見出し画像

仮装人物を愉しむ。

こんにちは♬
冷蔵庫に挟んだ指も大分痛みが減ってきたいわたです。
キーボードが打てるまでにはなりました。
爪の付け根が痛いです。


先日、自分の好きなことのコミュニティで、ちょっとした問題になりました。
「◯◯さん(芸能人)は本当はこういうことは好きじゃないと思うし、こういうことはテレビでやらないで欲しい」
というファンの方と、
「〇〇さんは若いときからこういうことやってきたから何とも思ってないと思うし、それをやることで一定の笑いを取れるのは承知だと思うからそれをファンが否定するのはおかしい」
というファンの方の意見の内容のことです。
色々と省略してますが。

問題になっているのは、意見の相違は勿論なんだけど、どちらもあれっ?と思うのはご本人の意見をどちらも代弁してるつもりになっていることなんですよねえ。
こういう問題って結局平行線になってしまう。
だからってどちらかに折れるのもちょっと違う。

この場合ご本人が「いやいや、違うよ」と発言しても解決しないんですよね。
前者のファンの方はそうなったところで「本当は嫌なんでしょ?やらなくていいよ」となるし、後者のファンの方は「ほら、本人が気にしてないって言ってるじゃない」となるんです。
それが本人が心の中でどう思っているかなんて、本人にしかわからないことなんですよね。

何が言いたいかというと、人に見られる職業をしていると、こういうことがついて回るんだなってことです。
先日、同業者の子も同じようなことをこぼしてました。
最近はSNSで身近に色んな方と交流できるので、例えば芸能人の方ともやり取りができたり、その方の考え方や生活も少し垣間見えたりするのがすごくいいなあと私も思っているのですが、その発信しているものでその人の全てが見えるかというとそういう訳ではないんですよね。
その同業者の子もSNSでコメントをくれた方に対して「あ〜〜、ちょっと違う」と思ったことがあったとか。でも説明の仕様がないのでどうしようもなかったと苦笑してました。

人に見られる職業に限らずですが、SNSで色んな人の色んな考え方や、生活が少しずつ見えるとパズルのように組み立てて、その人の「仮想人物」を作ってしまいがちです。

そこの「仮装人物」が、仮想からはずれたことが起こると、人は小さなパニックを起こします。
そこで最初に書いたような事が起こります。

人に見られる職業の人は、実はそういうところを楽しんでいたり、そういう「仮装人物」のイメージからはみ出たことができた時に喜びを感じたりする人が多いんじゃないかなあと思うのです。
そしてそれは真実のその人なのかというと、そうである場合もあるし、そうでない場合もある。それはやっぱり本人にしかわからないことなのです。

でも、それを人前に見せたということは、その人の同意のもとに見せているということだと思うのです。ご本人が発信していることであれば。
マスコミなどが書き立てるのは疑ったほうがいいですが(笑)

余談ですが、現代はライターさんがとっても多い時代なので。
ライターさんの中の「仮装人物」を膨らめて更に「妄想人物」として記事を書く方が多いですね。
ネット記事はそういうものが本当に多いので、同じ人物、同じ事象にしても色んな方の記事を読み比べたりするようにしています。
一方だけの意見だと自分もまた「妄想人物」を作り上げてしまうので。
SNSの中も同じですね。

人は人のイメージを作りたがります。
でも、人のイメージを破ってこそエンターテイナーなのかなと私は考えます。
だから、どっちが正しいわけじゃないんです。
その事象が起こることが、実は喜びであったり、愉しみであったりするのかもしれませんね。
意見の違いも楽しんでいけるような人間になれるといいなと思います♬


さて、これを読んでいるあなたは私のことはどう思っていますか?
よく言われるのは「いつも忙しそうだね」「色んな所に飛び回ってるよね」「いつ寝てるの?」「なんだかいつも楽しそうだね」かな(笑)

ではまた。ばいば〜い!

いいなと思ったら応援しよう!

いわたけいこ。@らっぱと作編曲家
トランペット奏者、作編曲家の岩田恵子と申します。 お仕事の話やトランペットの奏法などについて色々と発信していきます♬