若いこと、若々しいこと、正しい老い方

最近の若者は20代の内から「もうおっさんだからさぁ」という自己評価を下す。
20を超えただけで「ババァにはついていけないよ」とSNS上で年下との関係性から一歩引いたりする。
果たして、良いことなのか悪いことなのか。

昨今の若者は実際問題、覇気があるタイプは少ないだろう。
世界を変えるべく政治活動に傾倒することも無ければ、良い格好をして隣と差をつけたり、何かしら高価な持ち物(車等)を手に入れて社会的なステータスを上げるということも無い。
なんなら現在ではまぁまぁ良い年になったであろうバブル世代や、働き盛りの3、40代と比べると、若くはあっても若々しさは無いだろう。

個人的な評価として、今の20代以下は若いというよりも幼い印象を受ける事が多い気がする。そんなに世でいうほど、悟っている世代とは感じない。
とはいえ何も悪いことではなく、あまり「なりたい自分」みたいなものに囚われるよりも、柔軟に社会や、自分のその時やりたいことに合わせて動けているということなので、強かさはかなりあるのではないだろうか。

そんな幼い若者たちが、なぜ自らをロートルとして扱うのか。
それは強かさ故の自衛と、昔でいうところの「はやく大人になりたい」の亜種なのではないだろうか。
前者は、本当の意味での若さを持っている10代の扱うSNS等の盛り上がりや、アプリの氾濫から身を引くという意味。
後者は、今の若者から見た「大人」が、疲れ果てる事にこそ真髄があると思われているからと考えると合点がいく。
疲れる事、世に不平をいう事こそ、大人の仲間入りと思ってしまう幼さを持った若者と、疲れた姿を見せ、何かに対して文句を言う事でしか大人としての姿を見せてこなかった中年の組み合わせが、今の社会の慢性的な疲労感につながっている気がする。

不平不満があっても、我慢するのが良い事とは思わない。
それをうまく表現出来ない人達だったからこそ、いわゆるブラックという企業体質が蔓延ったのも事実だろう。
疲れた時は疲れて良いし、不満があれば口にして良いだろう。
しかし、子供や若者がそんな大人の背中を見て育てば、それが普通だと思うし、自分の行く末も、疲れ果てた姿こそが正しい老い方だと思うだろう。

詰まるところ、今の若者に覇気がない理由は、今の大人たちが格好いい大人をやってこなかった事に帰結する。
仕事中は歯を食いしばり、疲れきったとしても子供の前では笑顔でいる、ということが出来なかった。
大人になるのは責任に追われるばかりではなく、歳を取るのは楽しい事だと誰も教えてこなかった。
それが出来ない大人たちを見て育って、若者たちに疲れを隠す癖がつくわけがない。
大人たちが自分が頑張ったことを認めて貰うために、疲れというバロメータでしか表現出来なかった時点で、疲れ果てることがステータスとなる世代が出てくることは必然であった。

人は疲れる、老いる、そしてそれを誰かに評価してほしいものだ。
しかし、それはエゴである。
自らがエゴで生きてきた以上、自分の下の世代がエゴを優先して生きても何も文句は言えないなと私は思ってしまう。

#エッセイ #人生 #疲れ #老い #若者 #大人 #良い人生


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