親と徹底的に対話したら希死念慮が消えた話
お久しぶりです。
noteだけでもこれだけクリエイターがいるのだから、私一人いなくなったところで影響はないと思いますし、自分の更新が滞ったところで気にする人もいないような気もしますが、ひとまず近況報告から書こうと思います。
最近は好きな花が増えて、彼岸花もそのうちの一つなんですが、いい写真があったので、ヘッダーにお借りしました。
家族と徹底的に向き合っていた
元々三人家族でしたが、父が数年前に他界してからは、家族と呼べる人は母だけになりました。
なので母とよく話し合いました。およそ三年かけて。
話し合いを試みてから、現在まで裕に五年ほどかかりました。
日頃の不満から、日頃の感謝、過去に受けた待遇への不満、逆に過去にしてもらって嬉しかったこと、今後どうしていきたいかという、ありとあらゆることを話し合いました。
かつては毒親ぶりが目立っていた母でしたが、私が病んで父が他界してからは、一人の親として心を多少入れ替えたらしく、逃げずに話し合いに応じるようになりました。
「それまで逃げてたんかい」というツッコミが読者から来そうですね。はい、逃げられてました。35年間ずっと。
私の年齢層もほぼ知れてしまう感じですね。まあ隠すようなことでもないのでいいのですが。
閑話休題。
今ではそこら辺の親子以上によく話すようになったと思います。
精神的にかなり楽になりました。
実は35年間ずっと死にたいという願望にとらわれていて、医者も草津の湯も効果なしという状態だったのですが、その長年に渡る希死念慮に、さよならすることができて、とても気が楽になりました。
「え、精神科医も治せないの?」という感想が飛んできそうですね。はい、治せませんでした。少なくとも私の場合は。
元々の悩みが、いじめとかパワハラとか親からの待遇の悪さとか、そういうトラウマやPTSDに関することだったので、衝撃を受けた記憶そのものや、ダメージを受けた心の傷をどうにかすることは、精神科医にもできないんですね。
まして家庭内の不和そのものは、精神科医にはどうにもできません。よくよく考えれば、精神科医は精神疾患を治療することはできますが、患者の環境を変えることはできないんですよね。
希死念慮が消えた理由は親だった
じゃあどうやって治せたのかというと、それは「自分のトラウマと徹底的に向き合った」ことだと思っています。
私が一番苦しかったことは、いじめやパワハラそのものではありませんでした。それで体調不良になっていることを親に気づいてもらえなかったことと、受けたダメージを軽んじられたことでした。
一時は苦しかったけど、母を捕まえて徹底的に話し合い、受け入れてもらえたことによって、私はダメージそのものはそのままですが、少し気が楽になって、希死念慮が消えたんです。
「死にたい」と思う気持ちそのものをどうにかしたかったわけではなく、ちゃんと親と話し合いをしたかっただけだったんですが、思わぬ収穫でした。
今でも同居している親のことは好きではないし、よく言い合いになることはありますが、私も落ち着きを取り戻して、平穏に暮らすことができるようになりました。
そもそもが病んだ理由が親だったので、やっぱり親子関係をよくすることを考えないといけなかったのですが、私は話したいと思っていたのにずっと話し合いを避けていた父や母も、大概病んでますね。
私が会社からのパワハラで病んで、父が亡くなったことで、母もさすがに「これじゃいけない」と思ったようでした。
私が何回呼び掛けても変わらなかったのに、人生何が人の考えの変化に作用するかわからないものですね。
希死念慮は無いのが本当は自然
幸せな人は希死念慮はありません。
あるとしたら何らかの原因があるんです。私のように親とうまくいってなかったとか、お金に困ってるとか、学校や会社がきついとか。
私の経験談から申し上げるなら「死にたい」と思っている状態というのは普通ではありません。それは思わされているんです。
しかも私のように何十年単位で思っている(私は現在は思ってませんが)という人は、なにかしら病む原因があったはずなので、それを解決しないことには、直接の解決にはなりません。
私の粘り勝ちと、状況の変化によって、母の気持ちが多少変わったことで、私の場合は好転しました。ですがすでに、私の年齢は40の大台に向かっています。
今の世間でよく言う「親ガチャ」で、私はハズレを引いたんだと思いますが、これからできることは何だろうと考えながら、今はやや正常になった精神状態で生活しています。
これを読んでいる人は、ひょっとしたら希死念慮に囚われて、解決策を求めてやってきた方もいるかもしれませんが、参考になったでしょうか?
