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それを買うのは誰なのか?~AI、ベーシックインカム、資本主義の未来~

”AI(人工知能)が仕事を奪う”、そんな言葉をよく耳にする。

「AIやロボット技術の発展により、多くの労働力はそれらに取って代わられるので、人間は不要になる」という理屈だ。

それに対して、「人間はAIには出来ないよりクリエイティブな仕事をすればよい」とか、「仕事をする必要がないのであれば、遊んで暮らせばよい」といった反応がある。ベーシックインカムはそんな未来を見据えたひとつのアイデアとしても注目されている。

これらの議論の前段には、「そもそも人間は仕事をしなくてもよくなったときに仕事をする生き物なのか?遊んで暮らしたい生き物なのか?」という人間の本性への問いがあり、ベーシックインカムの実証実験などはこの問いに多少の見解は示してくれるかもしれない。

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さて、僕はこの議論をちょっと違った視点から考えている。
それは、もし人間が労働しなくなり、AIやロボットが商品を生産するようになったとき、「その商品を買うのはだれなのか?」という点だ。

これまでの経済学研究が教えてくれることは、資本主義経済では「〈消費者〉とは〈労働者〉」なのである。資本家は生産設備を用意し労働者を集める。労働者は労働をして資本家から賃金を得て、それにより商品を購入する。つまり消費者になる。そして、体と心を充足させ、また労働する。

〈消費者〉と〈労働者〉は別々に存在するのではなく、同じ人間の別の呼び名に過ぎない。

では、人間が労働をしなくなり、AIやロボットが商品を生産するようになったとき、消費者は存在するのだろうか?より正解に言うならば、労働者でなくなった人間に購買力は存在するのだろうか?

ベーシックインカムは購買力ではあるが、あまりに小さく、拡大の余地がない。それでは資本家は資本を増やすことができない。

僕の考えでは、資本主義が続く限り、資本家がすべての労働をAIやロボットに代替させることはない。なぜなら、それは資本家にとって大切なお客さんを減らすことを意味し、資本家が自らの首を絞めることになるからだ。最も危険な未来は、資本家がそのことに考え及ばず、気づいたときには「資本家は消費者を失い、労働者は労働を失っている」という状況になってしまっていることだ。

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人口減少・高齢化に伴い労働力が減少していくここから先の数十年間は、AIやロボットによる労働力の代替は資本家にとって都合がいい。しかし、その先の未来を見据えたバランスの取れた社会構造を同時に考えていく必要がある。

これまでの資本主義の歴史が繰り返してきたように、新たな仕事で活路を見出していくことは可能なのだろうか。

少なくとも、国家や独占企業が人間もロボットもすべてを統制し、多くの人間は生きている(生かされている)だけというようなディストピアは誰も望まないだろう。もしAIが人間もロボットも統制する世界となったならば、それはもはや『マトリックス』の世界だ。



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