創作意欲が減退している今、やるべきだと思うこと
一、はじめに軽く現状の説明
私は書くことが好きです。
パソコンで書くのも好きですがペンと紙で書くのも好きだし、なんならスマホで文字を打つのも好きですね。
その代わり書くのに夢中になるあまり、文章がだらだらと長くなり、全体的にしまりが悪くなったり、竜頭蛇尾になったりします。
人を飽きさせない、くどくない文章とはなんぞやと悩みはじめて、実は幾ばくもないので、三十代後半の現在でも発展途上なのかもしれないですね。
小説を書くのが昔から好きです。日記を書くのも好きで、便利な道具の紹介記事なんかも個人ブログで書いたことがあります。
要するに文章を綴るのが好きなんです。
最近悩みがあります。小説が書けなくなってきたんです。noteでブログ記事を書くことと小説を書くことは、全く違う技術がいります。
まずネタが浮かばない。書きたいと思う話が脳裏をよぎらない。それはなぜなのかと考えた結果、ある仮説が浮かんできたので、noteの記事にすることにしました。
この記事では私の創作意欲が無くなってきた原因の仮説と、それに対して私がいまやってる対策について書こうと思います。
行き詰まってる他の方の参考の一例となったら幸いです。では、行きましょう。
二、自分が作家になりたいのか分からなくなった
人はなぜ創作をするのでしょう。
私の場合は小学生の頃に本の虫で、色々読むうちに自分も小説を書きたくなったのが、そもそもの発端でした。最初に書いたのは、好きな漫画のキャラが出てくる二次創作です。中学一年頃でした。
きっかけはさほど奇異なものではないのですが、問題はその後でした。私は小説を、自己顕示欲を満たすための道具として、創作するようになりました。その状態が続いて二十年ほどになります。
なぜ作家を目指す人が出てくるのか。
創作そのものが好きで好きで書きまくってるうちに作家になる、というのが理想ですが、そうでない人もいます。
有名になりたいから、作家として文筆業で食べていけたらかっこいいから、文章を書くぐらいしか取り柄がないから、日本語なら書けるからなんとかなるんじゃないか、等々、情けない理由のある人もいます。確実にいます。
かつての私がそうでした。物語を書く100パーセントの動機が、全てそうだとはいいませんが、そういう思いもどこかにあったのは事実です。
これを認めるのは勇気がいることです。受け入れるのに二十年かかりました。そのぐらい目を背けていた事実でした。
文章を書いている間はアドレナリンが湧きます。少なくとも私はそうです。書くのが楽しくて楽しくて仕方がないという感覚です。そういう思いもあります。
ですがそれと、素質があって努力を続けられるかどうか、というのは別問題です。
私は物語の構成やプロットを作るという、小説を書く上での大切なことが抜けていました。とにかく書きたくて、登場人物や書きたい場面が思い付くと、みきり発車で書き始めてしまいます。結果、最後まで完結できないということが続出しました。
加えて、私の文章が非常に細かくて説明がくどく、竜頭蛇尾になるのが悩みでした。物語を完結まで書けないというのは、作家を目指すものとしては致命的な欠点でした。
文章を書きたいのか、それとも作家になりたいのか、分からなくなったのが、今から三年ほど前です。
三、満たされて飢餓感が無くなった
文章を書くにはそれなりのエネルギーがいります。
体力もそうですが、文章を綴る原動力である、精神力の勢いは大きいです。文章の完成如何に大きく関わります。いわゆる「やる気」とか「モチベーション」とか言われる精神の傾向のことですね。これがあるなしでは違いが歴然です。
私はそれが現在、減退しています。
理由は分かっています。リアルが充実していて、家族や他人から認められるようになったからです。分かりやすく言うと、承認欲求が満たされ、飢餓感が無くなったのが主な原因でした。
私はあまり順調な人生は歩んでいません。自分の不幸自慢をして人生を切り売りして、見世物にするようなブログを運営していたこともありましたが、恥を感じるようになって閉鎖してしまいました。実際のところ、楽しくありませんでした。
その経験から、自分の経験を元に啓蒙する必要があるとき以外は、あまり自分の黒歴史を語ることはしなくなりました。
それをしなくても現在は、ネットではなくリアルが忙しくなり、成果を家族や他人に認められるようになり、また話をまともに聞いてくれる人が増えてからは、焦燥感に駈られることもなくなりました。
私は昔からあまり相談相手に恵まれませんでした。ですが現在では違います。その事が大きいです。私はずっと「誰か私の話を聞いて!」と思っていました。心が満たされて、そこまでは良かったのですが、それと共に創作意欲まで削られてしまったのです。
私の焦燥感や飢餓感、上昇志向の原動力になっていたのは「人間としての尊厳が守られたい」という、ただそれだけのことでした。それほど私の生活は悲惨でした。
人に大切にされるようになってからは、創作の動機のひとつである「人に認められたい」という欲求が解消されてしまいました。
恐らくそれが私の、創作意欲の原動力だったのでしょう。
作家になる理由がなくなった、と言ってもいいかもしれません。
四、新たな原動力はあるか
創作の動機となる原動力を失った今、私のやるべきことはなんなのか。それが大きなテーマです。
直近の目標は、物語を完結させるようになることです。これは情けないと自分でも思うので、最低限できるようになりたいと思います。
書かずにいられない焦燥感を掻き立てる原動力としては弱いですね。
あと唯一残ってるのは、文章を書くことそのものに喜びを感じること。これが鍵だと思っています。
この記事が書けるのも第一には、書く私自身が楽しいから書けるのです。第二は、スランプに陥っている他の人の参考になれば僥倖、という気持ちもあります。
あとは、物語のシャワーをたくさん浴びたいです。インプットが足りないと思うのです。本を読んでいるとき他の事で気が散って、読めなくなることが多いです。
私は小学生の時のような集中力と学習意欲を取り戻したいです。そのための「やる気」や「モチベーション」をコントロールすることが、大切だと思っています。
まず足の指先からでも差し込んでみて、あとは集中力が乗ってくればこっちのものです。
少しでもやってみれば、たまにそのまま読書や勉強を続けられることがありますよね? その波にいかに乗るか、これがポイントかもしれません。
五、おわりに
自分の備忘録のつもりで書いているこの記事ですが、思いの外、ボリュームができました。
調子が崩れてきたら、私はセルフマネジメントができているかを見るようにしています。
要するに自己管理です。早く寝ているか、食事はしているか、お風呂に入れているか、自分のための時間を割いているか、大切な用事を後回しにしていないか、そういうことです。
調子が崩れてきたらセルフネグレクトが始まっているかもしれません。生活が破綻しては元も子もありませんので、まずは自分の日常を整えてられているかを大切にすることが重要です。
私が現在やっていることは以上です。
文章を書くのが好きという気持ちだけで、ここまで来ました。「作家になる理由が無くなった」と書きましたが、文章を一生書いていたいという気持ちは変わりありません。
努力を積み重ねていった先に何があるのか、見てみたいと思います。ひょっとしたら、予想とは全然別の未来が待っているかもしれません。
少しでも私の体験が、そちらへのフィードバックとして参考になったら、書いた甲斐があったというものです。
では、またご縁があったらお会いしましょう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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