PLANKTONは野口恵太によるクリエイティブスタジオです。アートブックの出版や作品制作、販売などなど。 野口恵太のHPはこちら www.keitanoguchi.com

  • NEUTRAL COLORS4/5

    NEUTRAL COLORS issue4と5の表紙オリジナルプリント。 アクリルマウントになっており、壁掛けで飾ることができます。 フレームサイズ 336x247 mm 印刷方法 印画紙に発色現像方式印画 アクリルマウント 撮影年 2024 プリント制作年 2024 エディション フリー

    99,000円

  • Desk

    アムステルダムにあるRoma publicationのRoger Willemsのデスク。 人の個性が現れるのは、デスクの脇、カーペット、そして靴。 アクリルマウントになっており、壁掛けで飾ることができます。 フレームサイズ 435x233 mm 印刷方法 印画紙に発色現像方式印画 アクリルマウント 撮影年 2022 プリント制作年 2024 エディション フリー

    45,000円

  • Pot

    シンガポールにあるTemporary pressのスタジオに訪れた際に窓際に置いてあった鉢。誰に見せるわけでもないが、でもそこに愛情はある。いつかふと思い出すのはこんな景色なのかもしれない。 アクリルマウントになっており、壁掛けで飾ることができます。 フレームサイズ 435x233mm 印刷方法 印画紙に発色現像方式印画 アクリルマウント 撮影年 2023 プリント制作年 2024 エディション フリー

    45,000円

  • Sign language#001

    中国の雲南省昆明で出会った家族。両親はろう者で息子と手話でコミュニケーションを取る。 息子は聴者だが、親と話す時は手話で話す。息子が語る手話を一心に見つめている両親の眼差しは、どんな言葉よりもはるかに強く息子の心に残るだろう。 アクリルマウントになっており、壁掛けで飾ることができます。 フレームサイズ 336x247 mm 印刷方法 印画紙に発色現像方式印画 アクリルマウント 撮影年 2024 プリント制作年 2024 エディション フリー

    45,000円

  • 和紙#001

    「NEUTRAL COLORS issue4」の和紙取材。 和紙職人千田さんの動きはどれを取っても無駄がなく、美しい所作でした。 職人が反復的に繰り返す動作に美があると感じています。 アクリルマウントになっており、壁掛けで飾ることができます。 フレームサイズ 435x233 mm 印刷方法 印画紙に発色現像方式印画 アクリルマウント 撮影年 2022 プリント制作年 2024 エディション フリー

    45,000円

  • Berlin

    2022年、雑誌「NEUTRAL COLORS issue4」の撮影で訪れた街ベルリン。 街中には至る所に展示のポスターが貼ってあります。小さなギャラリーから国立美術館までアートに溢れていて、小さな子供を連れた家族が気軽に足を運んで美術に触れている様子は、こんな街の一角の風景からも伝わってきました。 アクリルマウントになっており、壁掛けで飾ることができます。 フレームサイズ 435x233 mm 印刷方法 印画紙に発色現像方式印画 アクリルマウント 撮影年 2022 プリント制作年 2024 エディション フリー

    45,000円

  • アルバニアのアンティークラグ

    アルバニアで見つけたアンティークラグ。現地で聞いた話では、家庭用に一点ずつ作られたものみたいです。柄とフリンジが可愛くて一目惚れしました。 作られてから何十年も経過しているので穴が空いていたり防腐剤の匂いが少しします。でもこの柄とサイズがどうしても欲しい!という方にはぜひおすすめです。 お店とかで土足で利用できる環境下だと良さそうです! ウール100% サイズ 265cm x 56cm

    19,800円

  • ボスニアヘルツェゴビナの小さな村のクッションカバー

    ボスニアヘルツェゴビナの小さな村で作られたハンドメイドのクッションカバーです。 ボスニアでラグを探していたら地元の人にある村に行くように言われました。 首都から1時間半ほど車で走った山奥の村に着くと、おばあさんが玄関先で編み物をしていました。そのおばあさんが家の奥から自家製のクッションカバーを譲ってくれました。 3枚目はイメージです。 ウール100% クッションは付いていません。 サイズ 83cm x 40cm

    6,600円

  • アルバニア北部ルームシューズ青と赤い花

    旅の途中に訪れた国「アルバニア」 アルバニアはヨーロッパの中でも貧しい国の一つと言われています。でも、近年はアルバニアのビーチを求めて多くの観光客が訪れていて、とても賑わっています。 また、アルバニアはラグでも有名です。ウールを手織り機にかけて一つ一つ今もハンドメイドでつくられています。 このルームシューズも同じお店でハンドメイドで作られていました。 ウール100% 全て1点ものです。 サイズ 39 一回り小さいので24.5cmでピッタリです。 このサイズよりも小さいサイズの方は靴下で重ね履きが可能です。 ※歪みや色むら、裁縫のずれがある場合があります。

    8,800円

  • アルバニア北部ルームシューズ紅色の花

    旅の途中に訪れた国「アルバニア」 アルバニアはヨーロッパの中でも貧しい国の一つと言われています。でも、近年はアルバニアのビーチを求めて多くの観光客が訪れていて、とても賑わっています。 また、アルバニアはラグでも有名です。ウールを手織り機にかけて一つ一つ今もハンドメイドでつくられています。 このルームシューズも同じお店でハンドメイドで作られていました。 ウール100% 全て1点ものです。 サイズ 39 一回り小さいので24.5cmでピッタリです。 このサイズよりも小さいサイズの方は靴下で重ね履きが可能です。 ※歪みや色むら、裁縫のずれがある場合があります。

