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書評:小田切宏之『産業組織論』(経セミ2020年4・5月号より)

小田切宏之[著]
産業組織論――理論・戦略・政策を学ぶ
(有斐閣、2019年11月発売、A5判、328ページ、税別2700円)


評者:安達貴教(あだち・たかのり)
   名古屋大学大学院経済学研究科准教授

競争政策を考えるためのトピックスを
バランスよく解説

著者は、広告戦略などを扱う第7章「品質と価格戦略・広告戦略」において、広告の本質は「著者が自著の書評を書くようなものだと評した」(146頁)ニコラス・カルドアを引きながら、「読者が今読んでいるこの本の書評を著者である私が書いても、マイナスなことは決して書かないだろう」(同)とユーモアを披露する。今や、最終章の第14章「マルチサイド市場とプラットフォーム」でも顔を覗かせるSNSで、誰もが自著の宣伝に余念のないご時世ではあるが、著者ではないわれわれ自身も、「マイナスなこと」を書くことがどれだけ不可能なことなのかを実感するであろう。

不完全競争を前提として生じうる諸問題を対象とする産業組織論は、その性質上、競争政策との関連が深い。と言うよりも、競争政策とダイレクトに結びついている。本書の特徴は、副題が示す通り、その構成のバランスの良さにあり、また、全体として、対応する審判決や行政命令の事例が豊富に取り上げられている点も見逃せない。まず、部分均衡を前提とした不完全競争の理論が見通し良く提示された後(「第I部 基礎理論編」)、それを前提として、競争政策上問題となる諸論点との関連を意識する形式で、価格決定、差別化、広告、研究開発といった企業戦略が手際良く解説される(「第II部 戦略編」)。そして、最後の「第III部 政策編」では、より政策に密着し、市場画定(第10章)、カルテル(第11章)、合併(第12章、独禁法の用語では「企業結合」)、垂直的取引制限(第13章)、そして、上述の第14章で、経済のデジタル化と共に顕在化してきた課題が扱われている。

とりわけ、第12章では、GUPPI(価格上昇圧力)や共通株主(common ownership)といった、「世界的共通言語」とも言うべきトピックスが扱われているし、第14章は、プラットフォームの経済学の基礎理論とも言うべきで、近時話題のいわゆる「データ寡占」までもがわかりやすく解説されているので、競争政策に係る当局者、あるいは企業側の関係者、そして独禁法学畑の実務家・研究者にも便宜を供している。今後の競争政策上の議論は、本書の内容を前提として展開されるべきと言い切っても過言ではないだろうし、もちろん、消費者や利用者の視点からの企業行動の理解にも資する内容となっていることは言うまでもない。

なお、初歩的なゲーム理論を含めたミクロ経済学の知識は前提とされているものの、計量経済学の知識は全くと言っていい程前提とされていない。しかしながら、学部レベルにおける実証的手法の教育の普及に対応して、例えば、製品差別化を導入する第6章で、ロジット需要モデルに関する解説を追加することもできるであろう。それに伴って、実証的接続に乏しい「ホテリング・モデル」(「6.3 ホテリングの立地モデルと最小差別化定理」)や、現実性にやや欠ける理論的概念が針小棒大的に解釈されている嫌いのある「ディキシット・モデル」(「8.2 コミットメントとしての投資戦略」)は割愛してもよいであろう。

周知のように、独占禁止法は、企業の営業努力やイノベーションそれら自体によって獲得される優位性までを否定するものではない。本書が産業組織論の教科書「市場」において優位性を発揮するのは、その内容故であると同時にまた、その内容の故に、少なからぬ読者を刺激し、この優位性に挑戦する将来的な参入の芽を育むことになる。そのためにこそ本書は、将来の改訂版の可能性も含め、永く読まれるべき教科書と言えるのである。


『経済セミナー』2020年4・5月号からの転載。


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