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🔲 使者として靫負の命婦が選ばれた理由「桐壺の巻」5


桐壺の更衣の死を悲しむ帝は、使者として「靫負の命婦」を選び、更衣の里に派遣させます。なぜ、靫負の命婦でなければならなかったのでしょうか。ちょっとした疑問が湧いてきます。実は、使者として、彼女の前に派遣された人もいたのです。

「参りては、いとゞ心ぐるしう、心・肝も、盡くるやうになん」

(古典文学大系 源氏物語」巻一34頁)

と内侍のすけが帝に奏上したのを靫負の命婦が聞いていたのです。

帝にお仕えする上の女房といわれる方々が大勢いる中で、特別に「靫負の命婦」を指名したのです。理由があってのことと考えて読み直すと様々なことに思い至ります。

帝の求めていたものは、表面的なお役所的な報告や通り一遍の説明ではなかったことが想像されます。ですから、内侍司の女房ではなく、私的なことにかかわる「命婦」に命じたのだと考えられます。命婦については、「古典文学大系」の補注に

「靫負の命婦。父または夫の官名を名とした。靫負は左右の衛門の佐を言う。命婦は、五位以上の女官の称。内命婦は、五位以上の婦人で、内勤。外命婦は、五位で人妻。外勤を本体とする。ここは内命婦である。」

「古典文学大系」の補注

とあります。

帝は、内侍のすけの報告には満足できず、再度、詳細で私的な報告を求めて靫負の命婦を指名して使者としたのでしょう。

靫負の命婦は、帝が期待した通り更衣の母北の方の悲しみに寄り添い、悲しみを共有し慰め、歌を詠みあいます。そして、言葉だけではなく、桐壺の更衣の御装束と御髪上の調度めくものを形見として伝えたのです。

このように使者として十分な働きができたのは、靫負の命婦が、宮中内で孤立していた桐壺の更衣の味方になり、折に触れて、桐壺の更衣の里を訪れ、母北の方とも親しかったからなんですね。そんな靫負の命婦が寂しい家を訪れてくれたから母北の方も少し常軌を逸したように悲しみや愚痴を言ったり、帝に愛されなければよかったなどという失礼なことまで言ってしまうんです。「あらき風ふせげしかげの枯れしより小萩がうえぞしづ心なき」という歌を帝に送ってしまうほどです。帝もこの歌を詠んで「心をさめざりける程」と許してやったとあります。

靫負の命婦が使者として派遣されたことから源氏物語の奥深さを鑑賞してみました。源氏物語の重層性に触れるだけでも紫式部の力量を痛感させられます。


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