パーソナルスペース〜継子とはまだ他人の距離だと気づいた話
継子ツムギが中学生になって、こちらも少しずつ大人扱いをするようにしているので、彼女の方もここのところ、急激に成長したように感じています。
ただ、思春期特有の、こどもと大人を行ったり来たりがあるため、見ている私の感情がついていけないこともしばしば。
相変わらず、感情を揺さぶられる日々を送っています。
今月に入って、早起きをして一緒に朝ご飯を食べよう!と約束して、平日は6時に起きることにしました。
金曜日の夜、明日も6時に起きるかと聞かれたので、溜まった疲れと、休日だからと言ってあまり差をつけたくないという気持ちの狭間で、6時半ぐらいかな?という中途半端な答え方をして寝室に入っていきました。
本当は私も朝は超がつくほど苦手なの。
だけど、ツムギとの生活が始まって、自分でも直したいと思っている悪い習慣を、ツムギには身につけてほしくないと思ってがんばってきているのです。
6時半、スマホの目覚ましを消したのかどうかも思い出せないぐらいうつらうつらとした頭で、6時半ぐらいの『ぐらい』の時間をベッドの上で過ごしていました。
もう7時になっちゃうなー、起きなきゃなー。
そう思った瞬間だったか、トントンと寝室の戸が音を立て、「おはよう!」と、ツムギが扉を開けて顔を出しました。
ああ、成長したなぁ。
「おはようー」と返しながら、私は嬉しくなりました。
今まで、夫が夜勤で不在の休日に、私が起きずに寝ていると、自分のタイミングで起きたツムギは、好きなタイミングで好きなものを食べ、アニメを見たり絵を描いたり、起きてこない私を気にも止めず、自分のペースで時間を過ごしていたのです。
『カチャ』
え?
ツムギが寝室の扉のストッパーを止めた音がしました。
一気に心が曇った私。
無意識に、私が起きて着替えるまでの間は扉を閉めておいてくれるものと思っていたようです。
ついさっきまで、爽やかな朝を送るつもりでいたのに、なんなのだろう?このモヤモヤは。
ツムギはそのまま自分の部屋に行ってしまったので、寝起きの私を見られるわけではないのに、扉が開いたまま固定されてしまったと言うだけで、次の行動に移れなくなった私は、そこからさらに30分ぐらい頭をグルグルとさせた後、『意を決して』起き上がることにしました。
ツムギは悪くない。
わかっているのにモヤモヤも晴れない。
ひとりリビングに移ると、コーヒーを淹れ、ぼんやりした頭で、まだグルグルと考え事をしていました。
コーヒーを飲み終えたころ、ツムギがやってきて、私の横に立ちました。
無言で。
私の嫌いな『察して』の顔をして。
こども相手にそんなこと言っても仕方がないことは百も承知でしたが、ツムギがちょっと大人に近づいてきていることに気を許してしまったのでしょう。
「ツムギのふつうと私のふつうが違うの、難しいね」
今日のツムギなら、なんか言ってくれるんじゃないかと、淡い期待をしていたのかもしれませんが、案の定ツムギは、うんともすんとも言わず、後ろのソファーに腰掛けてしまいました。
困ったなぁ。
この後、何を話したらいいのだろうか。
長い沈黙を破ったのは、怒ったツムギの言葉でした。
「なんで急にこうなっちゃうワケ?なんで何にも言わないワケ?」
そうだよね。
そう思うよね。
毎日隣でご飯を食べたり、笑わせるためにコチョコチョしたり、ツムギが傷ついて泣いたときには自然にハグもしてあげられたし、家の小さなお風呂に一緒に入ることもできていた。
それでも、視力の悪いツムギが、私のスマホの画面を覗き込むために顔を近づけてきたときには思わず「近いっ!」と遠ざけてしまったり、仲良し従妹のこどもたちとは、未だに会えばこちらからハグして喜ぶのに、ツムギにそれをしてあげたことはなかった。
何が良くて、何がダメなのかはわからないけれど、私にはまだツムギに対して、家族の距離感よりも遠い距離感を持っているのだと気づかされてしまったようでした。
