経済学の学び方・活かし方(第2回・経済学アウトリーチ企画2021)
2021年10月8日、日本経済学会のサテライトイベントとして「経済学の学び方・活かし方」が開催されました。
2020年の第1回「経済学について知ろう!」に続く本企画、今回はYouTubeライブ配信で、「経済学をどう学べばよいか」「キャリアや進学」、さらには「研究とプライベートの両立」などの事前に届いたさまざまな質問に、以下の経済学研究のみならず、行政やビジネスの現場でも活躍するパネリストたちが、さまざまな視点からお答えしつつ、経済学の魅力と実際をお伝えしていきます!
1 はじめに
安田 それでは、日本経済学会サテライトイベント2021年秋「経済学の学び方・活かし方」を始めます。司会を務める、大阪大学の安田洋祐です。タイトルの通り本日は、経済学がどんなもので何の役に立つのか知りたい高校生や大学生、経済学系の大学院進学に関心のある大学生や社会人などの方々に向けて、事前に本イベントのアンケートフォームにお寄せいただいた質問に私を含む8名の登壇者が答えていきます。
登壇者には、経済学の各分野から幅広く積極的に研究・教育活動に取り組まれている方々にお集まりいただきました。それでは早速、自身の専門分野のおもしろさや経済学との出会いなどにも触れつつ、自己紹介をお願いします。
鎌田 鎌田です。カリフォルニア大学バークレー校のビジネススクールで准教授をしています。こちらはアメリカで時差が16時間あり、現在午前3時です。非常に眠いので、ガムを嚙みながら登壇しています。なぜいきなりガムの話かというと、実はこれ、私の授業を受けていた学生が起業してつくっているカフェイン入りのガムなんです。なかなかおいしくて、私は愛用しています。カリフォルニア大学バークレー校はサンフランシスコ・ベイエリアと呼ばれる地域にあります。ここはスタートアップ企業や起業家が非常に多く、そこに集まる人たちを相手にビジネススクールで授業をしています。
研究は、主にゲーム理論という分野で行っています。最近は、日本の高校入試の仕組みに潜む、とある問題の解決に頑張って取り組んできました。それは、日本では公立高校はおおむね1校しか受験できないことからくる問題です。この制度のもとでは、自分はどの学校を受けるべきか、それぞれの高校の人気度や難易度などをふまえて各人が頑張って考える必要が出てきます。1校しか受けられないので、もし落ちてしまったら困りますからね。現状では、受験に臨む人々はこのような難しい問題に直面しているのです。では公立高校をたくさん受験できるようにすれば解決するかというと、そう簡単にはいきません。たくさん受験できれば合格者もたくさん出る一方、実際に自分が入学できるのは1校で、あとは入学を辞退します。当然、学校側はそれに備えて補欠合格を出します。そうなると、別の学校の補欠合格の結果を待つ生徒も出てきてなかなか入学者が確定しないなど、さまざまな混乱が予想されます。そうした混乱を防ぎつつ複数の高校を受験できるシステムを考えて提言したのが、私たちが東京大学マーケットデザインセンター(UTMD)という研究機関でチームを組んで行ってきた研究です。ちょうど今日、この研究成果に基づいてまとめた提言を同センターのウェブサイトにアップしたので、ぜひご覧ください [注1]。
小枝 早稲田大学政治経済学部の小枝です。専門はマクロ経済学、金融、国際金融です。私が経済学を学ぼうと思ったきっかけは、高校時代に受けた地理の授業でした。当時イギリスの高校に通っていたのですが、その授業で「人はどういう要因で移住するのか?」という問題が扱われ、そこで紹介された経済的な要因に興味を惹かれました。私も父の転勤でイギリスに移住し、自分の生活が大きく変わった経験をしたところだったからです。当時のイギリスには失業者が多く、高校生の私でも街を歩くと不況を肌で感じられるほどでした。
それから経済学に関わって四半世紀、最近は長引く低金利や低インフレなどといった経済環境の功罪について考えています。現在の高校生・大学生の方々は生まれたときからずっとこの環境に置かれていて、そうでない経済環境をイメージするのが難しいかもしれません。また、マクロ経済は日々の生活の中では身近に感じにくいかもしれないのですが、実はそれが自分たちの生活に大きな影響を与えているということも知ってもらえたらと思います。
近藤 東京大学社会科学研究所の近藤です。専門は主に労働経済学で、教育や公共政策についても考えています。そして、これらをテーマに政府の統計データなどを統計的・実証的に分析することを通じてさまざまな疑問に答える、というスタイルで研究しています。具体的には、1990年代半ばから2000年代前半の「就職氷河期」について、継続して取り組んでいます。これは私が経済学に出会うきっかけ、そして研究者になろうと思ったきっかけの1つでもあります。私は、まさにその就職氷河期のときに大学生でした。当時、就職先がなぜこんなにも少ないのか非常にもやもやしながら考えていて、それが知りたくて経済学部で学んでいるうちに研究者の道に入っていきました。他には、たとえば保育料が変わったときに保育園を利用するか否かの意思決定が変わるのかを分析したところ、なぜか変わらないことがわかり、現在はそれがなぜなのかを詰めて研究しています。このように身近な疑問を扱える点も、労働経済学の実証分析が持つ魅力の1つだと思います。
私は学部卒業後に日本の修士課程に進み、その後アメリカの大学院に留学して博士号(Ph.D.)を取得しました。ところが就職先を探すタイミングでリーマンショックが起き、アメリカでは仕事がなく帰国することになりました。日本での大学院進学や職探しにも比較的詳しいので、今日はその点でもお話しできればと思います。
中室 慶應義塾大学総合政策学部の中室です。専門は教育経済学で、特に子どもの教育に関する経済分析に取り組んでいます。皆さんの中に読んでくださった方がいるかもしれませんが、『「学力」の経済学』などの一般書も書いています。学部卒業後、まずは日本銀行に就職してエコノミストをしていました。ところが、私自身はそこで行っていたマクロ経済分析にあまり情熱を傾けられず、アメリカの大学院に進学以降は、労働、教育、医療などの実証分析に転向しました。実務経験を経たからか、研究と政策の両方に関心があり、大学で教育データのユーザーとして研究をしつつ、2021年9月1日からデジタル庁のデジタルエデュケーション統括として、教育データの整備を担う行政官としての仕事もしています。
