【27限目】AIと教育
2020.10.1
24限目の息子のコメント(編集担当より)を読んで、AIと教育について思ったこと。AI(人工知能)が教育の現場に導入されつつある今、先生にしかできないことは何だろうと考えました。
~先生にしかできない役割は何だろう~
先週~今週にかけて運動会を開催した学校が多かったと思います。三密を避けるために、一家族一名の参加に限るとか、近くの中学校は無観客での開催でした。
それでも、子どもたちは先生や仲間たちとコロナ対応を加えた新しいやり方を創造した方法で運動会の各種目に取り組み楽しんでいました。
運動会を迎えるまでの暑い中での練習。当日はその成果を発表する場ですが、その姿の中に一人ひとりの頑張りがあります。
走ることが得意な子。チームワークを大切にする子。リズミカルに踊る子。得意な事、苦手な事を頑張って、それぞれの良さを発揮しています。きっと実り多い一日だっただろうと思います。
AI(人工知能)の導入と学校教育
AIを使っての授業は、知識を得るには効率よく学習出来て、学力も上がっていくと思いますが、学校は、学力以外にも、人を育てる、生きる力を育てるために出来ることがいっぱいあります。
子どもたちは、遊びや学校行事などを通して、仲間と関わり、そこで、生きるための知識や技術を学び、仲間と共に活動する喜び、集団の良さを経験できます。
その為には、教師は、日常の遊びや学校行事などを、出来るだけ豊かなものにしていくこと、また子供一人一人を知り、その子らしさを理解してあげることが大切です。
先日、テレビの教育番組でのお話ですが、授業中に、カーテンにくるまって出てこない子がいて、先生が、みんなと同じように机に戻るように言って、授業を進めていたそうです。
何度も繰り返すので、その子にどうして、カーテンにくるまって授業を受けていたのか理由を聞くと、「机に座ると黒板に書いてあることをノートに写すのが精いっぱいで、先生が何を言っているのかよく分からないけど、カーテンにくるまっていると、ノートに写さないでいいから先生の言葉が頭に入るので、先生の授業が分かる。」と、言うのです。その子なりの理由があったのです。
教師としては、一斉に子どもたちがこちらに注目していて、授業をしていると、満足感はありますが、いつもそれが出来るとは限りません。
子ども一人ひとりの様子が見えてこないときがあります。そんなときの方が多いかもしれません。子どもの様子を理解していないとき、みんなと少し違っていることが、いじめにつながる場合もあります。
その子らしさを理解しようとしたとき、遊びや学校行事などの活動の様子を見ると、その子の個性が見えてくるときがあります。運動会の練習の様子を見ていてもよくわかります。
これからの学校教育
これからの学校教育を考える時、AIと共存し、学校にしかできないことを大切にしながら、子どもの学びたい、知りたい、育ちたいという気持ちを満足させてあげられる環境を考えていく必要があると思いました。
子どもを取りまく環境で、タブレット・スマートフォンの存在は大きいと思います。分からないことをスマートフォンで検索すればすぐに答えが返ってきます。
私たちが授業の中で知識として子どもたちに伝えてきたことは、教室でなくてもスマートフォンを通して知識としては、すぐに知ることが出来ます。
先日、コストコで鶏肉を沢山買ってきました。夫が鳥南蛮を食べたいと言いました。今まででしたら、料理の本を出してきてそれを読みながらのお料理でしたが、スマートフォンに向かって「鳥南蛮の作り方を知りたい。」と、言いますと、材料・作り方が動画画像や写真で分かりやすぐ出てきます。その通り作ればおいしい鳥南蛮が出来ました。
「AIについて知りたい。」と、検索した時、「AIとは(人工的につくられた知識)であり、その概念や技術そのものの事を指すと考えてよいでしょう。」と書かれてありました。「今の日本で、AIを導入する為には、それを先導する組織や人材が不足しているという課題を抱えている。」とも書かれていました。
興味深かったのは、AIが広く社会に導入された時、仕事によっては無くなっていく仕事もあるが、「AI(人工知能)によって奪われる仕事は、ある意味『人としての、暖かさが不要な仕事』といえます。
その逆に、対人的なサービス、特に、心の拠り所となるような仕事は、今よりも重要視されることになります。」と書かれていました。
コロナ禍の対応の中で、社会や学校の在り方が速い速度で変わってくると思います。
リモートで仕事をしている人の中で、通勤時間がいらないので体が楽で仕事がはかどる。と、いったひともいましたが、人と会って人間の暖かさを感じて、会話や食事を一緒にしたいという人も多くいます。
今のリモートの仕事は、コロナ感染予防のため急速に社会に取り込まれたため、人間としての“自由”さが奪われているという弊害が生じています。
日常が戻りデジタル化が私たちの生活をゆたかで幸せなものに繋がるように、私たちも学び、相棒としてのデジタル化に進んでいくような取り組みになるように期待します。
デジタル化が進んでも、人間は、人と人とのかかわりの中で、生きているという実感をもてると思います。教師という仕事は、人と人との関わり合う仕事をしていたので、私は特にそう思うのかもしれません。
追記
息子(編集担当)のコメントにあったアタマプラスについてスマートフォンで検索しました。中学生以上が対象で、全国の塾・予備校で次々に導入されているそうです。
「理解度・学習履歴・ミスの傾向・その日の集中度などに合わせて一人ひとり専用の学習内容を作成する」
「アタマプラスのAI(人工知能)がデーター解析により苦手の原因を特定、学年や単元を超えてさかのぼり、①『何を』 ②『どんな順番で』 ③『どのくらいの量』やれば良いかが分かります。」
などと書かれていました。(一部を書き出しました。)
強敵です。
【編集担当より】
「お寺の参道」
先生しかできないことは何だろう?この問いかけは、常々自分自身の仕事でも問いかけています。
編集担当は人材紹介会社を立ち上げたところですが、所謂マッチングビジネスは、AIやシステムでの効率化の恩恵を受けやすい業界で、今後大手が寡占化していく流れが予想されます。その中で、大手企業やAI、ビッグデータ、DX、システム化などできない部分は何かということを自問自答しています。
記事にて記載しているように、AIやビッグデータ、DX、システム化は強敵ではあるでしょう。しかしながら、強敵とかいて(とも)と呼ぶのもよくあることです。より人がやるべきことや、ハイタッチな分野については、より際立ったサービスを求める声も大きくなるのではないでしょうか。よりアナログで泥臭い仕事をしていこうと思います。
AIはあくまで道具で使うもの。そう考えるほうが、コロナ由来でない、新たな技術を活用し発展した世界において、よりよい仕事や生活ができるのではないでしょうか。既存のフォーマットを強化するのではなく、新たな価値創造のフレームを構築していくことが必要かと考えています。
今回の記事および編集担当のコメントについて、勉強不足の中で記述しておりますので、誤った考えもあるかもしれませんが、参考程度にご覧ください。知識習得に励みます。
編集担当のコメント欄は、ゆるーく書きたいのですが、急に振りがはいったので、少しだけコメントさせていただきました。乱文ご容赦ください。
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