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海外で現場監督して感じたことと、逆に日本が変だと思ったこと

シンガポールやベトナムで、ゼネコン職員として非日系の業者と日々格闘して思ったことを、覚え書きとして。

・後から言い訳する(新しい理由が出てくる)、そして以前の発言に責任を持たない

 工事管理というのは非常にスケジュールにシビアな仕事で、日々の作業、ひいては時間ごとに仕事の調整が事細かく入るものだが、海外に来て驚いた事に、これが全然できない。しかも特定の悪徳業者ではなく、どの業者も一様にできない。

 事前に打ち合わせし、約束しても、いざ当日を迎えると守られない。なぜかと問うと、色々な理由が出てくる。たとえば、

―担当者が体調不良だった
ー他の業者の邪魔が入ってできなかった
ー現場が片付いてなかった
さらには、
ー雨が降ったから
など。

 しかも決まって非常に自信満々で言ってくる。「こう約束してたじゃないか」と問い詰めると「いやいや(こんな理由があったのに)出来るわけないじゃないか、知らなかったの?」とむしろ問い返される始末。日本での経験と比べて面の皮が厚い。とても厚い。厚すぎて顔が見えないくらい厚い。

 適宜問題があれば報告する、何とか約束を守る、といういわゆる「ホウレンソウ」がそもそも醸成していないので、何でもこちらが問いかけてみて初めて露見する。そして一旦約束を破られてしまえばすべて後の祭り、いくら問い詰めても意味がない。

 でもここでキレているだけでは解決しない。ただただストレスが溜まっておしまいになる。

 気付いたのは、どうやら、それは彼らからすると自分たちの仕事ではない、ということのようだ。だから「海外の業者は全然使えない」とか言ってても解決しない。「できない」のではなく「やろうと思っていない」あるいは「そんなやり方知らない」というのが正解だと思う。彼らの仕事が予定通りできるよう段取りするのがゼネコン、言われたまま動くのがサブコンだと言うのが彼らの認識になっている。その目線で見れば、彼らの言動は別に間違っていないのだ。

 そして、自分の想像以上にその割り切りがハッキリしていた。コミュニケーションも調整も全てはゼネコン次第で、言われなければ言う必要が無い、と考えている。でも当然ながら、全部の業者が、自分の希望通りのやり方で(我が物顔)で仕事ができる現場など存在しない。それでも彼らは、自分らの仕事は自分らの希望通りに進められる権利がある、と少なからず思っているようだ。

 しかし逆に考えれば、これはむしろ日本の協力会社が非常に良くしてくれるので、ゼネコンが調子に乗っているとも言える。日本がおかしいのでは?と考えればあながちおかしくない話なのだ。日本のゼネコンはもっと彼らに感謝したほうが良いと痛感した。

 彼らの行動原理に則して色々と調整する必要があるので、日本よりも神経を使う。ただ、現地のやり方に倣うだけでは日本の会社として来る価値も無いし、やはり「ホウレンソウ」がタイムリーに行われれば、お互いにとって後々無駄に口論しなくて良いので、その辺りは理解してもらいたく何度も言って聞かせている。しかしながら今はまだ、
「I’m doing my best (もうやれるだけやってます的な意味で)」
と言われ続けているので、まだまだ先は長そうだ。

・結果論で品質担保(しようと)する

 品質などの管理で時折揉めるのが「結果オーライ」な時。守るべき仕様や然るべき検査などを(注意しないと)すっ飛ばしてくる時がある。非常に問題なので注意するのだが、大概「なんで?見てくださいよ問題なく使えてるでしょ?」と返される。

 そんなので将来の保証などどこにあるというのか。ということで然るべきチェックのプロセス管理について、何を確認するか、だけでなく何故確認するか、確認しないと何が起こるのかを理解して貰う必要がある。

ただ、このプロセスは一見、日本での業務に比べて時間やエネルギーの浪費とも取れるが、一方で「やる理由」を再考する機会と考えると、日本の慣習的になんとなくやっていたことの理由や、あるいは無駄の発見にもつながるので、メリットでもある。

・契約を盾にする

 業務範囲も責任区分も全ては契約次第。どんなに常識外れでも書いてなければやらないし、それ以上のパフォーマンスは発揮しない。

 日本では良くも悪くも「契約」より「関係性」を優先する時がある。お得意さんだとか重要顧客だとか。シンガポールも全く無いわけではないものの、日本からすれば過剰なほど契約がものを言う。逆に見れば日本の「関係性」への執着は異常に見えるのかもしれない。

 どちらも一長一短あると思うが、コンプライアンス等々を考えれば日本のほうが間違っているとも言える。長い目線で付き合いたいから多少の我慢もやむ無し、と言った感じに思える。ブラック企業が出てくるのも頷ける。

