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ABEMAから二度目のオファー!

今年5月にABEMAから出演オファーがありましたが、残念ながら出演は叶いませんでした。


そして、先日ABEMAから再び出演オファーをいただきました。

自民党総裁戦に関するエッセイのような記事を投稿したのですが、メディアの報道姿勢などについて話してもらえないか、といったオファーでした。


ABEMAから再び連絡を受けたときは、正直驚きました。

というのも、私が投稿した記事は『メディアの偏った報道』を鋭く批判した内容で、一般的なブロガーにコメントを求めるとは思わなかったからです。

ただ、残念ながら今回も出演は叶わず、別の方が出演されていました。

地方在住の私はスタジオに出向くのは難しく、オンラインならとお伝えしたのですが、討論番組なので出演できる方の方がいいんだろうな、と勝手に納得しております。

またオファー頂きましたが出演ならず

しかし、実際に番組を視聴してみると、私が書いた記事とは大きく視点が異なり、出演できなくてむしろ良かったと感じました。

こういうことを書くと、もうオファーは無いかなと思いますが・・・。



番組の内容

番組では、まず自民党総裁選の報道に対する国民や評論家からの批判が紹介されました。

メディアが総裁選報道に過度に集中し、他の重要な問題を軽視しているという批判や、記者の質が劣化しているなどが議題となっていました。


コメンテーターの議論

コメンテーターの皆さんは、明確な結論に導くというよりも、総裁選やメディア報道に対して多角的な視点で議論を展開していました。

以下、彼らの主な見解です。

総裁選勝利に対する分析
石破氏の勝利に至る過程や駆け引きについて考察しています。石破氏が多くの支持を集めた一方で、党内の派閥間の対立やメディアの取り上げ方に対する批判が存在することを指摘しています。

メディアの報道姿勢
メディアが総裁選に過度に集中し、他の重要な問題を軽視していることについて批判がなされ、報道の質が低下していると指摘しています。コメンテーターたちはこの批判を通じて、メディアが果たすべき役割について問いかけていますが、具体的な改善策や結論には至っていません。

政治家の駆け引き、派閥の影響力
総裁選の裏で行われた派閥や政治家間の駆け引きについて議論していますが、現象の分析に留まっており、最終的な評価には至っていません。


全体として、コメンテーターは様々な問題を提起し、視聴者に考えさせる形を取っていたように感じました。

つまり今回の番組は討論というよりも、
「発散ばかりで収束しない、コメンテーターたちの私見発表会」
という印象でした。

そもそも、番組はエンタメなのでしょうから、それで全然構わないのですが、このようなスタイルの番組を見ると「時間を無駄にした」と私は感じてしまいます。

討論番組において、結論が出ずにただ個々の意見が発散されるだけであれば、それはブログやSNSで行うべきだと感じます。

視聴者が討論に期待するのは、深い議論を通じて何らかの新しい視点や結論が得られるからではないでしょうか。

また、私が期待した「メディアの偏った報道」についての反省はほとんどありませんでした。


議論のテーマ

「偏った報道」に対する反省はなく、メディア批判というよりも「記者の質」に焦点を当てた議論が主なテーマだったと感じます。

コメンテーターは、総裁選に限らず、最近の記者は表面的な質問に終始してしまい、核心的な問題に対する深い掘り下げが不足している点を問題視していました。

以下に主な内容を挙げておきます。

質問の質の低下
記者会見での質問があまりにも一般的で、政治家を本質的に追求するような質問がされていないことを批判しています。特に、記者が「今の気持ちはどうですか?」といった表面的な質問をするため、重要な政策や具体的な問題に関する議論が深まらないと指摘されていました。

姿勢と意識
動画内で、かつての記者はもっと批判精神を持ち、政治家に鋭い質問を投げかけることが当たり前だったが、現在ではそのような姿勢が失われているという問題が取り上げられています。記者が本来果たすべき権力監視の役割が弱まり、ただのサラリーマンのような存在になってしまっているという懸念が示されていました。

メディア全体の体制への批判
記者の質に加え、記者クラブなどメディア全体の体制にも問題があるとされており、これが記者たちが本来の役割を果たすことを難しくしているという指摘もありました。


たしかに、その通りなのかもしれませんが「聞いたことある話ばかりで議論が浅い」と感じました。

この番組の論点はメディア全体を批判するというよりも、記者一人一人の質や、彼らを取り巻く環境が問題であるという点を強調したかったようです。

この点を踏まえると、「議論が浅い」と私が感じたのは、記者やメディアの構造的な問題に対する指摘はよいが、それに対する「具体的な解決策や改革案が提示されなかった」からかもしれません。

これはサラリーマンあるあるで「結論が出ないと分かっている会議」を無駄と感じる現象に似ているかもしれません。


個人的には「なぜ自民党の総裁選という身内の争いがここまで過剰に報道されるのか」という視点を論じて欲しかった思いがあります。

私が書いたブログ記事は、そのような内容でしたし、それに対する意見を聞いてみたかったのですが、番組の趣旨は違っていたようです。

動画内でもメディアの報道姿勢に対する批判がありましたが、自己批判的な議論が徹底されているわけではなく、むしろ「記者の質」や「質問の浅さ」といった具体的な側面に焦点が当たっていました。


メディアの自己批判の難しさ

メディアが自らの報道の過剰さについて深く自己批判するのは、現実的に難しいことかもしれません。

メディアは視聴率や関心を集めるために、政治的なイベントや選挙に大きく依存している面があり、また報道は「商業的な側面」にも依存しています。

主要な政党や、有名政治家が関わる選挙やイベントは視聴者の関心を引きやすいトピックなので、視聴率を得るために報道量が多くなるのは仕方がないことかもしれません。

メディアが自己批判を避ける背景には、報道機関がスポンサーや視聴率に依存している「商業メディア」という性質が影響していると言えるでしょう。

また、総裁選が「身内の争い」でありながらも過剰に報道される理由には、政権与党のトップが決まることで今後の日本の政治に影響を与えるという点もあるでしょう。

しかし、その一方で、国際情勢や他の重大な国内問題に対する報道とのギャップもあり、このバランスの欠如こそが問題の根幹かもしれません。


まとめ

したがって、動画で取り上げられた「記者の質の低下」という話題も重要ですが、その前提として、なぜメディアがこの総裁選という「身内の争い」にこれほどのリソースを割いたのか、またその報道がバランスを欠いていなかったか、という議題が優先的に議論されるべきではなかったでしょうか。

結論として、コメンテーターの意見は一部鋭い指摘はあるものの、報道自体に対するもっと根本的な問いかけが欠けていたように思います。

ただ、メディアの自己批判を期待するのは現実的には難しいという点で、議論の深さが不足していたように私が感じたのは仕方がないでしょう。

ある意味で「商業メディアの限界」を見たような気がしました。

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Kei | MBA| 元銀行員
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