シェア
小林 圭太/ANCHORS初代代表
2022年1月26日 20:48
2013年10月下旬。明治大学女子チアリーディングチームJAGUARSに練習見学を終えて衝撃を受けた俺たちは、モチベーションが高まっていた。いつものように大学の休憩時間で4人で集まっている時に、タカラが「早く練習がしたいな!」とポツリと漏らした。チアを知ったばかりの俺以外の3人から、「練習がしたい」と前向きな言葉が出たのは初めてだった。タカラの言葉に、俺ら3人も「そうだな!」と声を
2021年1月21日 19:09
2013年10月。ショウヤが仲間となり、ANCHORSのメンバーは俺、カズキ、ショウヤの3人となった。ショウヤもカズキと同様に同じクラスだったことから、毎日のように顔を合わせていた。俺たちは自然と一緒にいる時間が長くなった。一方で、まだまだこの人数では練習がスタートできないことから仲間集めは引き続き3人で行っていた。ある日、俺が所属していた7つのサークルのうちの1つ、アナウンス
2020年12月12日 18:39
2013年9月下旬。後期がスタートして、1週間が経過した。メンバーは俺とカズキの2人。同じクラスだったこともあり、常に一緒にいた。あの日、言ってくれたカズキの「俺はたとえ1人でもー」のセリフが頭から離れない。俺を再び奮い立たせてくれたのは、間違いなくカズキだった。ある日の体育の授業。いつものように準備体操をしながら、俺はクラスの仲間たちに片っ端からPRした。「ねえ、
2020年9月22日 21:37
2013年8月。上京して初の夏が到来した。5月にANCHORS第1回ミーティングが行われて、3ヶ月が経過した。俺、カズキ、サヤカはおのおの仲間探しを進めていたが、メンバーは依然として3人のままだった。中には興味を持って話を聞いてくれる人もいたが、サークルとして成立していない未知の団体に踏み込もうという決断ができない人がほとんどだった。ただ、俺の中で大切にしてきたのは「一緒に作り
2020年8月26日 16:40
2013年5月上旬。カズキがメンバーになって、数週間が経った。ついに俺、サヤカ、カズキのANCHORSのライングループが出来た。こうした些細な出来事も、俺にとってはスタートした感じがして嬉しかった。とはいえ、まだサヤカとカズキは対面していなかった。「今度、第1回、ANCHORSミーティングを開催しよう!3人で!」俺がグループラインに投下した。2人も賛同してくれ、初のミー
2020年7月20日 21:18
2013年4月下旬。ANCHORS(アンカーズ)とチーム名が決まって、数日が経過した。これから始まるANCHORSの物語にワクワクしている俺がいた。だが一方で、メンバー集めには依然として苦戦中。俺とサヤカの2人だけだった。大学生活には慣れ始め、いつもクラスメートのカズキと授業を受けては、昼休みにラーメン巡りに都内に繰り出し、再び授業を受け帰宅するという日々。俺は東京ドームシ
2020年7月6日 20:41
2013年4月下旬。俺は1人目の仲間となったマネージャーのサヤカと運命の出会いをして以来、毎日のようにやりとりをしていた。これから作り上げていく明治男子チアチームについて、早期チーム結成に向けて、語り合っていた。やっぱり、プレーヤーを増やさないと始まらない。そのために、明治大学以外からもメンバーを募集してはどうかと、意見も出たがこれには賛同出来なかった。仮に、のちに大会に出場す
2020年6月23日 22:54
2013年4月下旬。明治大に入学し、早くも約1か月が経過しようとしていた。時期は、新歓コンパの真っ盛りだった。男子チアの仲間になってもらうためには、まずは多くの友人を作ることが大事だと考えていた。手当たり次第に新歓コンパに参加しては、友人作りに励んでいた。そんなある日、学部別の新歓コンパが催されることを知った。俺は経営学部に属していた。同じ学部の友人は大切。履修科目の情
2020年6月10日 21:46
2013年4月。俺は結局、大学で約7つのサークルに入り、とりあえず自分の顔を広めた。会う人会う人と、仲良くなることを目的に積極的にコミュニケーションを取った。自分のことを理解、信頼してもらえるようになってきた相手には、「俺は明治で男子チアを作る夢があるんだ」と打ち明けた。その中でも、興味を示すような反応をしてくれた相手には、「もしよかったら、一緒にやらないか?メンバーになってくれ」
2020年5月30日 19:37
2013年4月。明治で男子チアチームを作ると決めた俺は、晴れて明大生になった。東京での生活にはいまいち慣れない。どこに行っても人は多いし、電車が5分おきに来るって、何事!なんて思っていた。2013年4月7日。日本武道館で入学式が行われた。「でっけぇなぁーすげぇー!こんなところで入学式させてもらえるのか」新たな生活が始まるワクワク感、武道館に入れる喜びなど、明るい気持ちで
2020年5月26日 19:34
2013年3月中旬。気付いたらあれほど、毎日のように思っていた男子チアの存在は少しずつ頭の中から消えていた。何もやる気が起きず、家でぐうたら生活を送っていた。気持ちは乗らなかったが、とりあえず友人たちに受験の結果を報告することにした。片っ端から友人やグループにメッセージを送った。みんなから返ってくる返事が怖かった。なんて思われるんだろう。自分にあった変なプライドが邪魔し
2020年5月24日 19:23
2013年2月下旬。約2週間の長旅を終えた俺は、自宅に久しぶりに帰ってきた。「ただいまー!」玄関のドアを開けた瞬間、母が待ってましたと言わんばかりの表情で出迎えてくれた。そして、嬉しそうな表情で俺に語りかけた。「やったじゃん。やったね」俺はてっきり早稲田の合格通知がすでに家に届いたのかと思って、満面の笑みで返事した。「え!?なにが?早稲田からの合格通知、もう届いてる!?
2020年5月22日 20:46
2013年1月下旬。センター試験から10日ほどが経過していた。いつも一緒に蒲郡から予備校に通っていた他の4人は順調にセンター利用でおのおの、すべり止めをおさえていた。もちろん仲間だが、そうした事実がさらに俺を不安にさせていた。自分だけが不利な状況に立たされたように感じた。複雑な思いを抱きながら、いつものように予備校から夜、自宅に帰ると、家のポストから何かが飛び出ていた。「こ
2020年5月20日 20:12
月日が経つのは本当に早い。長いトンネルをもがきながら進み続けてきたが気づいたら、本試験はすぐそこに迫っていた。2013年1月。年明け、家族で豊川稲荷へ初詣に行った。願い事はただ一つ。「早稲田に合格させてください」やることはやった。 ここまできたら神にもすがる思いで、とにかく祈った。今年は受験2年目だ。 リベンジへ向け戦い方は決まった。昨年とは異なり今回は