手直しの時間、物への愛着が育つ時間
2023年10月21日(土)
昼間母親と連絡を取ると明日じじばばの家に来るというので、一ヶ月以上会っていなかったこともあり、鎌倉に行くのは月曜日と思い切って決めた。週の初めから清々しい気持ちで新しい場所に移ろう。しかしこうしていると、どんどん先延ばしにしているのではないかという焦りもなくはない。
午後、ばばが工具箱を取り出し、メガネの部品を何やらカチカチといじっていた。ばばは三ヶ月ほど前に白内障の手術を受け、それから視力が変わって老眼鏡の度が合わなくなったのか、過去に使っていたメガネを家中から引っ張り出しては試している。手術後新しく作り直したメガネの受け取りまでまだあと二週間くらいあるらしく、それまで仮に使うものを見つけたいとのこと。でも未だに度が合うものが見つからないらしい。
工具箱が出ていた流れから、私が座っている木製の椅子のパーツが一本抜けていたため、それを直すことにした。といっても木工用のボンドをつけて穴に差し込むだけだが。久しぶりに木工用ボンドに触れた。小学生の頃、乾くと透明になる木工用ボンドがとても好きだったことを思い出した。
直した椅子は私が普段じじばばの家で作業中に座っているもので、どこから来たのか、いつからこの家にあるのか、ふたりに聞いても覚えていないとのこと。同じ椅子が家のどこにも見つからないので、仲間もいない。私はこの椅子が気に入っていて、明らかに弱々しい感じがするのだが、できるだけ長く使いたい。そしてできれば一緒に鎌倉に連れて行きたい。
そのまま今度は、壊れていた私のブルーライトメガネを取り出してみた。去年の夏、ソファの上のメガネにうっかり体重を乗せた手を置いてしまい、フレームの智(正面レンズ部分と両側のつるの間、角の部分)が割れてしまった。買ったお店に持って行ったもののフレームが壊れているので直せないと言われ、仕方なく一年以上ケースにしまったままだった。ばばが使わなくなったメガネを解体していたので、そこについているネジをもらって、プラスチックの部分が割れているのは承知の上でネジを入れて回してみると、なんとつるが固定された。だいぶ応急処置感が強く心許ないし、角度も少し変だけれど、ちゃんと開閉することもできる。案外やってみるものだと思った。そして一年以上壊れたまま放置し、自分の目をブルーライトに曝し続けたことを後悔した。
ばばも机の向かいで作業をしていた。小さなネジをピンセットでつまむその手は震えていた。そして掴み損ねた拍子に、ネジがどこかに落ちて見つからなくなってしまった。悔しそうな声を上げながら、それでも何度も挑戦するばばに少し切なくなった。このネジをメガネにはめる作業は、私にとっては難しくないし、ばばもほんの数年前までは簡単にできたことだった。
私が物心ついたころから、ばばは革細工やビーズアクセサリーを作ったり、裁縫をしたり、かなり手先が器用だった。生活の道具や装飾を、自分自身の手を動かして生み出し、生き返らせることができるばばを尊敬している。しかし最近はそういう作業をするばばをあまり見なくなった。細かな作業に取り組む根気が少しずつなくなってきているという。
自分がかつて出来たことが出来なくなっていく感覚は、きっと恐ろしい。これが老いの一側面なのかと思うけれど、受け入れることは簡単ではないのだと想像する。こうして日記を書くことも、映画を作ることも、いつかできなくなるのだろうか。今はまだ想像するのが難しいけれど、これからもブルーライトメガネをかけて、できるだけ目を大切にしようと思う。
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