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養蚕(次太夫堀民家園の展示から)


蚕を飼育する養蚕は、国内では絹織物の需要が高まった江戸時代中期頃から日本各地で盛んになりました。明治時代になると、生糸や絹織物は外国への輸出品の主力となり、養蚕や製糸は全国的に奨励される産業となりました。
農家では養蚕は、現金を得ることの出来る貴重な仕事となり、蚕を「オカイコサマ」「オコサマ」と呼んで大切に育てました。
世田谷区内では、明治時代初め頃から昭和20年頃まで養蚕が盛んに行われ、喜多見では、稲作や畑作に並行して、春(5月頃)、初秋(8月初旬)、晚秋(8月下旬)の年に3回程度行われていました。

かつての農家は、できた繭を出荷するのが一般的でした。高値で売れない繭(屑繭)は、自家用として真綿などに加工して使われることもありました。
世田谷区公式チャンネル(YouTube版)で、行事の解説動画を公開しています。

せたがや動画「世田谷の養査〜お蛋さまのいる暮らし〜」

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