双極性障害になって歌舞伎町のニューハーフクラブでこの世の真理に気がついた話
ニューハーフクラブに足を踏み入れるとそこには素敵な方々がいらっしゃいました。
たまたま入ったお店がそうだったんですが、ニューハーフの中でも綺麗どころを集めたお店でみんな本物の女性みたいでした。
この時は躁状態が激しく作用していて、感受性が最大だったため、余計に魅力的に見えました。
私の躁状態の時はなんでもない野に咲く草花を見るだけで「なんて綺麗に咲いているんだろう!神様はこんな美しい存在を作りたもうたのか!」と感動するくらい感受性が高まるんです。
お金は定額給付金で家族4人分40万があったので、金に糸目をつけずにドリンクを奢ったりボトルを入れたりテキーラを頼んだりしていました。
ただでさえ双極性障害でテンションマックスだったところにお酒も入り、ついにテンションが限界を超えてあるインスピレーションが浮かびました。
大昔、それこそ縄文時代の頃、性同一性障害はどのように扱われていたのでしょう。
性別が逆転して現れる事象に当時は神秘性を感じたのかもしれない。昔のシャーマンや巫女、例えば卑弥呼は性同一性障害だったのではないか、という想像が湧き上がりました。
彼らの可能性が現在でも存在しているならば、それは彼女(♂)たちに宿っているのかもしれない、と思うようになりました。
(霊とまではいかないけど)人の「思い」とか「意思」はその人がいなくなった後も存在していて現実に影響を与えている。それが因果の正体。そんな考えが頭の中に浮かんできました。
それらは「ある」と思えば「ある」し、「ない」と思えば「ない」。その存在が「ある」として世界を見れば、世界はそれまでとは全く違う姿を見せる。
というところまで思考が至りました。