大学院に行って会得したものを書きます。
こんにちは、こんばんは。
今日は修論を書いているのですが、なかなか筆が乗らなくなってきたので、気晴らしに大学院で学んだことを書いておこうと思います。僕の大学院はMBAというやつで、経営を学ぶところです。そういう方向に興味がある人がいれば、何かの役に立てばいいなと思います。
1. 物事を色々な観点から深く見ることができるようになる
MBAに行って一番感じたのは、「大学院に行く前と比べて頭良くなったな」ということです。この「頭良くなったな」とは、物事を様々な観点から検討し、似ているものや似ていないものと比較し、1段も2段も掘り下げて考えられるようになる、ということを指しています。
体感的には、(もちろん相手のレベルにはよりますが)相手が練りに練った議論の問題点をかなり鋭いポイントから指摘し、改善や検討を行うことができるようになります。論破したいわけではないのですが、相手が暗黙のうちに置いている仮定や前提、使っているデータと話している内容の不一致、具体性がないなどなど、相手の話を聞いていると様々な問題点が頭の中に浮かぶようになります。
言い方を変えると、「現象の本質部分」を見ることができるようになる、とも言えます。現象の本質部分とは、議論の根本に存在する概念や前提、仮定のことを指しています。例えば、企業Aと企業Bは全く同じビジネスをやっているのに、なぜこうも差がついてしまったのだろうといった事や、この企業はブランド力もあるのに、なぜ失墜してしまったのだろう、といった事の原因や理由が推測できるようになります。
実際には、そうしたポイントは複数多岐に渡っていて、1つの議論に帰着できないことは往々にしてあるのですが、複数のポイントがどのような因果関係でどのように相互作用を及ぼし合い、その結果としてどのような現象が発生するのかが、少なくとも周りの人よりは見えやすくなります。こうした物事の本質部分が見えるということは、ビジネスでも趣味でも遊びでも、なんでも応用可能で便利な技術です。
この技術を使って、相手の議論を(不快にならない程度に)上手く突いていけば、頭がいい人として一定のポジションを築くことができるでしょう。ただし、世の中には自分よりも頭がいい人は山のようにいるわけで、さらにいい会社に勤めていれば自分と同じくらい頭のいい人はそこら中にいるわけなので、この頭の良さという武器は大した威力を発揮しません。
2. 錬金術師になれる
そこで議論や検討といった話から一旦離れ、自分が他の人にどうアピールするか、という観点から大学院での学びを書いてみたいと思います。
1で述べた分析力は、自分のプレゼンテーションにも応用可能です。具体的には、転職活動ならば自分がどういった価値を持っている人材で、貴社に入ることでどのような貢献が可能なのかを、他の候補者よりも明確かつ意味ありげに伝えることができるようになります。
これを極めれば、ほとんど捏造に近い経験をそれっぽく、ものすごい価値がありそうな感じで相手に伝えることができます。僕は、この類に属するもので、「何にも進んでいないけど、さも進捗がありそうに報告する」ことや、「全く価値はないけど、とんでもない可能性を秘めているようにアピールする」ことを、錬金術と呼んでいます。
言うなれば、頭が良くなるということは錬金術師になることを意味しており、実際僕の周りには錬金術師がたくさんいます。彼らは、自分の成果物やプロジェクトの結果の価値が非常に高いことをアピールするのがとても上手いです。僕なんかは騙されやすいので、すぐに信じてしまいます。そして厄介なのは、頭がいい人は大体錬金術を使ってくることです。世の中には錬金術がそこかしこに溢れており、自分の頭で相手の話をしっかり検討しないと、すぐに錬金術に飲み込まれてしまいます。
3. 構造化する力が高まる
最後に、1や2で述べたこととも関連してきますが、物事を構造化して考えたり伝えたりする力が高まります。もう少し簡単な表現に噛み砕くと、複雑な現象や難しい概念でも、最もシンプルな部分のみを抽出して、それらをつなぎ合わせることができるようになります。
この能力がないとどうなるかというと、大事なプレゼンテーションの場で「Aという施策が重要です!」と主張したにも関わらず、その根拠が明確に示せないために、主張の重要さがオーディエンスには伝わらないという結果になってしまいます。イメージとしては、外資系コンサルタントが作るプレゼン資料のような、図やグラフで施策や戦略の因果関係が明確に示されている状態を作ることで、自分が最も伝えたいことをシンプルに伝えることができるようになる感じです。
余談ですが、コンサル企業の作るプレゼン資料は見た目が美しいことが凄いのではなく、戦略や施策、各要因との因果関係が明確に分かりやすく示されていることが凄いのです。彼らの作るプレゼン資料の中身は、これからどういったアクションをすればどういった結果が得られるのかが、その過程を明らかにしながら作られているため、経営陣もその資料をベースに戦略を練ることができるというわけです。
構造化の技術が高まってくると、自分が見たい部分に対して意識的にフォーカスしたり、逆に全体を広く見るように視点を変えることができます。レイヤーアップとレイヤーダウンを好きなように使い分けられるようになる、という方が分かりやすいでしょうか。
別の具体例で言えば、森を見たときに、一本の木の細部を見ることもできるし、林を見ることもできる、はたまた森全体を見ることもできるし、隣の森と今見ている森を比較することができるなど、様々な階層レベルで物事を捉えられるようになります。1や2の技術があれば、どの階層レベルにおいても鋭い考えとわかりやすい伝え方が可能になるので、3つの技術は相互に影響し合っているとも言えます。
まとめ
要すれば、大学院という場所では「頭の使い方」を訓練するのが最も大きな意義になると思います(少なくとも一般的な大学院生レベルでは)。専門性を追求するというのはもちろんなのですが、その専門性以上に重要なのが、散々述べてきた頭の使い方であるように思います。
専門性自体は大学院ではなくても十分に身につけられますが、社会人になってからわざわざ考え方や議論の仕方、文章の書き方などを学ぶ機会はほとんどないと思います。全ての人にお勧めできるわけではありませんが、必要な人には大きな効果があるように思います。
思いついたことをふらっと書き留めていきます。