向山 ジョージタウン大学経済学部の向山です。私はアメリカの東海岸にいて、現在朝6時ですが頑張ります。専門はマクロ経済学で、主に労働市場の研究をしています。ニュースでもよく報道される失業率や、就職、転職などといったトピックを一国全体の視点から考えています。他には経済成長の問題、たとえば世界にはなぜ貧しい国と豊かな国があるのか、経済が時間を通じてどのようなメカニズムで豊かになっていくのか、などについても研究しています。修士課程まで日本で経済学を学び、その後アメリカの博士課程に留学し、博士号取得後も北米に残って現在に至ります。最初はカナダの大学に就職し、続いてアメリカの大学に移籍してジョージタウン大学が3校目になります。その間、アメリカの中央銀行である連邦準備制度理事会(FRB)で1年間、エコノミストとして働いたりもしました。
小枝さんも触れられましたが、マクロ経済と言われると日常生活とはほど遠い感じがすると思います。ほとんどの人にとって、毎日の暮らしの中で低金利やインフレなどについて考える機会はあまりないかもしれません。しかしそうやって日常から遠い分、データを見たり、論理的に考えることの積み重ねで新たにわかってくる部分がどんどん増えていくので、この点は非常におもしろいです。また、マクロ経済学は中央銀行の金融政策など、政策に直結する部分も多い分野なので、その点で世の中の役に立てることも魅力だと思います。マクロ経済学では、私たち個人の行動が社会に反映され、その結果としての社会の動きが自分たちに跳ね返ってくるという循環を深く掘り下げて考えるのですが、この点もとてもおもしろいところだと思っています。
安田 改めまして、大阪大学経済学部の安田です。鎌田さんと同じくゲーム理論やマーケットデザインと呼ばれる分野で研究しています。私はこの10年弱くらい、研究・教育に加えて、意識的に経済学の考え方などをメディアを通じて発信する活動に力を入れてきました。実は2021年3月から在外研究中で、今はポルトガルのリスボンにいます。このタイミングで日本を離れるまでの期間にどの程度メディア関係の仕事をしているかを棚卸ししてみたところ、情報番組や報道番組のコメンテーターや経済系の特別番組の講師などといった形で530回ほどテレビ番組に出演していました。また、新聞や雑誌、オンライン媒体の記事も250本くらい書いていました。書籍は残念ながら単著はまだないのですが、共著や対談を収録したものが30冊ほど出版されています。このようにさまざまな形でメディアを通じて経済学の考え方を世の中に伝える仕事ができたかなと思っていますし、経済学をこうした仕事に役立てることも可能だと感じています。
また、以前から経済学の知見をビジネスでも活用できるのではないかという思いを抱いており、経済学者で慶應義塾大学の坂井豊貴さん、星野崇宏さん、および実務家の今井誠さんと共同でEconomics Design Inc.という会社を立ち上げました [注2]。実は次に自己紹介する山根さんも会社を立ち上げていますが、「経済学の知見をビジネスに活用する」「経済学を使ってビジネスのやり方を変えていく」という取り組みも進めています。
山根 山根です。専門は行動経済学です。大雑把に言うと、行動経済学は経済学に心理学の知見を入れるような学際領域というイメージです。高校時代から心理学に関心があり、大学では心理学を専攻していました。ところが実際やってみたら、おもしろくなくはないけどグッとこないという感じで、いろいろ本などを読んでいるうちに経済学との学際領域に興味を惹かれるようになりました。心理学では「経済心理学」「消費者心理学」と呼ばれる分野で、経済学では「行動経済学」と呼ばれているらしい、というところまでたどり着いたものの、学部3年生の終わりまでは経済学に触れる機会をつくれませんでした。しかし、本当に行動経済学をやるならどこかのタイミングでしっかり学ばなければと思い、経済学の修士課程に進むためにそれまでまったく触れたことがなかった経済学を勉強して受験し、以降ずっと行動経済学の研究をしています。
また、博士号取得後は大学教員として7年間近畿大学に勤務し、退職した後に起業しました。現在は、株式会社パパラカ研究所という会社を立ち上げ、企業や自治体の方々と一緒に仕事をしています [注3]。
仕事は、主に行動経済学やデータ分析に関するコンサルティング業務です。起業までのエピソードは、『アカデミアを離れてみたら』という本に寄稿しています。私を含め21人の博士号取得者が寄稿した本で、「人生自由やなぁ!」という気持ちになれるすごくおもしろい本です。興味のある方はぜひ読んでみてください。
研究では、たとえば競泳のデータを使って他人から影響を受けることがあるのか(ピア効果)、などを分析したりしています。少し変わったデータを扱うのが好きで、自分でアンケートや実験を実施してデータを集めたり、ネット上に転がっているデータを使ったり、最近はすごく昔のデータを使ったりと、研究の自由度は高いです。行動経済学は何でも研究テーマにできるという印象を持っていて、好奇心旺盛で身の回りのことに「なぜ?」と思える人に向いている分野だと思います。
山﨑 神戸大学経済学部の山﨑です。イギリスで博士号取得後に帰国しました。私が経済学の道に進んだきっかけの1つは、高校生のときに地球温暖化問題に触れたことです。中でも特に炭素税に関するニュースに興味を惹かれました。「環境問題に気をつけなければならない」といった人々の心掛けに訴えるような話が多い中で、温室効果ガス削減という社会の重要な目標の達成に税金の仕組みを通じて貢献できるという話は、当時の私にとって衝撃的で、そこから大学で経済学を勉強してみたいと思うようになりました。
ただし、現在の専門は環境ではなく開発経済学です。これは主に途上国の貧困問題を考える学問で、政策にも直結しています。山根さんがお話された行動経済学と同じく、開発経済学もテーマ設定の自由度が結構高い分野です。たとえば汚職や感染症など、さまざまな社会問題を幅広く分析します。
最近の私や私の周りの人たちの研究活動では、日本の歴史的なデータを扱うことが多くなっています。日本も昔は途上国だったわけですが、日本には歴史的なデータが結構残っていて、図書館などでほこりをかぶっているような史料を電子化してデータをつくったりするのも好きです。現在は、東京の大名屋敷に着目した研究をしています。詳しくは、その内容を紹介した記事を書いたのでご覧いただけたらうれしいです [注4]。日本には、経済学者の目から見ておもしろい歴史的なイベントが多く存在します。趣味と実益を兼ねて、そうした分析を通じて経済学の発展にも貢献できればと思って研究に取り組んでいます。
安田 それでは次節から、事前に寄せられた質問を取り上げていきましょう。参加にあたって任意にもかかわらず、事前アンケートに300件以上ものご回答、たくさんの具体的な質問をお寄せいただきました。それらをざっくり以下の5つのカテゴリーに分け、各質問に登壇者がお答えしつつディスカッションしていきます。
2 経済学の学び方
■ 高校生が学ぶにはどうすれば?
