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雨の日の家出
三歩進んで三歩下がって、また三歩進んで三歩下がって、それを一ヶ月間繰り返しているうちに、気づいたらようやく一歩進んでいる、そんな調子の娘です。
頭では理解できているものの、あの態度、あの表情、それは苦しかったこの一年の間に、恐怖として私の脳に焼き付いてしまいました。
娘がうずくまってシェルターに籠ってしまう態度。
嵐が早く過ぎますようにと、あからさまに無であることを知らしめる表情。
これだけ冷静に穏やかに娘と向き合うことができるようになったと言うのに、それはトリガーとなって、瞬間的に私の怒りのスイッチをオンにしてしまうのです。
初めて家出をしました。
娘に、お父さんと出て行け!と叫んで、叫んでごめん。ツムギが笑って暮らせるようにと3人暮らしを始めたのに、こんなにも笑顔じゃない日が多いのは、私が悪いのかな?と思ってね、それはツムギのためにならないのかな?って悲しくってね。私が出て行くよ。
仕事の荷物をまとめて、家を出て数歩進んだところで涙が出てきました。
後悔と反省の嵐。
とりあえず落ち着こうと座ったファミレスで、すぐに謝りのメールをしました。
娘も、さすがに思うところがあったのか、しおらしい返信をしてきました。
それでも、メールで仲直りをするには、娘はまだ幼過ぎて、段々と意味不明なメッセージが続き、しまいにはシェアハウス事件の発端となったポテチの約束を蒸し返し、ポテチ買ってくれてないじゃん!と攻撃してきたのです。
ポテチは買ってあったんだよ。
本当だよ。
スマホを打ちながら生ビール片手にポロポロと涙を流す私は、きっと男に捨てられた女にでも見えていたことでしょう。
ファミレスも閉店時間が近づき、居心地が悪くなったので席を立ちましたが、そのまま家に戻る気にもなれず、昼間娘がよく遊んでいる公園の中央に立つ大きな木の根元に座り、雨宿りをしながらボンヤリとブランコを眺めていました。
50にもなって何やってるんだろ。
とうに帰宅していた夫が傘を持って現れました。
家に帰ろう。
と。
話を聞くよ。
と。
やっぱり涙がポロポロと流れ落ちていきました。
また家出したっていいからね。
スイッチが押されそうになったら、距離を置いていいからね。
娘が聞き分けのいい子になることよりも、夫の理解が何より大切で、まだ家族でいられるな。と、ただいまをしたのです。