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自由に考えさせられる面倒さ

なんとなく負荷をかけておけばその人が成長するってのは、たまにはあるけどかなり確率が低くて、それにたいそう時間のかかる話。

なんだかんだ、普通はやっぱり身につくのは反復練習で、その回数をどれだけ短いスパンで数多くこなせるかだけど、それはシンプルな判断とシンプルな行動や指示ができる環境をどう作るか次第。

複数の変動要素を作って、色々な選択肢がある環境で自由に考えてもらって自律と成長をなんて、表面上だけじゃなく本質的に、そんな都合よくいけば誰も苦労しない。

なんとなくご機嫌とって材料ドサッと与えて、「さあ自由にどうぞ考えて」ってこれが手抜きでないならば、なんなのか。

そんな環境を望むのは限られたごくごく、ごくごく一部で、毎日の仕事をこなすのに、正解もなければ判断基準も曖昧なものを、都度いちいちアレコレ考えなきゃいけないなんて面倒くさくてやってられない。

面倒くさいのに、そこに期待をかけられると最悪で、挙句には、その人に望まれた都合のいい理想的な仕事ができないと「なんで?」となるので悲惨。

普通は「やたらと与える」よりも「どう絞るか」の方が、シンプルだからお互いストレスも少ない。根拠のない負荷と本人にとって余計でしかない過剰期待を与えても、かえって遠回りになる。

あと、誰でもわかりやすいシンプルな仕事のやり方は、個人の成長がどうとかいう部分的なものじゃなく、累積で利益を積んでくれる資産になる。

複雑なものをシンプルにすれば収益性の変化も大きくて、大抵は今までより明らかに異質な数字がでてくる。

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