お手伝いお願いね?
母の役割を担うようになってから、当然のように使っている言葉があります。
「お手伝いしてちょうだい」
今ではほとんど機能していない取り決めの中に、お小遣いの報酬制度があるのですけれど、私はこのときの「お手伝い」は、娘が自分のことだけをした場合は含みません。と、明言してありました。
だって、自分の生活のために必要なことをやってお金がもらえるだなんておかしいですもの。
「お手伝いお願いね」と何度言っても動かない娘を見ていて、不思議に思い始めました。
手伝いを必要としているのは、娘の方なのではないかと。
生まれてきてすぐに自立した生活ができないこどもたち。その生活を手助けしているのは親の方であって、成長と共にできることが増えてくれば、手伝う必要はなくなってくる。
本来であれば「まだこれはできないの。母さん、手伝ってちょうだい」なのではないのでしょうか。
買い物に行くのだって、メニューを考えるのだって、ご飯の支度をするのだって、一般的にその家の母役の人がやることが多いと言う社会の中で、勝手に役割を持たされているだけで、自分が生きていくために、例えばどうしたら食べていけるか、と言うのは、個々の問題だと思うのです。
今朝、確かに猛暑で食欲は落ちていたでしょうけれど、娘がグズグズと出された朝食のパンを食べなかったのは、嫌いなフルーツ入りのパンだったから。
他のパンもあったのに。
どれ食べる?って聞いたのに。
食べないならラップしておいて。とお願いしたら、なんでツムギがやんなきゃいけないのよ!とキレられました。
なんと贅沢な。
「ツムギが食べると思ったから下げなかったパンを、食べないならツムギに片付けてほしいんだけど。なんでツムギがやんなきゃには答えたわよ?逆に、なんで私が片付けなくてはいけないの?」
「誰でもいいじゃん!」
「誰でもいいならツムギでもいいんでしょ?ツムギがやらずに、そのままにして、パンを腐らせてもいいの?」
「いいもん!」
あ、そ。
じゃあ、すべて自分でやってください。と、今月分の食費を計算して、1,300円を渡しました。
好きなものしか食べたくない。
好きなことしかしたくない。
物が溢れた時代の子たちは、どんな社会人生活を送るのでしょう。
やり方なんて教わらなくてもスイッチポンでできるもん!
料理なんて簡単でしょ?YouTube見て真似するもん!
親なんていらないじゃないか。
あなたが生きていく中で、心や身体を傷つけないように、知っている知識を総動員して(知らないことを調べてまで)あなたを守りたいと思っているのに。
お母さんって、もっと素敵なことだと思っていたけれど、社会に担わされた役割はなんだかつまらない。
若い人たちがこどもを産みたがらないのも、わかってきたような気がします。
ぶら下がり過ぎなんですよ。お母さんに。
共に生きているだけなのに。