【23限目】仕事の流儀(私の流儀)
2020.9.3
私は、結婚後、学校を退職して子育てをしていました。別に住んでいた両親ですが、会社勤めをしていた母は、一時間半もかかって孫の顔を見に来ていました。
父を家に残して、土日は、私たちの所に来て、初孫の世話をして月曜日に出勤するという生活をしていたので、夫が「そんなに孫の顔が見たかったら、一緒に住もう。」と、言ってくれて、双方が転居して、今の家に結婚後5年目に二所帯で住むことになりました。
主婦のバトンタッチ 1回目
同居した時に、母は私に、ごはんのしゃもじを持ってきて「今日から家の事はすべてけいちゃんに任せるから、お願いします。」と、言って、私に渡しました。
母は、それから家の事にはいっさい口を出さずに私に任せてくれました。そして、仕事から帰ると嬉しそうに、孫の面倒を見てくれました。
主婦のバトンタッチ 2回目
長男が小学校に入学する年に、私は教職に戻りました。その時、私は、ごはんしゃもじを持って母に「家の事、よろしくお願いします。」と、言って渡しました。
母は、仕事をやめて、子どもたちの世話や、家事を引き受けてくれました。私も仕事を思い存分することが出来ました。
小学校の先生になる
仕事が出来ることが、楽しくて、仕事に熱中していました。結婚、子育てで、学校から離れていたので、嬉しかったのを覚えています。よく遅くまで学校に残って時間の経つのも忘れて、仕事をしていました。
そんな時、教頭先生が「家でご飯を作らなくていい先生は、みんな、ゆっくり仕事をしているなあ。僕も仕事するのが遅いから、いつまでも学校に残っているけどな。」と、笑いながら言ってくださった時に、のめり込んでいたことに気が付きました。
小学校の先生の仕事に慣れたころ
学校の仕事は、どこまだやっても終わりがない。良いと思うことをやり出すと、終わりがありません。家の仕事も同じで、やればやるほど、気になるところが増えてきます。
でも、次の日の事を考えると、どうしてもやらなければと、ついつい遅くまで残っていることが多かったのです。
みんな平等に24時間あるので、どう使うかが大切なのだと思いました。
そこで、仕事に優先順位をつけて、(今日中にしなければいけない事、先生たちと話し合わなければいけないこと、明日の授業の準備、今なにをする?など)やろうと心がけました。
具体的には、日程表と併せて、することを書き出し、順番を決めていきます。時間のかかることは、いつまでにやるかを決めていき、一日のスタートがうまく始められるように準備をしておきます。
その日によっては突発的なこともありますが、一日のシミュレーションをしておけば、仕事の順位がはっきりして、迷いなく円滑に仕事が出来ます。
仕事のノウハウも身に付き主任の仕事もさせていただくようになったころ
以前、同じ学年を持った若い先生は、仕事も速く、手際もよく、学年の仕事も「私やります。」と、言って学年通信なども引き受けてくれていました。学校の分担の仕事も同じです。
仕事の出来る彼女に、仕事が集まってくるように思えました。でも、ちゃんと、次の朝には出来ているのです。最後になるのが、自分の仕事で、遅くまで残っています。
参観日の前日の夜に、図画の絵がまだ貼っていなくて、他の仕事をしていたので、「優先順位を決めて仕事をしよう。」と、声をかけていたら、「はい。優先順位ですよね。」と、言いながら仕事していたのを思い出します。
時々、会った時も、「けい先生。優先順位ですよね。」と、言って笑っています。
優先順位を決めて仕事をするようになって、ゆとりが出てきて、ゆとりが出てくると、考え方が前向きになり、仕事に対するストレスも少なくなってきました。優先順位を決めて仕事をする。は、おすすめです。
任せる
同じ学年の先生方に、学年の仕事などを分担してもらってお願いすることが多かったのですが、その時、大切にしたことは、お願いしたことは、最後までお任せするという事です。
途中で手をかし、手伝うことは簡単な事ですが、その仕事をやり切った時の達成感を味わうことが、次への自信につながるし、喜びでもあります。
子どもの場合でしたら、任せて出来たとき、しぜんな形でほめて、認めてあげると、次へのやる気に繋がっていきます。
小さい時から、自分で考え、自分で決めたことをやり遂げるという経験をさせてあげると、生きる力も育ちます。その繰り返しが成長だと思っています。
任せるという事は、共有して共感するという事ことです。
簡単なことのようで、難しいことです。任せてもらって、認めてもらうことは、生きていくエネルギーになると思います。
私は、それを母から学んだように思います。わが子にも、そんな母でありたいと思っています。
【編集担当より】
(造花を生ける)
母の昔のことを描いている記事を読むと、少し昔の記憶が戻るような気がします。物心ついた頃には、もうすでに祖母と一緒に暮らしていました。母が主婦(?)をしていた記憶で残っているのは、何だろうかと記憶を探ってみると、弟とお菓子の取り合いで叱られていた記憶でしょうか。それ以外の記憶を探ると、幼稚園の頃に自宅周辺で遊んでいたことや幼稚園で遊んでいたことを朧げに思い出しました。昔の写真でも見るともう少し思い出すでしょうか。
油絵はそろそろ打ち止めでしょうか。次はお花のようです。たしか母は、華道をやっていたような気がします。皆様がふと和むような写真を期待したいですね。
かなり大型の台風が近づいています。一昨年の大型台風では、台風が過ぎ去った後の難波周辺では、トラックが横転していたり、信号機が横を向いてました。実家の屋根瓦も飛んだようです。皆様ご安全にお過ごしください。
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