安田 最初のテーマは、「経済学の学び方」です。まずは、「高校生が経済学を学ぶには?」という質問について、鎌田さんからお願いします。
鎌田 高校時代は、とにかく本をたくさん読むことをおすすめします。経済学の本に限る必要はありません。いろいろな本を読み、世の中のさまざまな現象に興味を持つこと、これが一番大事です。でもどうしても経済学を学びたい人のために、『16歳からのはじめてのゲーム理論』と『ゲーム理論入門の入門』の2冊を紹介します。実は両方とも私が書いたものですが(笑)。
ところで、本を選ぶときに注意してほしいポイントは、「誰が書いているか」です。どんな人が書いているかは本にとって非常に重要で、特に学問を学ぶ際にはぜひしっかりした研究者が書いた本を読んでほしいと思います。とはいえ、しっかりした研究者とは何かと考えると、これが非常に難しい。なので、まずは学校の先生に相談したり、研究者が著者の場合はそのホームページに行ってどんな論文を書いているかをチェックしたり、という感じでぜひリサーチしてみてください。
経済学の場合は、安田さんがある一定の基準で国内外の日本人経済学者をリストアップしたウェブサイトをつくっているので、参考になると思います [注5]。ただし経済学者の業績を測る指標にはいろいろあり、安田さんが設定した基準はあくまでその中の1つで、このリストが絶対というわけではないという点には注意してください。
安田 ところで、鎌田さんは高校時代に本をたくさん読んでいたのですか。
鎌田 よい質問ですね。私は全然本を読んでいなかったので今になって非常に後悔しています。
安田 なるほど。中高時代から本を読むとよい経済学者になれるかもしれないし、読んでいなくても、鎌田さんのように後で勉強してすばらしい経済学者になれるかもしれないというわけですね。続いて小枝さん、お願いします。
小枝 高校で習う科目は幅広く経済学に応用できます。たとえば、高校数学で習う対数の差分は成長率として理解できます。高校で学んだことを通じて、金利の複利計算をしてライフプランを立ててみるとか、簡単なプログラミングをして経済データを分析してみるとか、自分で経済学に関連づけてみると興味を持つきっかけになると思います。安田さんたちが書いた数学の本にはそんなエクササイズもありましたよね。
安田 ご紹介ありがとうございます。私たちの本『[改訂版]経済学で出る数学』の前半では、中学生でも習う一次関数や二次関数を学びながら経済学において重要な市場の需要と供給、独占企業の行動などを考えます。こうした簡単なところから経済学と絡めて数学を勉強していくと、経済学の本質がかなり見えてくる場合もありますよね。次は近藤さん、いかがでしょうか。
近藤 経済学のよい本がたくさん置いてある書店を探すのは簡単ではないかもしれませんが、もしお住まいの近くに経済学部を持つ大学があれば、その大学生協の書店に行くという方法をおすすめします。きちんとした研究者が書いた本が並んでいるはずです。そこで自分が読んでみたいと思える本を選んでみるとよいと思います。
経済学をしっかり勉強・研究するには数学と英語が必要なのですが、これらは大学生になってからでも身につけられます。私としては、高校生のときは部活を頑張ったり目一杯遊んだりと、いろいろな経験を積むことに時間を使った方がよい気もします。経済学の本ももちろんよいのですが、頑張って夏目漱石を読んでみるとか、村上春樹を全部読んでしまうとか、そういう時間の使い方ができるのは学生のときだけなので、それもいいんじゃないかなと個人的には思います。
安田 そういえば、私も中高時代はサッカーとテレビゲームばかりでした。次は山根さんに伺ってみましょう。
山根 私は少し視点を変えたお話をします。大学教員から見ると、高校生はめちゃくちゃ可愛いです。だから高校生はその立場をフル活用すべきです。具体的には、大学の先生に「私、経済学を学びたいんですけど、何をやったらいいですか?」みたいなメールを送ってみる。たぶん大喜びで教えてくれます。今日のイベントみたいに一方向ではなく双方向で、しかも1対1で相手をしてくれます。もう1つは学会に行ってみる。たとえば日本経済学会に行ってみる。「高校生なんですけど来てみました」みたいに言ったら大歓迎だと思います。高校時代はこういう立場をフル活用して、とにかく積極的に何か動いて情報収集するのがよいと思います。
安田 まったく別の角度からのアドバイス、ありがとうございました。そういえば、私も昔、熱心に経済学の勉強をしている中学生と、大阪大学の大竹文雄さんと、ある雑誌で鼎談したことがあります [注6]。
[注6] 大竹文雄・西田成佑、[司会]安田洋祐「[対談]経済学って、おもしろい?」『経済セミナー』2010年12月・2011年1月号収録。
経済学に限らず、中高生で一生懸命何か大学で学ぶような内容の勉強をしていると、よい意味で周りが注目してくれて自分にとってもプラスに働くことがあると思います。それでは次に、向山さんから「経済学の学部や大学院ではどんなことを学ぶのか?」というテーマについてお話しいただきます。
■ 経済学部・大学院ではどんなことを学ぶ?
向山 私からはそのテーマの質問の中で「教科書がたくさん出ている中でどれを読めばよいのか?」と、「理論と実証のどちらを学ぶかはどんな観点で決めればよいのか?」という2つにお答えしようと思います。まず1つ目ですが、教科書を選ぶ際にはそのレベルが自分の読む目的に合っているかにまず注意してほしいと思います。たとえば、『マンキュー』や『スティグリッツ』などのアメリカの定番入門教科書がたくさん日本語に翻訳されていますが、アメリカの教科書はあくまでアメリカの大学のカリキュラムに基づいているという点に気をつけてほしいです。アメリカの学部カリキュラムでは、1年目の経済学の授業はPrinciples(原理、初級)、2年目はIntermediate(中級)と呼ばれているのですが、日本語のタイトルに「入門」とある教科書は、Principlesレベルの場合もあればIntermediateレベルの場合もあります。Principlesは数学が苦手な学生も大勢履修するのでお話がメインです。これも読み物としてはおもしろいのですが、経済学をきちんと勉強するにはある程度数式が出てくるIntermediateレベルの本の方がおすすめです。日本人研究者の書いた教科書もIntermediateレベルのものが多いかと思います。まずはそのレベルの本で定評があるものの中からとにかく1冊選んで読み込んでみるとよいと思います。
次に2つ目の質問ですが、研究のための準備という意味では、マクロ経済学の場合は理論と実証の両方をやるのでどちらも必要です。ミクロ経済学の場合は理論専攻の人もいれば、実証専攻の人もいると思うので、どちらを選ぶかは人それぞれの好みや適性によるかと思います。今日の登壇者の中でも理論専攻と実証専攻が半々くらいでしょうか。最近の傾向としては、アメリカの大学では理論だけを研究する研究者は非常に少なくなってきています。大学院生でも、理論専攻の人がそれなりに目立つのは一握りのトップの大学に限られてきます。多くの大学、たとえば私が勤務してきたバージニア大学やジョージタウン大学などでは、純粋に理論だけを研究する大学院生は数年に1人出るかどうかといった感じです。最近はいろんなデータがとれるので、そのおもしろさだったり、また就職先の幅広さというのも実証研究の人気につながっているのかもしれません。それに比べると、日本では今でもまだ理論分野の人気がそれなりにあって、研究者の数としてももうちょっとバランスがとれた感じになっているのかな、という印象があります。
安田 向山さんがおっしゃったように、いろいろな経緯で理論研究は日本では人気があると思うのですが、アメリカやヨーロッパではかなり数が減っているのが実態です。今日は理論専攻の鎌田さんも登壇されていますが、いかがでしょうか。
鎌田 私からはまず、理論研究はアメリカのトップ校でも盛んに行われていることを強調しておきたいです。もちろんデータを使った分析も非常に盛んですが。そのうえで、「経済学の基礎は学んだけれども、研究テーマを決めるにはどうすればよいか?」という質問に、主にこれから卒論や修論を書く学生を想定してお答えします。
ここでありがちなのは、研究テーマを決める前に自分の持っている数学やデータ分析などのスキルを見て足りないと思うことについて、指導教員に相談もせず勉強ばかりに時間を費やしてしまうというパターンです。そうこうしているうちに、気づいたら卒論を書くために使える時間が非常に少なくなっている。これはよくないです。
