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多様な学びの場と学校教育(11)
おもてなしの心を失いつつある我が国
今日も私のnoteにお立ち寄りいただきありがとうございます。
多様な学びの場について、昨年から引き続き考えてきています。
学校教育の中で整列して待つということが、当たり前のごとく求められることが、「文句ひとつ言わず黙って整然と並んで待つ」ことができる理由の一つではないか、ということをお話ししました。
他の多くの国でも、同じように整然と並んで待つことは、なされています。
ただ、とりわけ我が国の人々は、そのことが顕著だと思うのです。
それは、究極の場面が大災害の時だというお話もしました。
極限状態に近いときでも、これができるのは、本当に我が国は素晴らしい国だと思うのです。
そのことに、学校教育が一つの役割を果たしている可能性があるということを申し上げました。
ところが、近年、明らかに、この「黙って文句ひとつ言わずに整然と並んで待つ」ことができず、自分さえよければという行動をする人が増えてきているように思います。
並んで待つだけのことではありません。
ありとあらゆる場面で、確実に増えていると、私は感じています。
先日も、ある外食チェーン店で朝ごはんを食べようと入店して、カウンター席で注文したものが出てくるのを待っていた時です。
後から入ってきた私よりも少し若い40代くらいの男の方が、別のものを注文して少し離れたカウンター席に座りました。
私の注文したものよりも、ほんの少し先にその方のものが出てきたのですが、そのとき、おかずだった焼き鮭が小さいと文句を言い始めたのです。
ちょうど私と同じようなものを頼まれていたのですが、私のよりも明らかにその鮭は大きかったのです。
それでも、その方は鮭を大きいものに変えろと、段々興奮して大声で喚き始めたのです。
「こんなものを出すのはおかしいだろう!」と怒鳴り始めたのです。
嫌なら食べずに出ていけばいいと私などは思うのです。
返金を求めるのではなく、大きいものに変えろとばかり、約30分くらい怒鳴り続けるのです。
結局のところ、警察が来て、事情を聞かれることになり、連れていかれました。
飲食業だけでなく、いろいろな業種で同じようなことが起こっています。
カスタマーハラスメントはまさにそれです。
先日も、秋田県知事の「クマを送る」発言が話題になりました。
さらに、似たようなことでは、問題になっている「あおり運転」があります。
もうそんなにイライラするなら、車に乗らなければ良いというようなケースばかりです。
こういうことが、今の我が国では、当たり前のように見られるようになってしまいました。
おかしいことを我慢する必要はありません。
おかしければ、おかしいと冷静に伝えて、改善を求めればいいだけのことです。
怒鳴ることも、喚くことも、必要ではありません。
酷いときには暴力を伴い脅迫するようなこともあります。
これは、どうしてそうなってしまうのでしょうか。
「黙って文句ひとつ言わず整然と待つ」ことができる国民と、同じ国民とは思えないのです。
これは「自分だけが損をしている」という感情だけでは説明ができないのです。
鮭が小さいと喚いていた男性なら、それで説明ができるかもしれませんが、それでも主張していた「もっと大きい鮭に変えろ」ということは説明がつきません。
あおり運転など、自分の感情のはけ口にしているだけだと思います。
ここには「自分だけが損をしている」ということではない、別の感情が存在すると考えざるを得ません。
鮭の男性、あおり運転、秋田県庁への嫌がらせなどに共通することとしては、「自分の要求を認めろ」という強い感情が認められます。
何か大きなストレスのようなものもあるのかもしれませんが、なぜそのような行動に出るのかわかりません。
ただ、そこには「他人を思いやる感情」など、微塵も感じられません
2020年の東京オリンピック招致の時に話題になった「おもてなし」の心など、どこにもないような話ばかりです。
ここまであげたようなことも、ネットでの誹謗中傷なども、自分に関係のないことでも、言ってやれ!とばかりに一斉に誹謗中傷をすることが、多々起こっています。
サッカーJリーグのFC町田ゼルビアへの誹謗中傷に、選手、監督、スタッフの身の危険を感じると、FC町田ゼルビアが刑事告訴に踏み切ると、慌てて軽い気持ちでやってしまったと警察に自首する若者がたくさん出てきたことでも、これが年代に関係なく行われていることだということもわかりました。
子ども達ですら、勉強ができなかったり、スポーツができなかったりする子どもに対して、バカにしたり、下に見るような態度をとることが、本当に日常的に当たり前に見られるようになっています。
これは明らかに大人がそういう態度をとっていることに起因しているとしか思えません。
これを学校教育だけのせいにするつもりはありませんが、教育の失敗であることは否めません。
大東亜戦争後に行ってきた我が国の教育が、どこかで間違っていたことが、こうして露見していると言っても良いと思います。
しかし、何がどう間違っていたのかという議論がなされているとは思えません。
「文句一つ言わず黙って整然と並んで待つ」国民性が、崩れつつあるのではないかと危惧するばかりです。
災害大国の我が国、日本が、ある意味で危機的状況になっていると言えるとも思っています。
このような中、教育には何が必要なのか、学校はどう変わっていかなければならないのか、学校は本当に必要なのかということを、真剣に大人が考えなければならないと、私は思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
フリースクール・パーソナルアカデミー
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