    8,800円

  • アルバニア北部ルームシューズ さくらんぼ

    旅の途中に訪れた国「アルバニア」 アルバニアはヨーロッパの中でも貧しい国の一つと言われています。でも、近年はアルバニアのビーチを求めて多くの観光客が訪れていて、とても賑わっています。 また、アルバニアはラグでも有名です。ウールを手織り機にかけて一つ一つ今もハンドメイドでつくられています。 このルームシューズも同じお店でハンドメイドで作られていました。 ウール100% 全て1点ものです。 サイズ 39 一回り小さいので24.5cmでピッタリです。 このサイズよりも小さいサイズの方は靴下で重ね履きが可能です。 ※歪みや色むら、裁縫のずれがある場合があります。

    8,800円

  • アルバニア北部ルームシューズ白い花

    旅の途中に訪れた国「アルバニア」 アルバニアはヨーロッパの中でも貧しい国の一つと言われています。でも、近年はアルバニアのビーチを求めて多くの観光客が訪れていて、とても賑わっています。 また、アルバニアはラグでも有名です。ウールを手織り機にかけて一つ一つ今もハンドメイドでつくられています。 このルームシューズも同じお店でハンドメイドで作られていました。 ウール100% 全て1点ものです。 サイズ 42 一回り小さいので26.5cmでピッタリです。 このサイズよりも小さいサイズの方は靴下で重ね履きが可能です。 ※歪みや色むら、裁縫のずれがある場合があります。

    8,800円

  • アルバニア北部ルームシューズラベンダー

    旅の途中に訪れた国「アルバニア」 アルバニアはヨーロッパの中でも貧しい国の一つと言われています。でも、近年はアルバニアのビーチを求めて多くの観光客が訪れていて、とても賑わっています。 また、アルバニアはラグでも有名です。ウールを手織り機にかけて一つ一つ今もハンドメイドでつくられています。 このルームシューズも同じお店でハンドメイドで作られていました。 ウール100% 全て1点ものです。 サイズ 42 一回り小さいので26.5cmでピッタリです。 このサイズよりも小さいサイズの方は靴下で重ね履きが可能です。 ※歪みや色むら、裁縫のずれがある場合があります。

    8,800円

  • アルバニア北部ラグ

    旅の途中に訪れた国「アルバニア」 アルバニアはヨーロッパの中でも貧しい国の一つと言われています。でも、近年はアルバニアのビーチを求めて多くの観光客が訪れていて、とても賑わっています。 また、アルバニアはラグでも有名です。ウールを手織り機にかけて一つ一つ今もハンドメイドでつくられています。そんなラグをアルバニア北部の村に訪れた時に見つけました。 全て1点ものです。 サイズ 97cm x 49.5cm x 5mm ※歪みや色むら、裁縫のずれがある場合があります。

    14,000円

  • アルバニア キリムラグ

    旅の途中に訪れた国「アルバニア」 アルバニアはヨーロッパの中でも貧しい国の一つと言われています。でも、近年はアルバニアのビーチを求めて多くの観光客が訪れていて、とても賑わっています。 また、アルバニアはラグでも有名です。ウールを手織り機にかけて一つ一つ今もハンドメイドでつくられています。そんなラグをアルバニア北部の村に訪れた時に見つけました。 全て1点ものです。 サイズ 97cm x 49.5cm x 5mm ※歪みや色むら、裁縫のずれがある場合があります。

    14,000円

  • アルバニア北部ラグ

    旅の途中に訪れた国「アルバニア」 アルバニアはヨーロッパの中でも貧しい国の一つと言われています。でも、近年はアルバニアのビーチを求めて多くの観光客が訪れていて、とても賑わっています。 また、アルバニアはラグでも有名です。ウールを手織り機にかけて一つ一つ今もハンドメイドでつくられています。そんなラグをアルバニア北部の村に訪れた時に見つけました。 全て1点ものです。 サイズ 60cm x 30cm x 5mm ※歪みや色むら、裁縫のずれがある場合があります。

    9,000円

  • アルバニア北部ラグ

    旅の途中に訪れた国「アルバニア」 アルバニアはヨーロッパの中でも貧しい国の一つと言われています。でも、近年はアルバニアのビーチを求めて多くの観光客が訪れていて、とても賑わっています。 また、アルバニアはラグでも有名です。ウールを手織り機にかけて一つ一つ今もハンドメイドでつくられています。そんなラグをアルバニア北部の村に訪れた時に見つけました。 全て1点ものです。 サイズ 52.5cm x 31cm x 5mm ※歪みや色むら、裁縫のずれがある場合があります。

    6,000円

  • 28

    タイトル:28 著者:Melody Noguchi 発行:PLANKTON 判型:200x144 mm 項数:36ページ 仕様:中綴じ製本 部数:200(エディションナンバー入) 彼女は若かった頃の自分を振り返り、彼女にとって非常に重要な二つの異なる場所(イギリスと中国)の写真を記録しています。「私はこの二つの国の対比が好きです。私にとって、一つは後悔に満ちていて、もう一つは興奮とチャンスに満ちています。」 このzineはカラーと白黒写真で構成されています。 白黒フィルムは感光して、ユニークな模様を作り出しています。 「最初は写真が台無しになったと思い、数年間放置していました。しかし、再び写真を見直した時、ダメになったと思っていた写真がまさに私の気持ちを表していることに気付きました。不完全だけれども美しい。それはまさに今までの私の人生を表しているかのようでした。」