研究テーマを決める前に勉強ばかりしても「研究する」という観点ではあまり意味がありません。ではどうすべきか。おすすめは、自分の関心の所在がある程度決まったら、まず先生に相談に行くことです。自分と気が合いそうな先生のところに行って、「だいたいこんなテーマに興味があるのですが、どうしたらいいですか?」と尋ねてみれば、読むべき論文や研究動向などを教えてくれたり、研究テーマにサジェストをくれたりするはずです。先ほどの山根さんのお話とも関係しますが、そういう学生がいたら先生方は絶対に無下にはしないので、ぜひ指導教員や気の合いそうな先生に相談に行ってみてください。
実は私にも、学部3年生くらいのときに、「最近こんな疑問を持っているのですが」ということを経済学部の先生に相談に行ったら、ではこの論文を読んでみなさいと2本の論文を紹介してもらい、それがきっかけで自分で論文を書くことができたという経験があります。なかなかよい方法です。
安田 たしかに、特に大学院では関連文献を全部調べて、教科書を全部読んでから論文を書こうとする勉強好きな人、いわば筋トレマニアのような人が結構見られるのですが、それだけだと失敗するリスクが高いです。あるところで見切りをつけて、自分で何かモデルを書いたり、データ分析したりと、「まずやってみる」ことができないとオリジナルの研究はできません。特に大学院生の方は気をつけてほしいと思います。
3 経済学とキャリア
■ 経済学は仕事の役に立つ?
安田 さて、「経済学はどんな職業・仕事で役に立つか?」といった、キャリアに関するテーマに移りましょう。まずは、国際通貨基金(IMF)や財務省でも勤務経験のある小枝さんからお願いします。
小枝 私の専門に引きつけてお話しすると、金融の知識は金融業界で働く際には直接役立ちますし、マクロ経済の知識は政策当局はもちろん多国籍企業で投資を考えるような場合にも活用できます。また、最近はますますデータが使いやすくなっているので、経済学の知識はエビデンスに基づく政策や経営戦略を考える際にも非常に役立つはずです。でも、「データを扱うのだったら経済学でなくても、データサイエンスなどを学べばよいのではないか?」と思う方もいるかもしれません。しかし、私はやはり経済学が必要だと思っています。なぜかというと、経済の変数は同時に動くことが多く、それらがどういうメカニズムで、どんな因果関係で動いているのかはデータを見ているだけではよくわからないことが多いからです。そんなときに、経済現象を体系的に理解できる経済学の理論が力を発揮してくれます。この点は、また後でビジネスや政策の現場でどう使われているかに触れる際に詳しくお話しします。
安田 次は現在、デジタル庁の幹部も兼任されている中室さんにお伺いします。
中室 私は、経済学が役に立たない職業はないと思っています。法律や医療といった、一見経済と関係ない分野でも「法と経済学」や「医療経済学」が存在し、それぞれを経済学的な理論と方法で分析しています。経済学の分析対象は幅広く、金融や財政のような経済的な事象だけが分析対象となるわけではないということは、ぜひ皆さんに知っていただければと思います。
では、経済学とは何か。『ヤバい経済学(Freaconomics)』という本でも有名なシカゴ大学のスティーヴン・レヴィットの言葉を借りると、経済学は「インセンティブのメカニズムを明らかにする学問」だということです。また、私が政府の有識者会議に参加するようになって気づいたことは、どの会議に行っても必ず経済学者がいるということです。たとえば、新型コロナウイルス感染症対策分科会には、行動経済学の大竹文雄先生やマクロ経済学の小林慶一郎先生が参加されています。行動経済学で2017年にノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーは著書の中で「公共政策への提言においては、経済学者はどの社会科学者よりも強い影響力を持っている」と言っています。経済学者には、その知識を政策形成に活かしたいというマインドを持った人が多いと感じますし、実際に経済学の研究を通じて得た知識や技術は、政策やビジネスはもちろん、私生活にも応用できると思います。
■ 専門的に学んだ人のキャリアは?
安田 それでは次の質問、「経済学を専門的に学んだ人のキャリアはどうなっているのか?」に移りましょう。近藤さんからお願いします。
近藤 これについては修士課程修了後に就職する場合と、博士課程まで進む場合とに分けてお話しします。まずは修士卒で働く場合ですが、実社会で活かすというと、やはりデータ分析能力が最も買われます。修士を経て就職する人たちを見ると、官公庁や日本銀行などの行政、シンクタンク、コンサルティング会社、民間の金融機関などに進まれるケースが多いです。修士課程が2年間しかないことを考えると、こうした仕事を目指す場合は計量経済学を勉強して実証分析で修士論文を書くのがおすすめです。
次に博士号取得後のキャリアです。これについて、私は他の登壇者よりも悲観的かもしれません。経済学の修士卒と学部卒を就職活動という面で比べた場合、同等かむしろ修士卒の方が有利なくらいなのですが、博士卒となると年齢が上がっている分だけ雇ってくれる企業の幅がどうしても狭くなります。もちろん、自分でやる気になれば起業なども含めてさまざまなキャリアパスが拓ける可能性はありますが、博士課程に進学しようと思う場合はこの点の覚悟が必要で、漫然と進学してしまうと後悔することになるかもしれません。最近では、Amazonなどのグローバル企業が経済学博士の専門知識を評価して採用する動きも見られますが、実際にはそれほど数が多いわけではないので、よく考えて進学した方がよいと思います。また、大学の博士課程には研究者志望の人を優先するようなマインドも残っているので、そこに進んであえてアカデミア外のキャリアを目指したいのであれば自分で道を切り拓いていく必要があります。
安田 博士号取得者の進路は国によって実情がかなり異なる印象を持っています。事前アンケートでは海外の博士課程に関心をお持ちの方もたくさんおられましたが、特にアメリカでの博士号取得者のキャリアについて、向山さんにお伺いしましょう。
向山 キャリアの前に、経済学が就職後にどう役立つかというお話から始めさせてください。まず近藤さんも言われたように、実際に世の中に出て一番役立つ分野はデータを分析する計量経済学だと思います。そうすると、先ほど小枝さんも触れられましたが、「では、データサイエンスやコンピュータサイエンスではなくて経済学を学ぶよさは何なのか?」という疑問が必ず出てきます。この疑問への私なりの答えは、人間行動や社会全体の構造を理解するための理論体系がしっかりしている点に経済学の独自性がある、ということです。そういった体系がバックグラウンドにあることが、データ分析をするうえでも経済学を学んだ人の強みになっていると思います。なので、やや逆説的ですが、実証や応用をやりたい人もまず経済理論をきちんと勉強することが大事だと思います。
この点を補足したうえでアメリカの博士号取得後の進路について見てみると、まず言えるのはアメリカの場合は修士・博士を問わず、日本に比べて就職先の幅がとても広いということです。大学への就職が強い、国際機関に強いなどといった大学ごとのカラーはありますが、博士号をとった後の就職先をざっくりと全般的に見ると、大学、政府系機関、民間企業、がそれぞれだいたい3分の1くらいずつ、というのが個人的な印象です。なので必ずしも博士号をとった人がみんな大学の先生を目指す、という感じではないです。政府系機関というのは中央銀行や官公庁、国際機関などですが、たとえばアメリカの中央銀行であるFRBだけでも経済学やファイナンスの博士号取得者がトータル400人くらい、エコノミストとして研究をしたり政策のアドバイスをしたりしています。地方の連邦準備銀行も含めるとおそらく全部で700人を超えてくると思います。他の政府機関や国際機関でもたくさんの博士号取得者が働いています。民間企業の場合は、金融機関やコンサルティング会社への就職は以前から多いですが、最近では近藤さんも触れられていたAmazonやUberなどのテック企業に就職する学生も非常に増えています。
■ ビジネスや政策の現場でどう使われている?