対話を拒否する親を振り向かせることは容易ではなかった上に、何年もかかったので、同じことを他人に勧めようとは私は思いませんが、原因が親にあるなら、それを解決するには二つに一つです。
対話するか離別するか、です。
分かりあいたいなら対話です。離別は大人になったらいつでもできます。
当事者同士だけだと、話が進めにくいかもしれません。なぜかというと、普通に会話して解決する話なら、そこまでこじれたりしないからです。すでにまともな話し合いができる状態じゃなくなっているなら、第三者の力を借りるといいと思います。
カウンセラーや相談支援員などの第三者のサポートを得ると、話が進めやすくなると思います。ちなみに私は相談支援員がついています。
自分の本当の望みと向き合うこと
親子の対話について述べてきましたが、私は必ずしも親子関係の解決は対話しかないと言いたいのではありません。
家庭によっては、話し合いが通じる親とは限らないからです。
場合によっては別離を実行に移す必要がある場合もあります。
自分を守ることを第一に考え、なんとか最善の、今後平和に暮らしていけるような方法を選択することが重要です。
希死念慮を消すために大切なのは、自分がどうしたいかを徹底的に考えることです。
私の場合は解決方法が「親子の対話」だったというだけで、他の原因があるなら、別のアプローチが必要になります。
自分の体調の問題なら医師の指示を仰ぐこと、お金の問題ならお金の工面方法を考えること、会社が原因なら転職を考えること、学校が原因なら転校を考えるなど、実際にできることを考える必要があります。
まず自分の希死念慮が、何が原因なのかを考えるといいと思います。
例えば解決策として、自分の辛い気持ちを紙に洗いざらい書き出してみると、思いもよらないことが出てくるかもしれません。読み返した時、新たな気付きがあるかもしれません。
落ち着いて趣味を楽しめるようになった
私は希死念慮が消えたことで、心に余裕ができるようになりました。
無になる時間ができたのです。そして空白になった頭の片隅で、今後どうするかという考えが浮かんできました。
このように無のまま生きるのは退屈なので「どうせ生きるなら楽しく生きよう」と、それまでの私からはかけ離れたような、前向きな気持ちが湧き上がってきました。
「生きる気力を取り戻した」感覚でした。
最後に、最近やっている趣味の話をしようと思います。
短歌と俳句です。
親からは「年寄り臭い趣味」とディスられました。多少丸くなったとはいえ、母の性格は変わりません。
閑話休題。
俳句は夏井いつき先生の俳句コーナーのあるプレバトを観たり、NHK俳句を観て勉強しています。自分でも詠みます。
短歌は、NHK短歌を観たり、歌集を買って読んだりしています。これも自分で詠みますが、私は短歌の方が作りやすいので、たくさん作っています。
やはりというか、小説を創作したり、noteで記事をしたためたり、俳句や短歌を詠んだりするあたり、私は文章をつづっていると、気持ちが落ち着くようですね。
はまってるのに、ここでなかなか言わなかったのには理由があって、私は昔から趣味がなかなか持続しなかったので、ここで早々に言ってすぐ飽きてしまわないか、心配になったからでした。
ハマってますと言っておいて続かなかったら、なんなんだって気持ちになりますよね。しばらく続いて、これは一生続けていけそうだと思ったので、この記事に書きました。
俳号や雅号は作っておらず、別のペンネームでやっています。
実はオンラインで発表もしていますが、一から自分の作品を見てほしいとか、前情報なしに単純に作品の評価をして欲しいとか、そういう理由で新しい名前を付けました。
公募にも応募しようと思っています。コンクールは大抵、未発表の作品に限るという要項が多いので、ここには載せられませんが、後でいい情報をここで発表できるように頑張りたいと思います。
noteも書くのはやっぱり楽しいので、たまに更新したいと思います。生活優先になるので、滞ることもあるかもしれませんが、温かい目で見守っていただけたら嬉しいです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。また良かったら次回もお会いしましょう。
いただいたサポートは、今後の活動費になります。