    800円

  • BLIND

    タイトル:BLIND 著者:Keita Noguchi 発行:PLANKTON 判型:297x210 mm 項数:100ページ 仕様:ダブルリング製本 価格:6,000円+税 部数:200(エディションナンバー入) ISBN:978-4-9910972-1-8 野口恵太による新作アートブック"BLIND"。価値観や新たな視点をテーマに制作された。装丁はダブルリング製本でページは透明フィルムにプリントされた写真とトレーシングペーパーにプリントされたバーコードが交互に配置されている。表紙は透明フィルムに裏側からシルクスクリーンを施し、本文の見開きページにも同様にシルクスクリーンがプリントされている。全て1冊ずつ作家によって制作されるアーティストブック。テキストは日本語と英語。作家自身のレーベルPLANKTONによる発行。エディション200の限定販売。 以下テキストより抜粋 現代ではバーコードは物の価値を示す指標として、ありとあらゆるものに付されている。自分も知らず知らずのうちに自分自身が持つ価値基準《バーコード》を通して世界を見ていることに気付いた。時にその《バーコード》は対象の本質を覆い隠してしまうほど僕を盲目にさせたり、気付かないうちにうっすらと薄いフィルターとして存在していることもある。完全にフィルターのない目なんて持つことは出来ないし、その状態で対象を見えたつもりになっているのは、いかにも滑稽に思えた。一体見えているとは?その疑問の答えは得られていないが、対象を完全には見れていないという前提で世界を見るなら、新たな視点を生むきっかけにはなるかもしれない。BLINDのままでいるか、BLINDを開くかは結局のところいつも自分次第なのだ。

    6,600円

  • FLOWER{サインなし}

    FLOWERは無自覚の美をテーマに撮影した花の写真集です。 刻一刻と変化する光と花は時に曖昧に、時にくっきりとその姿を見せた。 造本は限りなくシンプルな”白い箱”のようなつくり。 ステートメントより抜粋 花は不思議な存在だった。 目も付いていないのに、どうしてこんなに美しい色と形を着飾ることができるのだろう。 ふと目を天井に向けると透明で柔らかい木漏れ日が差し込んでいた。 風が吹くたびに揺らいで変化する光が花の姿と重なった。 作者:野口恵太 装丁:加納大輔 編集:加藤直徳 発行:NEUTRAL COLORS 判型:A4正寸 290x210x9.5㎜ 項数:64ページ 仕様:ENバインディング ISBN:978-4-909932-04-4 C0472

    3,850円

  • FLOWER{サイン入り}

    FLOWERは無自覚の美をテーマに撮影した花の写真集です。 刻一刻と変化する光と花は時に曖昧に、時にくっきりとその姿を見せた。 造本は限りなくシンプルな”白い箱”のようなつくり。 ステートメントより抜粋 花は不思議な存在だった。 目も付いていないのに、どうしてこんなに美しい色と形を着飾ることができるのだろう。 ふと目を天井に向けると透明で柔らかい木漏れ日が差し込んでいた。 風が吹くたびに揺らいで変化する光が花の姿と重なった。 作者:野口恵太 装丁:加納大輔 編集:加藤直徳 発行:NEUTRAL COLORS 判型:A4正寸 290x210x9.5㎜ 項数:64ページ 仕様:ENバインディング ISBN:978-4-909932-04-4 C0472

    3,850円

  • PLANKTON No 1

    PLANKTONは世界に散らばっている美しきものを集めた写真集のような雑誌です。 No 1 ではポルトガルの人々と風景をまとめました。 この地で見てきた人、自然、街には生命が溢れていました。 言葉を換えれば美しきものであふれていたのです。 210 x 250 mm ガンダレ表紙 66 pages ¥2300+tax ISBN 978-4-9910972-0-1