安田 ではこのテーマの最後のトピック、「ビジネスや行政、国際機関で経済学は実際にどう使われているのか?」に移りましょう。ここではより具体的に、どう使えるかにフォーカスします。まずは山﨑さんからお願いします。
山﨑 私の専門は開発経済学なので、特に国際協力系(開発コンサルティング、国際協力機構〔JICA〕、国際連合、世界銀行など)で働く場合についてお話しします。開発経済学は国際協力の仕事に直結する分野なので、そこを目指す人の多くが勉強している分野だと思います。また、世界銀行などでは経済学の博士号取得者に絞った求人をかけていますし、行内に研究ユニットも抱えています。他の国際機関でも研究所を持っているところが多く、リサーチの比重が大きい業界です。一方、個人レベルで見たときには、幅広く途上国の問題に関心があり開発経済学をメインに考えるのか、国際経済学など他の分野に軸足を置いて途上国を分析するのか、といった色んなパターンが存在しうると思います。加えて、どの分野でもデータ分析、特に中室さんの本『「原因と結果」の経済学』で解説されている因果推論に基づいて政策の効果を測るための方法は重要です。これから目指す人は基礎知識として習得しておくことをおすすめします。
安田 小枝さんも、改めてこの点でお願いします。
小枝 私からは、以前勤めていたIMFでの仕事を簡単にご紹介します。本部は、いま向山さんがいるワシントンD.C.にあります。IMFではスタッフの約3分の2がエコノミストです。エコノミストの多くは、世界中の国々の政策当局と連携して経済レポートを作成する仕事を担当します。勤務期間は短かったのですが、私もいくつかの国のレポート作成に携わりました。そこでは、図表1つとってもマクロ経済学や金融などの知識を前提につくられていました。こうした経済調査とレポートはIMF以外の国際機関や各国の官公庁、中央銀行、あるいは民間シンクタンクでも作成されており、その中で学術研究の成果が紹介されることもよくあります。
安田 続いてビジネスの現場ではどうでしょうか。実際に会社を立ち上げて実践している山根さん、ぜひお願いします。
山根 民間企業などのビジネスの現場で特に大事なのは、「経済学とは何かを、経済学を知らない人に嚙み砕いて説明できる能力」だと思います。今日もすでに皆さんが「経済学はこういう学問ですよ」「こういう考え方をするところが他の学問とは違う特徴ですよ」などとお話しされていますが、そういう説明をするには経済学を俯瞰的に見る能力が必要です。私の場合はもともと心理学から来たので、学び始めた頃から心理学と比べて経済学にはこんな特徴があるといった観点で捉えられていたのですが、経済学だけを勉強していると俯瞰的に見るのはなかなか難しいかもしれません。だから、ときには一歩引いて、他の分野と比べたときの経済学の特徴や強みが何かを説明できるようになることが重要です。同様に自分の売りを一歩引いた視点で捉えて説明できるようになれるとなおよいと思います。
4 大学院への進学
安田 さて、次のテーマは「大学院への進学」です。非常に多くの質問をいただきましたが、まずは鎌田さんからお願いします。
■ 日米の入試は違う?
鎌田 私の場合は日本で学部を卒業した後にアメリカの大学院に進学したので、その経験に基づいてお話しします。特に入学試験は日本とアメリカでは大きく異なります。日本の大学院の場合はその学校の筆記試験と面接試験を受ける一方、アメリカの大学院の場合は日本のような各校の筆記試験はなくて、基本的には推薦状などの書類が選考の対象になります。英語圏の大学院では、それに加えてTOEFLなどの英語試験や、GRE(Graduate Record Examination)という大学院入学のための共通テストも受験します。推薦状には、その人が大学のこんな授業でよい成績をとったとか、論文が書けそうだとかいったことを、その人を推薦する研究者が書きます。よい推薦状を書いてもらうためには、日本にいる間によい論文を書いて先生に見てもらうことが重要になります [注7]。というわけで、海外の大学院については、日本できちんと論文を書き、指導教員と十分にコミュニケーションをとるのがよいでしょう。
安田 念のため確認しておくと、鎌田さんは日本の大学院も受験したんですよね。
鎌田 そこを聞きますか…(笑)。はい、私の場合は日本の大学院を受験したのですが落ちてしまったんです。じゃあ仕方ないということで、海外の大学院を目指すことにしました。そうなった理由は、入学試験の違いにあると思っています。私は農学部出身なのですが、日本では筆記試験の比重が大きいため大学院に入る前に経済学全般の知識をかなり身につけておかなければならない一方、アメリカの場合は「この人はできそうだぞ」と思ってもらえれば入学が認められることがあります。入学時点で経済学全般を十分に知っている必要はなく、たとえば経済学の中の1つの分野にだけ詳しくてそれについて論文を書いたとか、数学がよくできるとか、哲学の授業で優秀な成績を収めたとか、学部生のときに何か際立ったものを身につけている人は、アメリカの大学院なら入学できるかもしれません。
安田 国内と海外では入試の仕組みからして異なるので、合格しやすさも違ってくるということですね。とはいえ、鎌田さんのようなケースはかなりめずらしいと思います。海外大学院に留学する人は国内の大学院にも受かっている、または国内の修士課程修了後に海外博士課程に留学するケースが多いです。とはいえ、自分の向き・不向きをふまえて、国レベルで進学先を選択するのも1つの方法かもしれません。次に近藤さん、いかがでしょうか。
■ 大学院生はお金のやりくりが大変?
