「恩師の退官で繋ぎ目の役割を考える」
数年前,私の指導教官であった先生が定年退官され,最終講義と記念パーティに参加致しました.先生は,元々制御工学を専門としてしていましたが,自らの師に医用工学の道に導かれ,その分野の発展と人材の育成に尽力してきました.その道での功績もさることながら茶道の師範としての一面もあります.また先生は人格者であり,学生と一緒に歩いていて,建物に入る際は,扉を自らの手で開け,必ず学生を先に行かせます.エレベーターに乗る際も最後に乗り,出るときは最後です.同じ教育に身を置く者として,無意識になかなかできる行動ではありません.私は先生の元で,学生時代6年間学び,現在もことあるごとに先生の居室に足を運び,研究結果や今考えていることを報告し,ご意見を伺い,その教えを請います.言うなれば師弟の関係になります.先生も師を持ったのと同じように私も先生を師として,その繋がりに加わったわけです.
私は,この師弟の繋がりについて,この機会に考えてみることにしました.師弟関係は,映画「スターウォーズ」や「ベストキッド」で扱われるほど,美しく,誰もが羨む関係かもしれません.ただ危うさの側面も持ち合わせています.技量(数値として表せるもの,わかりやすいもの)に関して,人は誰しも年齢とともに衰え,いつしか弟子が超えていきます.その時に,弟子は,「師を超えた私は,師から学ぶことはない(損得勘定で判断する)」すなわち師の技量と自らのそれとを比較可能であると考えてしまうと師弟関係は破綻していきます.それにより繋がりが途切れてしまいます.私が考えるに,この繋がりで重要なことは,弟子は師を持っており,師はまた誰かの弟子であることであり,技量や何をどの程度,知っているかなど定量的な問題ではないと考えています.言うなれば,繋ぎ目の大小は問題とせず,自らが繋ぎ目として役割を果たすことが重要であるように思います.師は弟子に,ものごとに対する心構えや伝統を継承し,弟子に伝授する.また師もそれを通して成長し続ける.弟子はいずれ師になり,弟子に自分の考えを加え,自らの弟子に伝授する.これが師弟の繋がりであると思います.従って,この繋がりを止めることは,自らの手で成長を止めることになりかねません.
恩師の先生は,大学を退官されましたが,私は繋ぎ目として役割を果たすべく,引き続き先生を師として敬意を払い,その繋がりを続けていくことでしょう.