    2,530円

  • BLINDシルクスクリーン A2ポスター

    BLINDのシルクスクリーンA2ポスターになります。 限定150枚のエディションナンバー入り。 A2:420×594mm

    3,500円

  • FLOWER #10

    Year:2019 Materials:UV print on synthetic material film/合成素材フィルムにUV印刷 Image size: H180 x W120 cm Edition:1/5+AP Statement -It was 2016 in Qingdao, China. I was sinking into a large cushion in the sunroom of a friend's store, watching the shadows of the leaves swaying as the sun's rays filtered through the acrylic ceiling. I was trying to turn away from the loneliness of living abroad and the impatience of not having a job. Until then, I had been taking pictures of flowers that bloomed modestly on the side of the road.It was as if they didn’t want to be found. Suddenly, I thought of photographing them on the ceiling of the sunroom. The photos that came out of the developing process showed transparent, straight flowers that I had never seen before. I honestly felt that they were unconscious and beautiful. The photos gave me back a little confidence and dramatically speaking even a ray of hope. I felt as if the flowers were telling me that life is not something to be dressed up. A few years later, I started photographing flowers again in Japan. This time, while shooting, I felt something was missing. I felt an obsessive need to capture the same composition and the same size, and I also felt a sense of urgency to somehow create something from it. Looking back, there were more and more things I couldn't do or had to give up, and I unconsciously imposed a lot of restrictions on myself. The camera I use blurs the image if I get closer than one metre to the object, so one metre is the limit distance at which I can take a clear and large image of the object. I was stuck there, unable to move. One day, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. Forgetting the limitations of the equipment and the stereotypes I had, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. The result was a large, blurry photo of a small flower about 5 cm in diameter. It was a picture of freedom and unchanging beauty. At that moment, I realised that I was actually creating my own limitations, not by society or circumstances, and was stuck in a state of inconvenience. Somewhere along the way, I forgot the excitement of first discovering the beauty of unconsciousness, and I was desperately trying to consciously cut out the flowers, but I think photography taught me that I was at the opposite end of the spectrum from the essential unconsciousness of flowers. Even now, when I look at a flower that is clearly and dignifiedly photographed or one that stands in a blur, I feel that there is indeed an unconscious beauty there, and I am being asked if I can find it today. さる2016年、中国青島。僕は友だちの店のサンルームで大きなクッションに身体を沈めながら、太陽の光がアクリルを透過しゆらゆらと葉っぱの影が揺れているのを眺めていた。海外(そと)で暮らす孤独感や仕事がないことに対する焦りから目を背けようとして。それまでも、道端で慎ましく誰にも見つからないように咲いている花々が好きで写真に収めていた。ふと、その花々をサンルームの天井に貼りつけて撮影してみようと思い立った。 現像からあがってきた写真には、今まで見たことのない、透明で、真っ直ぐな花々が写っていた。無自覚で美しいと素直にそう感じた。その写真によって僅かに自信を取り戻し、大袈裟に言えば一筋の希望の光を見出した。その花々から、生命は着飾るものじゃないんだと語りかけられているように感じた。 数年後、日本で再び花の撮影を開始した。今度は撮りながら何か物足りなさを感じていた。同じ構図、同じ大きさで撮らなければという強迫観念のようなものや、何とか一つの形に仕上げなければという焦りも感じていた。今振り返ると、出来ないことや諦めなければいけないことが増え、無意識のうちに多くの制限を自分に課していた。 使っているカメラは1m以上対象物に寄るとボケてしまうので、1mという距離が対象物をくっきりと大きく写せる限界の距離だ。そこに囚われて身動きができずにいた。ある日、自分が見たい大きさでそのまま撮ってみようと思った。機材の制限や今までの固定観念を忘れ、自分が見たい大きさで。そこには、5cmほどの小さな花が大きくぼやけて写っていた。その写真はどこまでも伸び伸びとし、自由で、変わらぬ美しさがあった。その時、本当は社会や状況ではなく、自分で自分に制限を作り、不自由で身動きが取れなくなっていたんだと気付いた。いつしか、最初に無自覚の美を見つけた感動を忘れ、必死に意識的に花を切り取っていた自分は、花が持つ本質的な無自覚さと対極にいることを写真は教えてくれたんだと思う。 今でも、くっきりと、凛と写っている花とぼやけた中に佇む花を見る時、そこには無自覚の美が確かに存在し、今日それを見つけることが出来るか問われている気がする。

    100,000円

  • FLOWER #8

    Year:2019 Materials:UV print on synthetic material film/合成素材フィルムにUV印刷 Image size: H120 x W180 cm Edition:1/5+AP Statement -It was 2016 in Qingdao, China. I was sinking into a large cushion in the sunroom of a friend's store, watching the shadows of the leaves swaying as the sun's rays filtered through the acrylic ceiling. I was trying to turn away from the loneliness of living abroad and the impatience of not having a job. Until then, I had been taking pictures of flowers that bloomed modestly on the side of the road.It was as if they didn’t want to be found. Suddenly, I thought of photographing them on the ceiling of the sunroom. The photos that came out of the developing process showed transparent, straight flowers that I had never seen before. I honestly felt that they were unconscious and beautiful. The photos gave me back a little confidence and dramatically speaking even a ray of hope. I felt as if the flowers were telling me that life is not something to be dressed up. A few years later, I started photographing flowers again in Japan. This time, while shooting, I felt something was missing. I felt an obsessive need to capture the same composition and the same size, and I also felt a sense of urgency to somehow create something from it. Looking back, there were more and more things I couldn't do or had to give up, and I unconsciously imposed a lot of restrictions on myself. The camera I use blurs the image if I get closer than one metre to the object, so one metre is the limit distance at which I can take a clear and large image of the object. I was stuck there, unable to move. One day, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. Forgetting the limitations of the equipment and the stereotypes I had, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. The result was a large, blurry photo of a small flower about 5 cm in diameter. It was a picture of freedom and unchanging beauty. At that moment, I realised that I was actually creating my own limitations, not by society or circumstances, and was stuck in a state of inconvenience. Somewhere along the way, I forgot the excitement of first discovering the beauty of unconsciousness, and I was desperately trying to consciously cut out the flowers, but I think photography taught me that I was at the opposite end of the spectrum from the essential unconsciousness of flowers. Even now, when I look at a flower that is clearly and dignifiedly photographed or one that stands in a blur, I feel that there is indeed an unconscious beauty there, and I am being asked if I can find it today. さる2016年、中国青島。僕は友だちの店のサンルームで大きなクッションに身体を沈めながら、太陽の光がアクリルを透過しゆらゆらと葉っぱの影が揺れているのを眺めていた。海外(そと)で暮らす孤独感や仕事がないことに対する焦りから目を背けようとして。それまでも、道端で慎ましく誰にも見つからないように咲いている花々が好きで写真に収めていた。ふと、その花々をサンルームの天井に貼りつけて撮影してみようと思い立った。 現像からあがってきた写真には、今まで見たことのない、透明で、真っ直ぐな花々が写っていた。無自覚で美しいと素直にそう感じた。その写真によって僅かに自信を取り戻し、大袈裟に言えば一筋の希望の光を見出した。その花々から、生命は着飾るものじゃないんだと語りかけられているように感じた。 数年後、日本で再び花の撮影を開始した。今度は撮りながら何か物足りなさを感じていた。同じ構図、同じ大きさで撮らなければという強迫観念のようなものや、何とか一つの形に仕上げなければという焦りも感じていた。今振り返ると、出来ないことや諦めなければいけないことが増え、無意識のうちに多くの制限を自分に課していた。 使っているカメラは1m以上対象物に寄るとボケてしまうので、1mという距離が対象物をくっきりと大きく写せる限界の距離だ。そこに囚われて身動きができずにいた。ある日、自分が見たい大きさでそのまま撮ってみようと思った。機材の制限や今までの固定観念を忘れ、自分が見たい大きさで。そこには、5cmほどの小さな花が大きくぼやけて写っていた。その写真はどこまでも伸び伸びとし、自由で、変わらぬ美しさがあった。その時、本当は社会や状況ではなく、自分で自分に制限を作り、不自由で身動きが取れなくなっていたんだと気付いた。いつしか、最初に無自覚の美を見つけた感動を忘れ、必死に意識的に花を切り取っていた自分は、花が持つ本質的な無自覚さと対極にいることを写真は教えてくれたんだと思う。 今でも、くっきりと、凛と写っている花とぼやけた中に佇む花を見る時、そこには無自覚の美が確かに存在し、今日それを見つけることが出来るか問われている気がする。