近藤 「大学院進学に対して親が否定的なのですが…」という質問をいただいているので、私はこれにお答えしたいと思います。もちろん最終的には親子で話し合うしかないのですが、この場合も修士号取得後に就職するのか、博士課程まで進むのかで話はかなり変わってきます。修士に進学することについては、もう2年分の学費が必要でその間働けない以外のデメリットはまずないと思います。一方で、博士まで進学するとなると金銭的なリスクなどの問題も出てくるので、その点についてよく考える必要があります。もし進学や将来について悩んでいる場合は、とりあえず修士課程に進んでみて、その2年間でよく考えるというのも方法の1つです。修士課程にいると、博士課程の人たちと授業で一緒になったりして話をする機会が増えるので、そこで情報を集めることもできます。
安田 大学院進学とお金の問題についても質問をいただいているので、それとあわせてお話しいただくことにしましょうか。
近藤 そうですね。お金の問題については、まず修士の2年間で経済学に関連した仕事で収入を得る機会は学内でのリサーチアシスタントのアルバイトくらいしかないのが普通です。学費を賄えるほどのアルバイトをしながら修士課程を乗り切るのは、よほどのバイタリティがないと厳しいと思います。多くの人は奨学金を借りたり親に頼ったりしてお金を工面しているのではないでしょうか。
一方、博士課程になると研究に関連した仕事で収入を得られる機会が増えてきます。自分の研究に近い内容でリサーチアシスタントの仕事がもらえたり、特任研究員のようなポジションに就けたりもするので、フルタイムの専任教員として就職する前の段階でも自分1人で生きていける程度の収入を得る機会はあるはずです。また、日本学術振興会が給付型奨学金のような形で支援してくれる制度もあります [注8]。
逆に言うと、博士課程に3年くらい在籍してもまだそうしたポジションに就ける見込みがない場合は、そこで進路を考え直す必要があるということです。その段階でまだ20代後半ですから、別の進路を考えた方が現実的だと思います。30歳を超えて無理して粘っていると他での就職がますます難しくなるなどリスクがかなり高まってしまうので、その少し手前で考え直すべきというのが正直なところです。
安田 このトピックの最後に、向山さんからもコメントをいただけますか。
向山 修士課程については近藤さんにまったく賛成です。私もそうでしたが、「研究者になりたい」といった明確なビジョンがなくても、もう少し勉強したい、というくらいの気持ちで進学しても日本で修士課程に行くには大きなコストは生じないと思います。とりあえず進学して、そこで論文を書いたりいろいろな人と話をしたりして、自分の適性を考えて次の進路について考えてみるのもいいと思います。
博士課程の場合は、アメリカと日本では金銭面で異なる点があります。それは、アメリカなど海外の大学院の多くでは、博士課程では最初から生活費がもらえる場合が多いということです。たとえば私が勤務するジョージタウン大学では、ほとんどの大学院生が、学費を免除されるだけでなく、1人が生活していけるくらいの生活費を5年間、大学から保証されて入ってきます。2年生からティーチングアシスタントとして働く義務はありますが、生活費が保証されているという点で金銭面でのハードルは低くなるのかな、と思います。近藤さんが日本学術振興会の制度を紹介されましたが、日本の場合は全員が給付を受けられるわけではないので、日本の博士課程に入る場合には金銭面での覚悟がそれなりに必要になってくると思います。
加えて、アメリカの博士課程では民間企業、たとえばテック企業や金融機関、コンサルティング会社などに就職する人も多く、そういうところは待遇もいいですし、就職先は日本よりも幅広いので、金銭面が心配な人は、海外大学院に留学することも選択肢の1つではないかと思います。
1つ注意しておきたいのは、アメリカにも経済学の「ターミナル修士(terminal master’s degree)」という、博士課程とは別のプログラムを設けている学校が多くあって、これは修士号を取得して卒業した後に就職したり博士課程に応募し直すことが前提のプログラムなのですが、こういったプログラムは、ビジネススクールなどと同様、かなりの学費がかかるという点です。博士課程のプログラムはターミナル修士のプログラムより入学のハードルも高いですし、時間的にも生活面でも大きなコミットメントが必要になりますが、生活費の給付を受けながら勉強や研究ができるわけです。
安田 私からも少し補足しておくと、日本では修士課程を経て博士課程に進むのが一般的ですが、アメリカなどの国では学部卒業後にいきなり博士課程に入れる制度になっていて、この点は大きな違いです。このような形で博士課程に進んだ場合は途中で申請して修士号を取得することになるのですが、そうではなく最初から1~2年間で修士号の取得を目指すプログラムがターミナル修士です。このように、留学を検討される場合は国によって制度が異なることも多いので、気をつけて情報を収集していただければと思います。
5 社会人の学びと進学
安田 次は、「社会人が学ぶ、あるいは進学しようとする場合にどうすればよいか?」というテーマに移りましょう。これに関しても多くの質問が届いています。まずは、実際に社会人としての勤務を経て大学院留学をされた中室さんからお願いします。
■ 働きながら大学院で学ぶことは可能?
中室 私の場合、日本銀行や世界銀行で実務経験を積んだ後に、博士号を取得して研究者になったので、研究者としてのキャリアのスタートはかなり遅めです。まず、コロンビア大学のSIPA(School of International and Public Affairs)という修士課程に入った時点で28歳でした。学部卒業後すぐに大学院に進学すると22~23歳でしょうから、大学院進学自体もかなり遅いように感じられるかもしれませんが、アメリカでは大学院に進学する学生は多様で、ミッドキャリアで進学する人も少なくありません。私は当時でちょうど中央値くらいの年齢でした。
また、私が勤務する慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)でも、多くの社会人の方が大学院で学んでいます。私の研究室の博士課程の学生も全員が社会人で、官公庁や企業で勤務される方が仕事をしながら大学院で学んでいます。こうしたリカレント教育を提供することは、大学院が果たすべき重要な役割です。一度就職したらもう二度と勉強しなくてよいという世の中ではありません。以前よりも働きながら大学院に進学するという選択肢は増えていますし、ぜひ皆さんにも検討していただければと思います。
安田 小枝さんはいかがでしょうか。
小枝 私も中室さんに同感です。加えて、最近はオンラインで学べる機会も増えているので、それも有効に活用できると思います。また、日本の大学院は欧米等の大学院と比べて論文指導が手厚いので、その点はおすすめです。
安田 加えて、「社会人から大学院進学を考える場合、進学先の大学院や指導教員をどのように選択したでしょうか? 学部卒業後すぐに進学する場合は、ゼミの先生や進学を目指す同級生などもいて情報収集や相談がしやすいと思うのですが、いったん離れてしまった場合はどうすればよいでしょうか?」というお悩みをいただいています。中室さん、この点はいかがでしょうか。
中室 私の場合は、コロンビア大学で修士号を取得し、世界銀行でコンサルタントをした後に世銀から奨学金を得て博士課程に進学し、学位を取得しました。修士課程のときに開発経済学と教育経済学の授業をとったリベラ・バティス先生のもとで、博士課程でもご指導いただきました。人それぞれだと思いますが、これまでのご縁に頼ったり、信頼できる方にご紹介をお願いしたりしてアプローチしているケースが多いのではと思います。
安田 そうですね。私の周りにも社会人を経て大学院に戻った知り合いが複数いますが、結構ケース・バイ・ケースです。学部時代のゼミの先生に相談したり、勤務先の上司などで経済学の知見を持った方がいればお話を聞いたりするなど、アドバイスをもらえるメンター的な人はそれぞれかなあという印象です。
■ 社会人から進学した後のキャリアは?
