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【試し読み】『ロシア大統領権力の制度分析』

2月新刊『ロシア大統領権力の制度分析』は、国際政治に大きな影響を及ぼし続けるプーチン大統領の権力の背景にある巧みな人事や法制度設計から、ロシア国家の実態に迫る注目作です。
今回は、現代ロシアの執行権力の中枢である「クレムリン」の統治機構を解説する本書「序章 現代ロシアの統治機構」より、「1. 統治機構としてのクレムリン──問題の所在」の冒頭部分をご紹介します。ぜひご一読ください。

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1. 統治機構としてのクレムリン──問題の所在

2022 年
1 月19 日
【連邦議会】ロシア連邦共産党、「ドネツク人民共和国」、「ルガンスク人民共和国」の国家承認を大統領に求める請願案を国家会議(下院)に提出
2 月14 日
【連邦議会】統一ロシア党所属議員2 名、外務省に照会した上で両共和国の国家承認を大統領に求める請願案を国家会議に提出
2 月15 日
【連邦議会】国家会議、請願案(共産党案)を採択
2 月17 日
【大統領─連邦政府】経済問題会議招集、キリエーンコ大統領府第1 次官、ミシュースチン政府議長(首相)のほか、財政・金融政策領域の主要閣僚、ナビウーリナ中央銀行総裁が参加
2 月18 日
【大統領】安保会議対策会合招集
2 月21 日
【大統領】安保会議拡大会合招集
【大統領】両人民共和国の国家承認についての大統領令に署名
【大統領】ロシア連邦の領域外におけるロシア軍の使用について連邦会議(上院)に諮る
2 月24 日
【大統領】「特別軍事作戦」の開始を宣言

1─1.「調停者から指揮官へ」
 2022年2月24日に始まる第2次ロシア・ウクライナ戦争の開戦直前の主要な政治過程について、大統領・議会・連邦政府の関係に注目して整理すると、侵攻が近づくにつれて「クレムリン」が政治過程の中心軸となる様子が浮き彫りになる。

「クレムリン」とは、物理的にはロシア連邦大統領官邸とその周辺の施設群を指すが、ここでは主にロシア政治の中心という意味で用いる。そのクレムリンを構成するアクターとしては、最高指導者であるプーチン(Путин, В.В.)大統領、彼を支える大統領府・安全保障会議を中心とした大統領補助機関、そして日夜クレムリンに勤務するハイレベルの「官邸官僚」が挙げられ、これらが本書の主たる分析対象である。

出典:次の資料を基に筆者作成(Госуслугu, https://gosbar.gosuslugi.ru/ru/categories/4/)

 世界に衝撃を与えたウクライナ軍事侵攻についても、クレムリンの主であるプーチン大統領と彼を支える大統領補助機関が政策決定の中心となった。そのなかでも、侵攻直前の2022年2月21日に開催された安全保障会議(以下、安保会議)拡大会合は、通例の開催形式とは異なり、テレビカメラの前で、「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の国家承認について、参加者が自身の見解を述べるものであった。

 安保会議は、大統領が議長を務める憲法上の国家機関であり、現代ロシアの政治過程における最高意思決定機関である。安保会議は、おおむね週に1回開催される対策会合と4半期に1回(実際には年に2回程度)開催される拡大会合に大別される。原則として対策会合には議決権を有する常任委員、拡大会合には非常任委員も含むすべての安保会議委員が参加する。会合の種別にかかわらず、基本的に冒頭のプーチン大統領による発言のみ公開され、これに続く議論の中身は非公開となる。

 しかし、2月21日の安保会議拡大会合において、少なくともプーチン大統領にとって、国家承認の方向性は既定路線であったとみられる。「対米交渉」の可能性に言及したナルィーシキン(Нарышкин, С. Е.)対外諜報庁長官が発言のやり直しをプーチン大統領に求められ、焦る様子が放映された。厳格なメディア統制下においては、当然「演出」の可能性も考慮に入れなくてはならないが、公開された映像には、拡大会合に参加した者が次々とプーチン大統領の提案に対して支持を表明する様子、ないしはそれを強要される場面が次々と映し出された。

 ウクライナ侵攻直前の2022年2月23日に公開されたカーネギー・モスクワ・センターのペルツェフ(Перцев, А.)による論説「調停者から指揮官へ」は、タイトルそのものが2 月21 日の安保会議拡大会合を鋭く描写している。ペルツェフによると、この拡大会合を受けて、安保会議が審議・合議制の機関から、単にプーチン大統領への支持を表明する場になったと指摘する。従来、安保会議は非公開の場で、若干の意見の対立はあっても、ある程度自由に発言し、最終的には議長であるプーチン大統領が「調停者」として振る舞っていたが、これが大きく変わったとペルツェフは論じる。