    100,000円

  • FLOWER#21

    Year:2016 Materials:Chromogenic print on photographic paper/印画紙に発色現像方式印画 Image size: H22.0 x W14.5 cm/Frame:H41.8 x W31.4 cm Edition:1/5+AP Statement -It was 2016 in Qingdao, China. I was sinking into a large cushion in the sunroom of a friend's store, watching the shadows of the leaves swaying as the sun's rays filtered through the acrylic ceiling. I was trying to turn away from the loneliness of living abroad and the impatience of not having a job. Until then, I had been taking pictures of flowers that bloomed modestly on the side of the road.It was as if they didn’t want to be found. Suddenly, I thought of photographing them on the ceiling of the sunroom. The photos that came out of the developing process showed transparent, straight flowers that I had never seen before. I honestly felt that they were unconscious and beautiful. The photos gave me back a little confidence and dramatically speaking even a ray of hope. I felt as if the flowers were telling me that life is not something to be dressed up. A few years later, I started photographing flowers again in Japan. This time, while shooting, I felt something was missing. I felt an obsessive need to capture the same composition and the same size, and I also felt a sense of urgency to somehow create something from it. Looking back, there were more and more things I couldn't do or had to give up, and I unconsciously imposed a lot of restrictions on myself. The camera I use blurs the image if I get closer than one metre to the object, so one metre is the limit distance at which I can take a clear and large image of the object. I was stuck there, unable to move. One day, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. Forgetting the limitations of the equipment and the stereotypes I had, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. The result was a large, blurry photo of a small flower about 5 cm in diameter. It was a picture of freedom and unchanging beauty. At that moment, I realised that I was actually creating my own limitations, not by society or circumstances, and was stuck in a state of inconvenience. Somewhere along the way, I forgot the excitement of first discovering the beauty of unconsciousness, and I was desperately trying to consciously cut out the flowers, but I think photography taught me that I was at the opposite end of the spectrum from the essential unconsciousness of flowers. Even now, when I look at a flower that is clearly and dignifiedly photographed or one that stands in a blur, I feel that there is indeed an unconscious beauty there, and I am being asked if I can find it today. さる2016年、中国青島。僕は友だちの店のサンルームで大きなクッションに身体を沈めながら、太陽の光がアクリルを透過しゆらゆらと葉っぱの影が揺れているのを眺めていた。海外(そと)で暮らす孤独感や仕事がないことに対する焦りから目を背けようとして。それまでも、道端で慎ましく誰にも見つからないように咲いている花々が好きで写真に収めていた。ふと、その花々をサンルームの天井に貼りつけて撮影してみようと思い立った。 現像からあがってきた写真には、今まで見たことのない、透明で、真っ直ぐな花々が写っていた。無自覚で美しいと素直にそう感じた。その写真によって僅かに自信を取り戻し、大袈裟に言えば一筋の希望の光を見出した。その花々から、生命は着飾るものじゃないんだと語りかけられているように感じた。 数年後、日本で再び花の撮影を開始した。今度は撮りながら何か物足りなさを感じていた。同じ構図、同じ大きさで撮らなければという強迫観念のようなものや、何とか一つの形に仕上げなければという焦りも感じていた。今振り返ると、出来ないことや諦めなければいけないことが増え、無意識のうちに多くの制限を自分に課していた。 使っているカメラは1m以上対象物に寄るとボケてしまうので、1mという距離が対象物をくっきりと大きく写せる限界の距離だ。そこに囚われて身動きができずにいた。ある日、自分が見たい大きさでそのまま撮ってみようと思った。機材の制限や今までの固定観念を忘れ、自分が見たい大きさで。そこには、5cmほどの小さな花が大きくぼやけて写っていた。その写真はどこまでも伸び伸びとし、自由で、変わらぬ美しさがあった。その時、本当は社会や状況ではなく、自分で自分に制限を作り、不自由で身動きが取れなくなっていたんだと気付いた。いつしか、最初に無自覚の美を見つけた感動を忘れ、必死に意識的に花を切り取っていた自分は、花が持つ本質的な無自覚さと対極にいることを写真は教えてくれたんだと思う。 今でも、くっきりと、凛と写っている花とぼやけた中に佇む花を見る時、そこには無自覚の美が確かに存在し、今日それを見つけることが出来るか問われている気がする。