安田 「社会人から大学院を経た後のキャリアはどうなるのか?」という質問もいただいています。こちらは近藤さん、いかがでしょうか。
近藤 今日の登壇者にもいらっしゃいますが、社会人を経て大学院に進んで研究者になった人は山ほどいるので、まずこれはキャリアの1つです。研究者以外のキャリアとしては、修士号を取得して就職する場合はさまざまです。もともとシンクタンクに勤めていた人がより経済学の専門性が高いシンクタンクに移られる場合もあるし、国際機関に進まれる方もいます。もちろん、経済学とはまったく関係のない仕事に就く人もいます。
社会人を経て進学するメリットの1つはお金ですね。自分で働いてお金を貯めておけば、学部卒業後すぐに進学した場合と比べてお金の心配は減ります。また、20代前半で社会人経験を積めるというメリットもあります。反対にデメリットは、大学院修了後に働ける期間が相対的に短くなることです。それらを天秤にかけて決めることになるのだと思います。いずれにせよ、大学院に時間を費やす場合には、キャリアに費やせる時間が減る、あるいはキャリアが中断されることは避けられません。就職する前にやるか後でやるかという違いで、実際にはそれほど大きな差はないと思います。
6 研究者の仕事と生活
■ 研究者になったきっかけは?
安田 それでは本日最後のテーマ「研究者の仕事と生活」について伺っていきましょう。
まず、皆さんが「なぜ/どうやって研究者になったか?」に迫っていきたいのですが、困ったときのトップバッターということで、また鎌田さんからお願いします。
鎌田 先ほども触れた通り、私は東大の農学部の出身です。しかも学部時代は農業経済を勉強していたわけでもなく、公園の設計、植物や鳥の観察、トマトの栽培などといったことをやっていました。そんな中で、これは自分のやりたかったことと違うなと、日々悶々としていました。そんなとき、たまたま授業のコマが空いていたので経済学部の授業を履修してみたんです。松井彰彦先生のゲーム理論の授業でした。
これが非常におもしろくて、松井先生の研究室に行って授業の質問をしたりしているうちにゼミにも入ることになり、さらに勉強しているとますますおもしろくなってきました。それで農学部卒業後は経済学の研究がしたいと思い、学部4年生のときに経済学大学院の授業を履修して勉強したりもしました。こう考えると、経済学の研究者を志すきっかけになったのは松井先生の授業ですね。
安田 大学院進学の話を蒸し返すと、鎌田さんにはゲーム理論が好きになって学部時代にすばらしい論文を書いて、それがきっかけで国内の大学院には落ちたけれどもハーバード大学の博士課程に進学した、という裏のストーリーがあります。日本の大学院入試制度の問題は、鎌田さんのような一芸に秀でた人を拾い上げられていない点だと思います。きっと鎌田さんはマクロ経済学の勉強をほとんどせずに入試に臨んだのではないかと思うのですが、そういう人は日本の大学院入試にはあまり向いていないかもしれません。この点、やはり国によっても大学院によっても学生のどんな要素を重視するかは結構異なると思います。では次に、山﨑さんお願いします。
山﨑 私はもともと修士までは経済学を勉強したいと思っていました。東大の学部1年生の頃に開発経済学に興味を持ち、経済学部で開発経済学を教えていたのは澤田康幸先生だったので、当然澤田先生のゼミに入りたいと思っていました。ところが、ゼミの一次募集での面接試験で落ちてしまったんです。でもどうしても開発経済学がやりたくて、二次募集でも澤田ゼミに応募したら、何とか通してもらえました。それがなかったら、自分は開発経済学の研究者にはなっていなかったかなと思います。
もう1つは、特に海外の大学院で研究する場合、かなり長い期間、1つの論文にかかりきりになってよいものを仕上げなければならないというカルチャーが強く、リスキーで精神的にもつらいものがあります。特定のプロジェクトに集中する中で、自分としては自信が持てる結果が得られても、他の人にコメントをもらったり褒めてもらったりする機会がないと不安になります。私もなかなか自信が持てずにいたのですが、たまたまとある研究会で発表した際に、それまで面識のなかった研究者の方から自分の論文を褒めてもらえて、かなり気が楽になったという経験があります。振り返ってみると、何らかの形でサポートしてくれる方が周囲にいないと研究を続けるのはつらいので、自分としてはそういう点で周囲の方々から受けた影響は大きかったと思います。
安田 あともう1人、近藤さんもお願いできますか。
近藤 私については、こんなケースもあるんだよという程度で聞いていただければと思います。私自身は、大学に入学する前は官公庁や中央銀行などに就職して日本をよくするために働きたいと思っていました。当時は、研究者は机上の空論ばかりやっていて役に立たない人たちだと考えていて、大学3年時に経済学部のゼミに入ったときに、先生に「経済学なんて何の役にも立たないのではないか」と絡んだことがあります。それに対して先生は、「君の言うことももっともだが、だからと言って発言力のある仕事をしようと思ったら、修士号くらい持っていないと政府でも注目されないぞ」と、今思えば噓八百で返してきました。もちろん、国家公務員になるのに修士号が必要などということはなかったのですが、そういうふうに言われて丸め込まれているうちにだんだん経済学自体がおもしろくなってきて、そのまま研究者になってしまったという感じでした。多くの人は、高校生のときに「こうなるんだ」と思っていた進路とは異なるところに行くと思います。逆に、今この配信を見ている高校生で「絶対に経済学者になるんだ」と考えている方もいると思いますが後で気が変わるかもしれません。なので、なるべくいろいろな可能性を閉じないでいた方がよいかなと思います。
■ 研究とプライベート、どうしている?
