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エネルギーロスの正体は感情の滞留?

こんにちは。
このnoteでは、コーチングの学びから感じた、楽しく豊かに生きるヒントを言葉にしてみたいと思います。

「納得はしていないけれど、理解はしました」

20年以上、人事の仕事をして何度も聞いた言葉。
社員やマネージャと評価や人事異動、会社の制度について色々な話をするんですが、一人ひとりの意見や希望はいつも叶えられるとは限らないわけですね。
会社の方針、経営者の意向、全体最適の観点からの決定を理解してもらわないといけない場面は多々ある。
そんなときによく聞いた言葉です。

その理屈はアタマでは分かったというわけ。
そして「これ以上話をしても無駄だということが分かりました」とも言っている感じですね。
でも腹落ちはしていない。モヤモヤが残っている。スッキリしていない。
こういうことって社会の中を生きていく中でよくあることだと思います。

ガマンは美徳?

会社組織などの人の集団で周囲と関わりながら生きていく上では、自分の意見や感情を抑制しながら、協調的であることが必要だということは、多くの人に常識だと思われていることでしょう。
・人とぶつかってばかりいてはいけない
・自分の意見を押し通してはいけない
・感情的になるのは子どもっぽいことで良くない

不満の気持ちや怒りの感情を抑えて、人とうまくやっていく。
社会で生きていくためには必要だとアタマでは理解しながらも、ときに大きな疲労感や虚無感に駆られることがあるので気を付けましょうというのが今回の話。

ブレーキとアクセルを同時に踏む

感情を抑えてアタマでの理解に従って生きていくと、ときに疲労感や虚無感を覚えるのは、エネルギーが枯渇してしまうから。

車でいうと、ブレーキを踏んだまま同時にアクセルを踏んでいるような状態。余計なエネルギーを使っているから、そりゃ疲れるに決まっています。
何か重たいものを自分の内側で抱えながら走っているとも言えるし、
「ちょっとまだ前に進まないでよ」と小さい子どもが背中にしがみついているとも言えます。

協調性が必要であると小さい頃から教わってきた私たちは、自分の気持ちや感情を抑えて行動するということを日常の中で繰り返し、そのスキルに巧みになっていく。
そしてこの磨き込まれたスキルは、本人が意識しなくても作用する自動制御装置になっていきます。
気持ちや感情が芽生えても、そこにアクセスするのを無意識に回避し、世の中の常識と思われていることや、人の集団の中で求められていることを理解するためにアタマの世界にアクセスするということを、自動反応的にやっているわけです。

だけど、ココロの内奥で生まれた気持ちや感情は、本当はもっと感じてもらいたがっている。

それは、自分の実力が認められていないことの悔しさかもしれない。
それは、自分ばかりが苦労していることへの怒りかもしれない。
それは、勝負に挑んで負けてしまうことへの恐れかもしれない。

もっと感じてもらいたがっているのに無視されるから、背中にぶらさがって引き留めて訴えているわけです。「まだ前に行かないで、こっちを見てよ」と。

これがエネルギーロスの正体です。
この状態で進み続けるからどんどんエネルギーが失われ、どこかでガス欠を
起こしてしまう。
モヤモヤが晴れなかったり、新しい行動を起こす意欲が出てこなかったり。
ときには頭痛や肩や腰のコリ、便秘や下痢などの身体症状として現れることもあります。

聞き手の存在 -愚痴のススメ-

もちろん、社会の中で人との協調は必要でしょうし、うまく機能しているときは問題ありません。
だけど、何か疲れや虚しさを感じていたり、前に進むエネルギーが足りないと感じたら、ちょっと立ち止まってみてはどうでしょう。

・自分は本当は何を感じているのか?
・もっと感じられたがっているものは何か?
・どんな子が背中にぶらさがっていて、何を訴えているのか?

それを誰かに聞いてもらいましょう。
問題解決しなくてよい。
安心安全の場で、ただただ気持ちを話すだけでよいのです。

聞いてくれる人の存在は、一人で頑張っていたときは自動抑制されていた気持ち・感情へのアクセスを開放してくれる作用があります。

そうすることによって、聞き手が共感してくれるだけでなく、それまで十分に感じてもらえなかった感情を自分自身がしっかりと味わってあげることを許しているのです。
だから、愚痴をこぼすことはココロのバランスを保つのにとても大事なのです。

エネルギーの循環を取り戻す

実は、自分が何にモヤモヤを感じているのか、自分でも分からないときも少なくないものです。
何が原因なのかは分からないけれど、なぜか前に進むエネルギーが出ないときは、何かがココロの奥でもっと感じられたがっているのかもしれません。

そんなときはコーチやカウンセラーに話を聴いてもらうのも一つの選択肢です。
鍼灸師や整体師がカラダのコリをほぐす専門性を持っているのと同じように、コーチ、カウンセラーは専門的な技術によって、あなたのココロの中に留まっているものを一緒に探求してくれるでしょう。
ココロの奥で滞留していたものが十分に感じられたとき、その役目を果たしたかのように洗い流されていき、エネルギーの巡りが取り戻されるのです。

どのようなアプローチでココロの中を探求するのか、それはまたの機会に。
コーチングやカウンセリングが、針灸院や整体院のように気軽に使える世の中になったらいいなと思っています。

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