    50,000円

  • FLOWER#17

    Year:2020 Materials:Chromogenic print on photographic paper/印画紙に発色現像方式印画 Image size: H22.0 x W14.5 cm/Frame:H41.8 x W31.4 cm Edition:1/5+AP Statement -It was 2016 in Qingdao, China. I was sinking into a large cushion in the sunroom of a friend's store, watching the shadows of the leaves swaying as the sun's rays filtered through the acrylic ceiling. I was trying to turn away from the loneliness of living abroad and the impatience of not having a job. Until then, I had been taking pictures of flowers that bloomed modestly on the side of the road.It was as if they didn’t want to be found. Suddenly, I thought of photographing them on the ceiling of the sunroom. The photos that came out of the developing process showed transparent, straight flowers that I had never seen before. I honestly felt that they were unconscious and beautiful. The photos gave me back a little confidence and dramatically speaking even a ray of hope. I felt as if the flowers were telling me that life is not something to be dressed up. A few years later, I started photographing flowers again in Japan. This time, while shooting, I felt something was missing. I felt an obsessive need to capture the same composition and the same size, and I also felt a sense of urgency to somehow create something from it. Looking back, there were more and more things I couldn't do or had to give up, and I unconsciously imposed a lot of restrictions on myself. The camera I use blurs the image if I get closer than one metre to the object, so one metre is the limit distance at which I can take a clear and large image of the object. I was stuck there, unable to move. One day, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. Forgetting the limitations of the equipment and the stereotypes I had, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. The result was a large, blurry photo of a small flower about 5 cm in diameter. It was a picture of freedom and unchanging beauty. At that moment, I realised that I was actually creating my own limitations, not by society or circumstances, and was stuck in a state of inconvenience. Somewhere along the way, I forgot the excitement of first discovering the beauty of unconsciousness, and I was desperately trying to consciously cut out the flowers, but I think photography taught me that I was at the opposite end of the spectrum from the essential unconsciousness of flowers. Even now, when I look at a flower that is clearly and dignifiedly photographed or one that stands in a blur, I feel that there is indeed an unconscious beauty there, and I am being asked if I can find it today. さる2016年、中国青島。僕は友だちの店のサンルームで大きなクッションに身体を沈めながら、太陽の光がアクリルを透過しゆらゆらと葉っぱの影が揺れているのを眺めていた。海外(そと)で暮らす孤独感や仕事がないことに対する焦りから目を背けようとして。それまでも、道端で慎ましく誰にも見つからないように咲いている花々が好きで写真に収めていた。ふと、その花々をサンルームの天井に貼りつけて撮影してみようと思い立った。 現像からあがってきた写真には、今まで見たことのない、透明で、真っ直ぐな花々が写っていた。無自覚で美しいと素直にそう感じた。その写真によって僅かに自信を取り戻し、大袈裟に言えば一筋の希望の光を見出した。その花々から、生命は着飾るものじゃないんだと語りかけられているように感じた。 数年後、日本で再び花の撮影を開始した。今度は撮りながら何か物足りなさを感じていた。同じ構図、同じ大きさで撮らなければという強迫観念のようなものや、何とか一つの形に仕上げなければという焦りも感じていた。今振り返ると、出来ないことや諦めなければいけないことが増え、無意識のうちに多くの制限を自分に課していた。 使っているカメラは1m以上対象物に寄るとボケてしまうので、1mという距離が対象物をくっきりと大きく写せる限界の距離だ。そこに囚われて身動きができずにいた。ある日、自分が見たい大きさでそのまま撮ってみようと思った。機材の制限や今までの固定観念を忘れ、自分が見たい大きさで。そこには、5cmほどの小さな花が大きくぼやけて写っていた。その写真はどこまでも伸び伸びとし、自由で、変わらぬ美しさがあった。その時、本当は社会や状況ではなく、自分で自分に制限を作り、不自由で身動きが取れなくなっていたんだと気付いた。いつしか、最初に無自覚の美を見つけた感動を忘れ、必死に意識的に花を切り取っていた自分は、花が持つ本質的な無自覚さと対極にいることを写真は教えてくれたんだと思う。 今でも、くっきりと、凛と写っている花とぼやけた中に佇む花を見る時、そこには無自覚の美が確かに存在し、今日それを見つけることが出来るか問われている気がする。

