盗撮行為の増加によって、覗くという言葉にはマイナスのイメージが伴うようになってしまった。


 でも、この句の「覗く」は違う。


 寝込む床から障子の穴目を見上げる。


 風邪の神に覗かれてる気がする。


 おい、こっち覗くな。でも、そのまま覗いててくれ。





 次の句はこちら。

昼 寝 の 足 の う ら が 見 え て ゐ る 訪 ふ



 

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