 シンガポールが多民族国家であるが故なのかとも思う。様々な文化・人種が入り混じっている中で、お互いの常識は通じないし、そうなれば「ルール」が絶対になる。シンガポールという国家自体、ガム禁止など法律が厳しい事で有名だ。それは多民族をまとめてこれだけ先進的な国に発展させるため、それだけの拘束力が必要だったからとも考えられる。「ガムの吐き捨てなんて常識的にダメだよね」なんて言ったところで、日本の歩道を見ればいかにそれだけで守ることが難しいのかが分かる。何でも縛り付ければ良い、という話ではないが、それだけ明確なルールや契約が多民族国家では重視されているということを、海外に出るなら注意したほうが良い。

・すぐCannot、Impossibleって言う。

 とにかくやれない理由を見つける。できない理由というのは見つけやすい。そして、どうすれば解決するかを考えない。

 考えないならとこちらが頭を絞って提案しても、できないとしか言わない。そちらが専門業者で、こちらがゼネコンであるから、基本的には専門業者のほうがその道のプロ、と認識しているが、どちらかといえばこちらから提案することが多い。「検討してみる」と言うときもあるが、「検討の結果できません」と言われるのがほとんどだった。

 例えば、揚重(クレーンでものを運ぶ)業者が、当初(彼らが自分で)検討していた搬入計画が実施できず搬入できない、と言ってきた。なら解決しようと詳しく聞こうとするも「説明が難しい」と言う(説明をめんどくさがる)。あまりに何も出てこないので、こちらからあれこれ提案したが「これでどうやって出来るのか現場でやって見せてくれ」「そんな提案で揚重の事を知っているのか」と逆ギレ気味になる始末だった。何が専門業者か。

 あまり問題解決について自分ゴト化をしたがらない。これは次項によるものではないかと思う。

・自分の範疇しか見ない

 建てて終わりじゃない、将来のメンテナンスなども施主が気にすると言うのは、例えばそれが自分の家を建てる場合だったらと考えれば非常によくわかる話で、ゼネコン(設計)サイドとしてももちろん気をつけなければならない事なのだが、下請け業者が棚に上げてしまう。

 契約の範疇外と考えているようで、当座の完成だけをまずは目指しているのだから、メンテナンスの検討など、直近の自分たちの業務に入らない事に関しては非常に消極的となる。

 そういう類の検討の相談を持ちかけても全然返事が来ない。

 ひどい業者からは「メンテナンスの問題は将来メンテナンスの時の担当者がその時考えます」「将来はもっとメンテナンスし易いものがきっとでてるんじゃないですか?」と言われたことすらある。

 彼らの立場からすれば、非常に明確に線引をしていて、余計なことを背負い込まず、リスクを回避するという点で上手く立ち回っているとも言える。

 よく自分ゴト化と言うが、それで潰れる日本人ならむしろこれは見習って良いと思う。背負い込みすぎるべきではなく、本当に必要なもの以外は思い切って断捨離しても良いと思う。

 ただこれがまかり通っているのは、どの業者も一様にそのようなスタンスを取るからではないかと思われる。さもなければ、悪印象で仕事が回って来なくなり、長期的には不利益につながるのではと思うが、特にそこを心配する様子はない。目先の利益だけを追っているようにも見え、日本では難しい気もするが、いくらか取り込んだ方がむしろ健全なように思う。

・セクショナリズム

 前項にも通ずるが、会社の一員として、という意識の薄さを感じる。日本人として組織を大事にする(悪く言えば縛られる)感覚で言えば、決して「○○社の看板を背負ってる」という感覚で仕事はしておらず、あくまで個人として与えられた役割を全うしているという感覚であるようだ。個々人のアイデンティティがしっかりしているとも言えるかもしれない。

 社会貢献のために献身しているわけでもなければ(そういう人も居るけれども)、まずは自分が食べていくための仕事であるので、与えられた役割分の仕事だけして、余計なことはしない。役割はマネジメントが与えるので、この采配の出来不出来が会社のパフォーマンスにつながる。

 これが悪い方に働くこともままある。一緒に仕事をした業者の現場担当者(現場代理人)だが、なぜかコストの決定権がなく、人員追加等の対応の権限もなく、工程を書いても決定ができなかった。毎度「マネジメントに確認します」「それはマネジメントに言ってください」と言う。だがマネジメント陣はこちらが特に強く呼び出しでもしなければ現場に来ず、現場のスピード感からすれば非常にフラストレーションの溜まる会社であった。
現場担当者に現場の決定権が無くて何をするというのか。

 ただ、この会社が特殊なのでなく、少なからずそのようなスタンスがどの会社でも見られる。自分のいた現地法人の組織でも、自身の範疇以外にも気を使うとか、念のため情報共有しておくとか、根回ししておくとか、そういった事をする現地スタッフはほとんど居なかったといっていいと思う。同じ会社内であっても丸投げだったり、たらい回しだったり、棚上げだったりが横行するのが常であった。

 ただ、これはむしろ日本人として海外で働くにあたって、他にはできない細やかな気配りで活躍できる好機とも取れる。一方でそれが苦手な人にとっても働きやすいと考えられるし、前向きに捉えられるのではないか。


と、慣れない環境でフラストレーションも度々溜まったけれど、見方を変えると筋が通ってたり、日本が変だと思ったりしたので、こういった気付きも海外勤務の良さなのかもなとも思う。


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