    50,000円

  • FLOWER#16

    Year:2020 Materials:Chromogenic print on photographic paper/印画紙に発色現像方式印画 Image size: H22.0 x W14.5 cm/Frame:H41.8 x W31.4 cm Edition:1/5+AP Statement -It was 2016 in Qingdao, China. I was sinking into a large cushion in the sunroom of a friend's store, watching the shadows of the leaves swaying as the sun's rays filtered through the acrylic ceiling. I was trying to turn away from the loneliness of living abroad and the impatience of not having a job. Until then, I had been taking pictures of flowers that bloomed modestly on the side of the road.It was as if they didn’t want to be found. Suddenly, I thought of photographing them on the ceiling of the sunroom. The photos that came out of the developing process showed transparent, straight flowers that I had never seen before. I honestly felt that they were unconscious and beautiful. The photos gave me back a little confidence and dramatically speaking even a ray of hope. I felt as if the flowers were telling me that life is not something to be dressed up. A few years later, I started photographing flowers again in Japan. This time, while shooting, I felt something was missing. I felt an obsessive need to capture the same composition and the same size, and I also felt a sense of urgency to somehow create something from it. Looking back, there were more and more things I couldn't do or had to give up, and I unconsciously imposed a lot of restrictions on myself. The camera I use blurs the image if I get closer than one metre to the object, so one metre is the limit distance at which I can take a clear and large image of the object. I was stuck there, unable to move. One day, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. Forgetting the limitations of the equipment and the stereotypes I had, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. The result was a large, blurry photo of a small flower about 5 cm in diameter. It was a picture of freedom and unchanging beauty. At that moment, I realised that I was actually creating my own limitations, not by society or circumstances, and was stuck in a state of inconvenience. Somewhere along the way, I forgot the excitement of first discovering the beauty of unconsciousness, and I was desperately trying to consciously cut out the flowers, but I think photography taught me that I was at the opposite end of the spectrum from the essential unconsciousness of flowers. Even now, when I look at a flower that is clearly and dignifiedly photographed or one that stands in a blur, I feel that there is indeed an unconscious beauty there, and I am being asked if I can find it today. さる2016年、中国青島。僕は友だちの店のサンルームで大きなクッションに身体を沈めながら、太陽の光がアクリルを透過しゆらゆらと葉っぱの影が揺れているのを眺めていた。海外(そと)で暮らす孤独感や仕事がないことに対する焦りから目を背けようとして。それまでも、道端で慎ましく誰にも見つからないように咲いている花々が好きで写真に収めていた。ふと、その花々をサンルームの天井に貼りつけて撮影してみようと思い立った。 現像からあがってきた写真には、今まで見たことのない、透明で、真っ直ぐな花々が写っていた。無自覚で美しいと素直にそう感じた。その写真によって僅かに自信を取り戻し、大袈裟に言えば一筋の希望の光を見出した。その花々から、生命は着飾るものじゃないんだと語りかけられているように感じた。 数年後、日本で再び花の撮影を開始した。今度は撮りながら何か物足りなさを感じていた。同じ構図、同じ大きさで撮らなければという強迫観念のようなものや、何とか一つの形に仕上げなければという焦りも感じていた。今振り返ると、出来ないことや諦めなければいけないことが増え、無意識のうちに多くの制限を自分に課していた。 使っているカメラは1m以上対象物に寄るとボケてしまうので、1mという距離が対象物をくっきりと大きく写せる限界の距離だ。そこに囚われて身動きができずにいた。ある日、自分が見たい大きさでそのまま撮ってみようと思った。機材の制限や今までの固定観念を忘れ、自分が見たい大きさで。そこには、5cmほどの小さな花が大きくぼやけて写っていた。その写真はどこまでも伸び伸びとし、自由で、変わらぬ美しさがあった。その時、本当は社会や状況ではなく、自分で自分に制限を作り、不自由で身動きが取れなくなっていたんだと気付いた。いつしか、最初に無自覚の美を見つけた感動を忘れ、必死に意識的に花を切り取っていた自分は、花が持つ本質的な無自覚さと対極にいることを写真は教えてくれたんだと思う。 今でも、くっきりと、凛と写っている花とぼやけた中に佇む花を見る時、そこには無自覚の美が確かに存在し、今日それを見つけることが出来るか問われている気がする。

    50,000円

  • FLOWER#15

    Year:2016 Materials:Chromogenic print on photographic paper/印画紙に発色現像方式印画 Image size: H22.0 x W14.5 cm/Frame:H41.8 x W31.4 cm Edition:2/5+AP Statement -It was 2016 in Qingdao, China. I was sinking into a large cushion in the sunroom of a friend's store, watching the shadows of the leaves swaying as the sun's rays filtered through the acrylic ceiling. I was trying to turn away from the loneliness of living abroad and the impatience of not having a job. Until then, I had been taking pictures of flowers that bloomed modestly on the side of the road.It was as if they didn’t want to be found. Suddenly, I thought of photographing them on the ceiling of the sunroom. The photos that came out of the developing process showed transparent, straight flowers that I had never seen before. I honestly felt that they were unconscious and beautiful. The photos gave me back a little confidence and dramatically speaking even a ray of hope. I felt as if the flowers were telling me that life is not something to be dressed up. A few years later, I started photographing flowers again in Japan. This time, while shooting, I felt something was missing. I felt an obsessive need to capture the same composition and the same size, and I also felt a sense of urgency to somehow create something from it. Looking back, there were more and more things I couldn't do or had to give up, and I unconsciously imposed a lot of restrictions on myself. The camera I use blurs the image if I get closer than one metre to the object, so one metre is the limit distance at which I can take a clear and large image of the object. I was stuck there, unable to move. One day, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. Forgetting the limitations of the equipment and the stereotypes I had, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. The result was a large, blurry photo of a small flower about 5 cm in diameter. It was a picture of freedom and unchanging beauty. At that moment, I realised that I was actually creating my own limitations, not by society or circumstances, and was stuck in a state of inconvenience. Somewhere along the way, I forgot the excitement of first discovering the beauty of unconsciousness, and I was desperately trying to consciously cut out the flowers, but I think photography taught me that I was at the opposite end of the spectrum from the essential unconsciousness of flowers. Even now, when I look at a flower that is clearly and dignifiedly photographed or one that stands in a blur, I feel that there is indeed an unconscious beauty there, and I am being asked if I can find it today. さる2016年、中国青島。僕は友だちの店のサンルームで大きなクッションに身体を沈めながら、太陽の光がアクリルを透過しゆらゆらと葉っぱの影が揺れているのを眺めていた。海外(そと)で暮らす孤独感や仕事がないことに対する焦りから目を背けようとして。それまでも、道端で慎ましく誰にも見つからないように咲いている花々が好きで写真に収めていた。ふと、その花々をサンルームの天井に貼りつけて撮影してみようと思い立った。 現像からあがってきた写真には、今まで見たことのない、透明で、真っ直ぐな花々が写っていた。無自覚で美しいと素直にそう感じた。その写真によって僅かに自信を取り戻し、大袈裟に言えば一筋の希望の光を見出した。その花々から、生命は着飾るものじゃないんだと語りかけられているように感じた。 数年後、日本で再び花の撮影を開始した。今度は撮りながら何か物足りなさを感じていた。同じ構図、同じ大きさで撮らなければという強迫観念のようなものや、何とか一つの形に仕上げなければという焦りも感じていた。今振り返ると、出来ないことや諦めなければいけないことが増え、無意識のうちに多くの制限を自分に課していた。 使っているカメラは1m以上対象物に寄るとボケてしまうので、1mという距離が対象物をくっきりと大きく写せる限界の距離だ。そこに囚われて身動きができずにいた。ある日、自分が見たい大きさでそのまま撮ってみようと思った。機材の制限や今までの固定観念を忘れ、自分が見たい大きさで。そこには、5cmほどの小さな花が大きくぼやけて写っていた。その写真はどこまでも伸び伸びとし、自由で、変わらぬ美しさがあった。その時、本当は社会や状況ではなく、自分で自分に制限を作り、不自由で身動きが取れなくなっていたんだと気付いた。いつしか、最初に無自覚の美を見つけた感動を忘れ、必死に意識的に花を切り取っていた自分は、花が持つ本質的な無自覚さと対極にいることを写真は教えてくれたんだと思う。 今でも、くっきりと、凛と写っている花とぼやけた中に佇む花を見る時、そこには無自覚の美が確かに存在し、今日それを見つけることが出来るか問われている気がする。

