家族がほしかったんだと言うことを思い出した話
なんとなくネガティブな気持ちが続いていて、なんとなくネガティブなnoteばかり書いていて、ようやく、少しだけポジティブなnoteを書いてみた前回、ちょうど100本目だったようで、おめでとうございます!と言われました。
嬉しい。
ポジティブな気持ちになると、途端に世界が変わるんだなぁ、なんて、単純な私は喜んでしまいます。
今朝、昨日のゲリラ豪雨が嘘のように気持ちのいい空になって、洗濯物を干そうとしたら、すかさず夫が手伝いに来てくれました。
幸せ〜。
そう。私は母にもなりたかったけれど、家族がほしかったんだ。と、思い出しました。
洗濯干すのは、ひとりでも楽しい。
ツムギぃ〜、なんでパンツが一枚も出ていないのに、Tシャツとズボンがきっちり三セット出てるのよ!と思ったって楽しい。
なんなら、男物のパンツ干しながら、このパンツダッサ、早く捨てちゃえばいいのに。なんて思ったって楽しい。
ふたりで干すのはもっと楽しい。
幸せだなぁ、幸せだなぁ、他の住戸よりちょっとだけベランダの広いこの部屋がやっぱり好きだなぁ。と思ってニヤニヤしながら洗濯物を干すのです。
今日は娘のサッカーの試合の同行はママ友にお願いしてしまったので、その間に、娘の移動教室のための下着などを買いに行きました。
私が娘の下着を買うのは初めてのこと。
ちょっとだけ、大人になったな、と感じられるシャツとパンツを選びました。
できるだけ娘の好みに合うように。でも、私が納得できる可愛さとクオリティを兼ね備えているもの。
私が選ぶ下着を素直に着てくれる時期は、きっと短い。
下着を買うついでに、娘の夏用のベッドシーツを選んだり、娘の夏用のスリッパを選んだり。
大事にしてくれないならもう買わない!!とプリプリ怒るくせに、結局買い物に来ると買うのは娘の物ばかりなのです。
しばらく週休一日が続きそうだから、今日のサッカーはよろしくお願いしたいと、ママ友に頼りながら、来週は代わりに、Sちゃんとツムギを遊びに連れて行くわ!と、頼まれてもいないのに、自分から申し出たりして。
そう言えば、夏休みの海の宿泊体験や、親子歌舞伎教室も申し込まなくちゃ!とかね。
イベントごとをあれこれ見つけて楽しんで計画立てるところは、一番母譲りだなぁと思うところです。
夫と娘がいなければ、こんな楽しさはない人生でした。
ひとりはひとりで楽しいけれど、親を早くに亡くした私は、自分のためにしかない人生に飽きていたのです。
誰かのために役に立ちたい。
誰かとの制約の中で自分なりの楽しさを見つけたい。
さあ、どうぞ。
自分の時間とお金をすべて自由に自分のために使ってください!!と言う生き方は、一時は楽しいけれど、長く続くと虚しさを感じずにはいられなかったのです。
それを思えば。
娘の態度にイラつく日々も、娘のことで悩むことも、パワーは使うけれど、私が望んだ人生の一部であることは間違いありません。
凪のような、当たり障りのない関係の家族がほしかったのではないと思います。
幸せを装って、仮面を被る家族がほしかったのでもないと思います。
生々しく、個と個がぶつかり合いながらも、結局なんだかんだ言って家族じゃんね。と寄り添えるような、そんな家族を作っている途中なのだと、ようやく思い出しました。
必死に生きたなぁ。って、きっと死ぬ間際、振り返るのだと思います。
そしてきっとその枕元には、大切な家族が寄り添ってくれるのだと思います。
まだ大丈夫だ。