 こうしたウクライナ軍事侵攻をめぐる政策決定過程について、アーカイブス史料などを用いて実際に解明する作業は、歴史学の仕事である。一方で、四半世紀にわたるプーチン体制の権力構造の一端について、規範的文書など信頼できる史資料に基づいた政治史・法制史的な分析を通じて、その特徴を抽出する作業は、ロシア地域研究、現代ロシア政治研究をはじめとする学問領域にとって一定の意義があるものと筆者は考える。

 さらに本書は、比較政治学において一般に権威主義体制に分類されるロシア連邦を対象として、とくに最高指導者を支える補助機関を分析対象の中心に据えたものであるから、個人支配型の権威主義体制国家における執政制度に関わる研究とも位置づけられる。一方で、個別的事象を重視し、大統領補助機関の細かな機構・定員上の措置を扱う事実発見型の研究であり、より先端的な理論および分析手法と融合した政治科学(Political Science)的な研究との比較において、全体として古典的な議論が展開されることは冒頭で断っておく。しかし可能な限りそのような近年の研究成果も参照して、適宜議論のなかに組み込んだ。例えば、ウクライナ戦争勃発後は、政治体制論の観点から、個人支配型の権威主義体制と対外政策の関連性を指摘する研究の成果も出ており、本書もこれらに依拠して、同時代に生起した事象の分析に取り組む。

 以下、クレムリンの奥深くに立ち入る前に、本書の道案内として、現代ロシアの統治機構全般について概観したのち、研究上の課題を抽出する。
(続きは本書にて)

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著者略歴

長谷川雄之(はせがわ・たけゆき)
防衛省防衛研究所地域研究部主任研究官。1988年生まれ。上智大学外国語学部ロシア語学科卒業、東北大学大学院文学研究科歴史科学専攻博士後期課程修了。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員PD、広島市立大学広島平和研究所協力研究員などを経て、現職。
専門:現代ロシア政治研究、ロシア地域研究。
主要業績:『現代ロシア政治』(共著)法律文化社、2023年。「プーチン政権下の現代ロシアにおける政治改革と安全保障会議――規範的文書による実証分析」『ロシア・東欧研究』第43号、2014年(ロシア・東欧学会研究奨励賞受賞)ほか。

目次

序章 現代ロシアの統治機構
1. 統治機構としてのクレムリン――問題の所在/2. 地域研究と比較政治学からみた現代ロシアの政治変動――先行研究

第1章 安全保障会議の制度設計――執行権力の優位性
1. 制度設計の過程/2. ロシア連邦憲法体制における大統領機構/3. 「10月事件」と条文の「復活」/小括

第2章 エリツィンからプーチンへ――「垂直権力の構築」と安全保障会議
1. エリツィン政権期の政治過程と安保会議/2. プーチンとクレムリン――政治改革と「垂直権力」の構築/3. 統計分析からみた人事政策/4. 連邦制改革における安保会議/小括

第3章 国家安全保障戦略の体系化――政策の総合調整メカニズムと2010年安保法の整備
1. 国家安全保障政策と安保会議/2. 安保会議附属省庁間委員会と「ロシア連邦国家安全保障戦略」/3. 新たな安全保障法制/4. 2010年安全保障法の特徴/小括

第4章 ロシア大統領府と国家官僚機構――集権化と部門間対立
1. ロシア大統領府とは何か/2. 第2次プーチン政権下の「内部部局増強」と人事政策/小括

第5章 2020年憲法改革――「超大統領制」の制度化
1. 2020年憲法改革とは何か/2. 制度変更にみる大統領権力――大統領・連邦政府・議会の相互関係/3. 2020年安保会議改革――安保会議副議長設置と安全保障法制の変容/小括

第6章 ウクライナ戦争とロシア大統領権力の変容
1. 戦争とロシア内政/2. 戦時下の大統領権力/3. 第2次動員/4. 第3次プーチン政権の発足/5. 露朝関係をめぐる政治エリートの動向/小括

終章 ロシア大統領の「強さ」と「弱さ」
1. 大統領補助機関の制度的発展/2. 2020年憲法改革とロシア・ウクライナ戦争

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