    80,000円

  • FLOWER#14

    Year:2020 Materials:Chromogenic print on photographic paper/印画紙に発色現像方式印画 Image size: H22.0 x W14.5 cm/Frame:H41.8 x W31.4 cm Edition:1/5+AP Statement -It was 2016 in Qingdao, China. I was sinking into a large cushion in the sunroom of a friend's store, watching the shadows of the leaves swaying as the sun's rays filtered through the acrylic ceiling. I was trying to turn away from the loneliness of living abroad and the impatience of not having a job. Until then, I had been taking pictures of flowers that bloomed modestly on the side of the road.It was as if they didn’t want to be found. Suddenly, I thought of photographing them on the ceiling of the sunroom. The photos that came out of the developing process showed transparent, straight flowers that I had never seen before. I honestly felt that they were unconscious and beautiful. The photos gave me back a little confidence and dramatically speaking even a ray of hope. I felt as if the flowers were telling me that life is not something to be dressed up. A few years later, I started photographing flowers again in Japan. This time, while shooting, I felt something was missing. I felt an obsessive need to capture the same composition and the same size, and I also felt a sense of urgency to somehow create something from it. Looking back, there were more and more things I couldn't do or had to give up, and I unconsciously imposed a lot of restrictions on myself. The camera I use blurs the image if I get closer than one metre to the object, so one metre is the limit distance at which I can take a clear and large image of the object. I was stuck there, unable to move. One day, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. Forgetting the limitations of the equipment and the stereotypes I had, I decided to take a picture at the size I wanted to see it. The result was a large, blurry photo of a small flower about 5 cm in diameter. It was a picture of freedom and unchanging beauty. At that moment, I realised that I was actually creating my own limitations, not by society or circumstances, and was stuck in a state of inconvenience. Somewhere along the way, I forgot the excitement of first discovering the beauty of unconsciousness, and I was desperately trying to consciously cut out the flowers, but I think photography taught me that I was at the opposite end of the spectrum from the essential unconsciousness of flowers. Even now, when I look at a flower that is clearly and dignifiedly photographed or one that stands in a blur, I feel that there is indeed an unconscious beauty there, and I am being asked if I can find it today. さる2016年、中国青島。僕は友だちの店のサンルームで大きなクッションに身体を沈めながら、太陽の光がアクリルを透過しゆらゆらと葉っぱの影が揺れているのを眺めていた。海外(そと)で暮らす孤独感や仕事がないことに対する焦りから目を背けようとして。それまでも、道端で慎ましく誰にも見つからないように咲いている花々が好きで写真に収めていた。ふと、その花々をサンルームの天井に貼りつけて撮影してみようと思い立った。 現像からあがってきた写真には、今まで見たことのない、透明で、真っ直ぐな花々が写っていた。無自覚で美しいと素直にそう感じた。その写真によって僅かに自信を取り戻し、大袈裟に言えば一筋の希望の光を見出した。その花々から、生命は着飾るものじゃないんだと語りかけられているように感じた。 数年後、日本で再び花の撮影を開始した。今度は撮りながら何か物足りなさを感じていた。同じ構図、同じ大きさで撮らなければという強迫観念のようなものや、何とか一つの形に仕上げなければという焦りも感じていた。今振り返ると、出来ないことや諦めなければいけないことが増え、無意識のうちに多くの制限を自分に課していた。 使っているカメラは1m以上対象物に寄るとボケてしまうので、1mという距離が対象物をくっきりと大きく写せる限界の距離だ。そこに囚われて身動きができずにいた。ある日、自分が見たい大きさでそのまま撮ってみようと思った。機材の制限や今までの固定観念を忘れ、自分が見たい大きさで。そこには、5cmほどの小さな花が大きくぼやけて写っていた。その写真はどこまでも伸び伸びとし、自由で、変わらぬ美しさがあった。その時、本当は社会や状況ではなく、自分で自分に制限を作り、不自由で身動きが取れなくなっていたんだと気付いた。いつしか、最初に無自覚の美を見つけた感動を忘れ、必死に意識的に花を切り取っていた自分は、花が持つ本質的な無自覚さと対極にいることを写真は教えてくれたんだと思う。 今でも、くっきりと、凛と写っている花とぼやけた中に佇む花を見る時、そこには無自覚の美が確かに存在し、今日それを見つけることが出来るか問われている気がする。

    50,000円