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NHK『安全地帯・零ZERO』がめちゃくちゃ良かったので感想を書く
(※カバー画像はNHK+の番組ページより引用しました)
NHK旭川制作の番組『安全地帯・零ZERO-旭川の奇跡-』を偶然観た。この番組がめちゃくちゃ良かったので、ボクなりに感想を書いてみることにする。
【安全地帯・零ZERO~旭川の奇跡~】
— NHK北海道 (@nhk_hokkaido) November 15, 2024
きょう15(金) 夜7:30から
総合テレビ・北海道ブロックで放送✨
▼詳細はこちら▼https://t.co/mWoXr4WCIc
安全地帯メンバー、元メンバーなど
ロング・インタビューが実現
貴重なアマチュア時代の映像・音源とともに#玉置浩二 #安全地帯 の“原点”に迫る! pic.twitter.com/3CEkTyopQQ
番組では、旭川の農機具小屋での共同生活から始まった玉置浩二の音楽への思い、成功と葛藤、そして才能に恵まれながらも表舞台に立てなかった元メンバーたちの人生を丁寧に紡いでいた。
「歌神」として多くのアーティストや音楽関係者からリスペクトされる、玉置浩二。安全地帯は1973年に玉置が中学時代の友人たちと結成したバンドである。
当時からプロ志向が高かった彼らは、なんと農機具小屋を改装して自分たちのスタジオを立ち上げ、共同生活をしながらプロデビューを目指していた。
精力的な活動の末、北海道で実力No.1のアマチュアバンドと評され、井上陽水のバックバンドとして上京。紆余曲折を経ながら、4thシングル「ワインレッドの心」で一気に全国にその名を知らしめることになる。
番組で特に心を打たれたのは、安全地帯が上京する直前に脱退した元メンバー、武沢俊也(キーボード・作詞)の話である。玉置が「人生で最も影響を受けた音楽家」と語るほどの才能を持ち、井上陽水以上に玉置に影響を与えたという。
上京間近、プロ志向の強い玉置やデビューを控えた厳しいプロデューサー(星勝)との間で自信を失い、スランプに陥った武沢俊也は、スタジオに足を運べなくなった。最終的に、彼は東京行きを断念し、安全地帯も離れた。
一方、上京したもののヒットになかなか恵まれない玉置。その原因を俊也の詞の不在であることに気がついた玉置は、俊也をもう一度呼び寄せようと北海道まで訪ねる。
しかし、俊也には東京に行けない理由があったのだ。
というのも当時、妊娠していた俊也の妻が運悪く風しんに罹患。胎児が難聴の可能性があると診断され、堕胎を勧められたものの、彼らは強い意志で子どもを生み育てることを決心した矢先だったのだ。
番組のインタビューで涙ながらに当時の心境を語る俊也。その表情には悔しさと、自分の選択の正しさを噛みしめる感情が入り混じり、心に迫るものがあった。
その後、安全地帯は「ワインレッドの心」や「悲しみにさよなら」などの大ヒット曲を次々と生み出し、NHK紅白歌合戦にも初出場を果たす。
しかし、このタイミングを振り返った玉置は「もう安全地帯じゃなくなった」と語る。農機具小屋のスタジオで始まった、自分たちの音楽から随分遠ざかってしまった、という思いがあったのだ。
メンバーを離れた俊也は現在、札幌で清掃員として働いている。
俊也は今でも安全地帯のメンバーとして、彼らのステージを隣から眺める夢を見るという。
才能に恵まれながらも、小さな分岐点で異なる道を選んだ元メンバーたち。
しかし、その歩みもまた素晴らしい人生であるとボクは感じた。
番組の最後。玉置が地元旭川でライブを行い、ソロの名曲『メロディー』を歌い上げた。「あの頃、あの街」への思いが込められた歌詞が、胸に響く瞬間だった。
その他、番組では他のメンバーのインタビューや貴重な映像、未発表曲を使いながら、安全地帯の軌跡に迫っている。
2024年11月22日(金)までNHKプラスで視聴可能。ぜひ観てください。