書評:西畑一哉著『「取り付け」の研究』 (経セミ2022年10・11月号より)
評者:白川方明(しらかわ・まさあき)
青山学院大学特別招聘教授
「取り付け」を真正面から論じた本邦初の書物
金融機関の破綻の原因は究極的にはソルベンシーの不足に求められるが、破綻の直接的なトリガーは常に流動性の不足である。流動性の不足はある段階から加速するが、そこで本書の取り上げる「取り付け」が起こる。バジョットの『ロンバード街』が今日まで読み継がれているように、私はこの「取り付け」のメカニズムを理解することなしに、金融市場や金融システムを理解することはできないと考える。ただ残念なことに、それらに関する書物の多くはソルベンシーの問題を主に論じており、流動性は付随する問題という位置付けになっている。本書は流動性それ自体が経済・金融の大きな変動要因にもなるとの認識に立って書かれた貴重な労作である。
取り付けという言葉からは、個人預金者が銀行店舗に列を作って並ぶという古典的イメージが連想されることが多いが、最もインパクトが大きい取り付けは今も昔も圧倒的に金融市場からの資金調達の困難化である。預金の取り付け自体にしても、その形態や中央銀行の対応も時代と共に変化している。本書に記述されている通り、約100年前の昭和金融恐慌時は、取り付けに伴う銀行券の需要増加に発行が間に合わず、片面だけを印刷した「裏白銀行券」が発行された。1990年代には取り付けは銀行店舗で起こるとは限らず、ATMネットワークを通じて起こりうるものに変化していた。将来仮に中央銀行デジタル通貨(CBDC)が発行される場合は、かつてのように店舗やATMが取り付けを促進、制約する要素になることはない。民間銀行預金からCBDCへの移転が瞬時かつ大量に起こりうる時代へ変化する。
本書の第1章では銀行のバランスシートの特殊性を説明したうえで、なぜ取り付けが起こるかが説明される。第2章から第5章では、平成金融危機時等の個別事例に触れながら、取り付けの経緯や原因について一次資料を基に丁寧に論じられている。そして第6章では、CBDCの登場する世界での取り付けへと議論を展開させている。日本銀行で「取り付け」と向き合う仕事に長く従事した著者の実体験に基づく記述も興味深い。
これまで危機の度に、取り付けの蓋然性を低下させたり、その影響を軽減するための制度が導入されたりしてきた。グローバル金融危機後も、銀行に対する資本規制や流動性規制が強化された。しかし、取り付けはなくならないと私は思う。流動性に対するニーズは必ず存在する以上、銀行への規制が強化されると、その外縁に流動性を供給する企業が登場しシャドーバンキングが生まれるからだ。グローバル金融危機後、投資銀行というシャドーバンキングに対し一定の規制強化が図られたが、今度はその外縁部に別のシャドーバンキングが生まれる。投資信託をはじめとするさまざまな「ファンド」や巨大な機関投資家の提供するサービスがそれである。こうした半ば必然的な展開を考えると、昔から提案され一見魅力のあるナローバンクも実は本当の解決策にはならない。というのも、ナローバンクの提供する流動性も入出金のズレという問題からは逃れられず、絶対に安全確実な流動性供給主体にはなりにくいからである。
いずれにせよ、21世紀の金融システムを考える際には、さまざまな形態で発生する取り付けの問題を抜きに議論は完結しない。取り付けは金融の本質的な論点であり続ける。本書はそうした問題を真剣に考えたいと思う読者にさまざまな材料を提供しており、広く一読を勧めたい。
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