安田 それではいよいよ本日最後、「日々の研究とプライベートをどのように送っているか?」というトピックに移りましょう。皆さん、公開のYouTubeライブ配信だということを忘れずに、話せる範囲でお願いします。まずは山根さん、いかがでしょうか。
山根 私からは、ぜひ「経済学が趣味で大好きだと言えるレベルでないと、研究者や経済学分野で活躍することは難しいのでしょうか?」という質問に答えたいと思います。経済学者の中には本当に経済学が趣味でずっと研究しているような人が多いかもしれないのですが、私の場合はこの質問者の方と同じで、経済学とは関係のないオタクな趣味も持っています。私はこのオタク趣味と研究を絶対に両立したいと思い、趣味の時間もしっかり確保すると決めてやっています。ただ、実際に仕事をしていて、オタクな部分が仕事や研究に役に立つこともあります。また、このオタク趣味は他の人にはない私の強さ、アドバンテージだとも思っています。これによって他の人にはない発想を持てたりすることが、私の強みになっています。質問してくださった方も、自分の趣味と両立しながら自分の武器にしていくつもりでやるといいかなと思います。
安田 何のオタクなのかはあえて聞きませんが、しっかり研究と両立して、さらに会社も立ち上げてしまったということですね。次に向山さん、いかがでしょうか。
向山 私は、アメリカにいるせいもあると思いますが、自分のアイデンティティを常に意識するのが大事だと思っています。私の場合、留学でアメリカに来たばかりの頃は、英語ができなかったり生活習慣が違ったり、日々の生活や勉強で不利なことばかりだと感じていました。ところが、実際に研究を始めてみると独自性が大きな価値を持ち始めます。そして独自性を発揮するためには、他の人にはない自分のアイデンティティが大事になってきます。私の場合は、日本で生まれ育ったということがアメリカにいる他の研究者たちと異なる部分で、この点が他の人と違った視点や考え方を持つうえで大きくプラスに働いたと思います。山根さんのお話ともつながりますが、他の人が持っていない独自性というのは研究をするうえで大きな武器になるので、プライベートな部分でそれを養うということも大事にするとよいのではないかと思います。
■ 子育てと研究の両立は?
安田 続いて小枝さんは、研究とプライベートの関係についていかがでしょうか。
小枝 私はいわゆる「共働き、子育て世帯」で、基本的には平日の日中に研究や仕事を進めなければならない状況です。もちろん、一昔前に比べれば子どもを保育所や学童などに預けて働くという選択肢があること自体に感謝しなければならないのですが、働き盛りの研究者の場合は休日も関係なく研究に取り組むことが多いですよね。日本の場合は国民の祝日も多くて、研究をしたくても中断しなければならないことがよくあります。そんなときは割り切って、家族で自然のある場所に出かけて気分転換したりするのですが、研究時間をどうやって捻出するかは大きな課題です。いろいろ試してはきたのですが、他の登壇者の皆さんからアドバイスなどあれば、ぜひ私も伺いたいです。
安田 画面上で頷きまくっている近藤さん、ぜひ一言お願いします。
近藤 今まさに、この扉の向こうで子どもが騒いでいるので、小枝さんのお話はよくわかります。加えて、実は子育てと研究の両立は女性だけではなく、同世代や下の世代の男性研究者も等しく直面している問題です。というのも、最近はどんな業種でも共働きの家庭が増えて、男性が大学教員で女性の方が会社勤めだったりすると、保育園の送り迎えなどはほぼ必ず、時間の融通を効かせやすい大学教員が担当することになります。なので、男女問わず育児で思考や作業が分断される問題は真面目に考えた方がよい問題だと思っていて、私もよい答えがあったら教えてほしいです。子どもにエネルギーを割きながら仕事や研究をきちんとやるというのはかなりハードですよね。
安田 私にも小学生の息子がいます。近藤さんは、育児と研究の両立は男性研究者も直面している問題だとおっしゃいましたが、やはり日本では育児負担は圧倒的に母親に偏っていると思います。というのも、ルーティン化できる家事などは男性も参加しやすいのですが、子どもが急に体調を崩すなど、何らかのアクシデントが起きたときの対処とか、そういう事態への備えを常日頃から考えるとか、困った状況への対応にあたるのは、多くの家庭では母親ではないかと思うんです。これと研究との相性は、実はとても悪い。ルーティンワークの家事と研究とのマルチタスクはある程度こなしやすいのですが、常に何かに備えて考えるということを研究と同時にやるのはなかなか難しいです。この点で、男性研究者の場合は子どもがいても、女性よりもある程度は負担が小さいという意識は持っていた方がいいのかなと思います。これは私自身が子どもを持って痛感したことです。
それでは最後、中室さんにこのテーマもふまえて締めの一言をいただいてお開きにしたいと思います。
中室 最後に大役をいただきありがとうございます。研究者には、家庭と仕事、研究をしっかり両立している人が多いという印象です。それができる最大の理由は、先ほど近藤さんからもお話があったように、研究者は自分の時間を自分でマネージできるからだと思います。実際、私が現在非常勤で兼任しているデジタル庁の仕事と比べると、研究者の時間の使い方ははるかに自由度が高い。この点は、研究者という職業の魅力の1つであることは間違いありません。
一方で、全員が家庭と仕事の両立を難なくこなせているかと言うとそうでもなく、特に女性の研究者には大きな負担がかかっています。これは大学というよりも、日本社会全体の構造的な問題です。つい先日も私たちの研究グループが採択された大型の委託研究では、「泊まり込みの研究合宿」への参加が奨励されており、大変驚きました。もちろん、研究者間の意見交換やネットワークは重要ですが、泊まり込みの合宿である必要がどこにあるのでしょうか。幼少期の子どもを育てていたり、介護をしていたりする人が泊まり込みの研究合宿に参加できるわけがありません。しかし、仕組みをつくる側の人が全員男性で、ひょっとすると子育てや介護の負担を抱えている人がいるかもしれないという想像をすることなしに意思決定をしています。
私はこのことにとても疑問を持ったので、泊まり込みでなくとも多くの人が参加できる仕組みをつくってほしい、ということを率直にお伝えしました。私は沈黙したまま自分の中で解決しようとすることは決して美徳ではなく、はっきりと意見を言うことこそ、とても重要なことだと思っています。そうしないと、無意識に変な制度をつくっている人たちに気づいてもらえないし、社会も変わっていかないからです。この意味で、家庭と仕事を両立できるように、私たちにできることはまだまだ多くあります。
7 おわりに
安田 中室さん、最後に熱いメッセージをありがとうございました。昨年と同様、今回も登壇者を男女半数ずつにして、こうしたトピックも双方の視点から扱えたのは非常によかったと思います。限られた時間の中で答えきれなかった質問もあり恐縮ですが、本日のイベントはこれで終了となります。ご視聴いただいた皆さん、長時間にわたり本当にありがとうございました。
[2021年10月8日収録]
おしらせ
第1回・日本経済学会のサテライトイベント「経済学について知ろう!」(2020年10月開催)の内容も、経セミnoteで公開中です。パネリストもトークの内容もガラッと異なり、こちらもお楽しみにいただけるのではないかと思います。ぜひぜひ、ご覧ください!!
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