🔲 時の記述について「末摘花の巻」2
父、常陸宮も死に、残された末摘花は、親友の大輔の命婦に悲しい気持ちを打ち明けます。大輔の命婦は、「いとよきおりかな」と、その寂しさにつけ込むように、源氏を導き入れ、末摘花の琴の演奏を聞かせることに成功します。そして、末摘花と源氏の恋物語は進行していくわけですが、そのことについては後ほど。
物語の出発に「八月十余日」という日付が明確にされています。現代の小説ではこのような時の記述は、余ほどの意味を持たぬ限り、ないのが普通です。逆に、推理小説のように時の記述が、解決のキーとなっていたりするのですが。
「源氏物語」では、時の記述がよく出てきます。「春・夏過ぎぬ。秋の頃ほひ」(「末摘花」)「年も暮れぬ」(末摘花)「朔日の御よそひ」(末摘花)といった具合です。
時の記述を確認しながら物語を展開するという書き方は、日記の記述ですよね。女流日記文学が、全盛だった平安中期の物語ですから、その影響によるものと推測されます。紫式部が「蜻蛉日記」の影響を受けていたのは当然のことですし、彼女自身も「紫式部日記」を書いています。
時系列に沿って、秩序立てて物語を展開するという散文表現の手法をカッチリお守りながら、手堅く表現しているんですね。
物語は、「かたる」という方法をも考慮しなければならなかったはずです。音声による伝達という観点も重要な意味を持っています。音声で伝えるとき、場面ごとの時系列を一つ一つ日記のごとく明らかにする必要に迫られるのです。そういう意味で、時の記述が重要な役割を果たしていたと考えられます。
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