夜勤から帰った夫は、ドッと疲れて再びベッドに潜り込んでしまっている私を見て、またか、という顔をしながら、何があったかを聞いてきました。
きっかけは『カチャ』だったけれど、私が漏らした『ふつうが違う』は、やっぱり、家族としての土台がないからだ!と、それぞれに土台を築けている夫が中心になって土台を強固にしてくれないと、同じことを繰り返すだけだ!と、一生懸命に訴えたけれど、私の思いは夫には届かず、いつもの通り、ツムギと共に家族会議に召集されてしまいました。
促されるままに、『カチャ』前後の出来事も含め、淡々と話しました。
私がひとつ話すと、「それは合っているね?」「これは覚えているか?」とツムギに確認を取る夫。
「ツムギはどうしてストッパーを止めたんだ?」
『カチャ』まできたところで、夫がツムギに問いかけました。
「扉をね、開けたら、すごく強く風が吹いて、閉めるのも良くないかと思ったから、バタンと閉じないように止めたの」
なんの他意もない当たり前の答えが、ツムギから返ってきました。
確かに、長い長い酷暑がようやく終わりを告げ、いつもなら夫に閉められてしまう寝室の窓をここぞと開けて、部屋に入り込む冷たい空気を心地よく感じながら、私は睡眠を楽しんでいたのでした。
「だって。それを聞いて、ツムギはどうしたらよかったんだと思う?」
今度は私に問いました。
「風が強いから止めておくねって、言ってもらえたらよかったかもしれない」
一見理不尽とも取れる私の言い分を、二人はちゃんと聞いてくれました。
今これを書きながら、事あるごとに「言葉を口に出してね」とツムギに口煩く言ってきたのは、私のためでもあったのだと気づきました。
もちろん、自分の感情を口に出せなかったり、察して構ってを無言で訴えてきたり、言葉をぞんざいに扱うことなど、ツムギ本人がそういう大人になったら困るなぁという思いで注意してきたつもりだし、今でもそれは変わらないのですけれど、それは同時に私自身にとっても、重要なことだったのです。
一緒に住み始める前に、3回ぐらいしか会ったことのないほぼ他人の小さな女の子が、何を考えているか、何をしているかわからず、気がつくとスッと後ろに立っていたりするようなことに少なからず、本能的なストレスを感じていたのだと思いました。
ツムギも、もしかしたら、同じようなストレスを感じながら過ごしてきているのかもしれません。
けれども、私が見る限りでいくと、ツムギの本能は、他人と過ごす緊張感や不安感よりも、本能的に母親を求める方に振れたのではないかと思います。
甘えたいのに甘え方を知らないツムギ。
何を考えて、何をしているのかわからないのに、全力で甘えようとする、不器用で得体の知れない小さな人の存在が怖くて、私は、夢にまで見て得た大切なこどもを、どんどん遠ざけてしまっていたのだと思います。
なんと可哀想なことをしているのでしょう。
以前だったら、自分の言葉を発することができずに、苛立って怒っていたはずのツムギが、こんな理不尽な私に言いました。
「朝はごめんなさい。今度から、風が強いから止めておくねって言おうと思います」と。
彼女はもう、迷いなく、私を母だと信頼してくれているのでしょう。
謝らなくちゃいけないのは、私の方なのに。
ステップファミリーが本当の家族になるまでに7年が必要だと言われているそうです。
半分。
私の魂の、なんと警戒心の強いことか。
わからないから怖いんだ。
もっともっと一緒に過ごして、もっともっと話を聞いて、ゆっくりとでも家族という土台を築いていけばいいんだ。
「貴方が土台を築いてくれないとダメなんだよ!」なんて、大人げなく喚き散らしたけれど、夫の言った通りかもしれません。
「土台は意識して作るものじゃないんだよ。時間が経ったときに気づいたら積み上がっているものなんだよ」
道半ば。
私は私のペースで、ステップファミリーの道を歩んでいます。