見出し画像

【試し読み】『パブリック・ヒストリーの実践』

従来の「アカデミック・ヒストリー」へのオルタナティブな方法論として登場した「パブリック・ヒストリー」。2025年1月新刊『パブリック・ヒストリーの実践──オルタナティブで多声的な歴史を紡ぐ』は、その理論的な枠組みを解説したうえで、日本国内からアフリカまでさまざまな地域・時代にわたる研究実践を紹介します。

今回は、「あとがき」より、本書の内容・構成を解説した部分を公開します。ぜひご覧いただければ幸いです。

***

 以下、本書各章の概要を概観する。第1章(笠井賢紀)では、実践・物語・主体という要素、パブリック・ヒストリーが持つ諸性質、中でもコアな概念としての「パブリック」の意味としての開放性、そして熟議や想像の契機としての共生社会への必要性が論じられた。

 続く第2章(田島英一)は、パブリック概念について、差異を抱えるものとの超越者を介した対話的紐帯を意味する「共生の公」と客観知で秩序が維持される「共約の公」との対比において、前者の可能性に光を当てた。なお、最後に「遠野の民話」に触れられているが、『遠野物語』の序文で柳田国男は「この書は現在の事実なり」と述べており(柳田 1910=1976)、保苅実が『ラディカル・オーラル・ヒストリー』で述べた、人間の歴史経験に真摯であるような歴史学(保苅 2004)という立場と連なるところがあるようにも思われる。

 以上、本書におけるパブリック・ヒストリーおよびパブリック(公、公共性)とは何であるかを議論した第Ⅰ部(第1章、第2章)を基礎として、第Ⅱ部以降は第Ⅰ部への応答を内包する形で書かれた。なお、部は便宜的に分けたものであり、各章の内容は以下に説明する部ごとの特徴に限定されるものではない。

 まず、第Ⅱ部(第3章、第4章、第5章)は、歴史を紡いでいる当事者たちが、自らの行為をパブリック・ヒストリーであると位置づけているわけでも気が付いているわけでもないが、研究者がその実践を紐解くことによってパブリック・ヒストリーとしての性質が浮かび上がってくるものであった。いずれの章も、分析に至るまでの方法にも注目できる。

 第3章(松本章伸)は、占領期沖縄の親子ラジオにおける番組制作がパブリックと協働しながら「パブリックの中の/に対する歴史」を紡いでいたことを、膨大かつ貴重な番組データやインタビューから明らかにしたものである。著者は、音源を入手し整理・分析するだけでなく、現地のラジオで資料・情報提供を呼び掛けたり、元放送局を探し求めて歩き回ったり、膨大な公文書館所蔵文書を繙(ひもと)いたりすることも通じて、本研究を成り立たせた。

 第4章(熊野谷葉子)は、チャストゥーシカと呼ばれる民謡が、伝達・再生産の過程でパブリックなものとなっていく過程を描くとともに、歌うこと自体が歴史を物語る行為にもなっていることを論じた。伝統的民謡とコロナ禍の現代的事例とをつなげた分析の基礎には、著者自身の30年間にわたる現地でのチャストゥーシカの記録がある。

 第5章(内尾太一)は、公共人類学を専門とし国内外でフィールドワークをしてきた著者による、インターネット上にある人びとの自発的で多様な声の動態を把握しようという新たな試みであった。私たちの声が図らずもパブリック・ヒストリーを形成しうることが示されている。分析には著者自らがこのために開発したプログラムが用いられた。

 第Ⅱ部は自覚なきパブリック・ヒストリーに焦点が当たったが、第Ⅲ部(第6章、第7章)は自覚的に歴史を紡ぐ行為に身を投じていった人たちの話である。ただし、彼女たちには、抱えていた「語りにくさ」を超える必要があった。

 第6章(大橋香奈)は、東日本大震災の被害を経験したゆみこさんが感じた「語ること」への不安や抵抗感について調べ、コミュニティやメディアにおけるサバルタニティだけでなく、支援─被支援関係におけるサバルタニティといった構造があることに、時間をかけた本人との協働の中で本人と共にたどり着いた。

 第7章(湯川真樹江)は、満洲引揚者の土屋洸子に焦点を当て、一見直接の関係がなさそうに見える経験間の関連を明らかにした。同時に、土屋自身による喪失体験や社会変化への着眼と、著者による満洲や研究者家族といった文脈への着眼とが異なることも示された。記憶の場や「大切な記憶」としての記憶の描き方にもまた語りにくさを超えるヒントがある。

 第Ⅲ部は個人の語りに着目したが、第Ⅳ部(第8章、第9章、第10章)では、そうした個人の語りが蓄積している社会的な事象について、より広く全体像を見るものである。いずれの章も、他者が専門知をもって描く歴史があり、それに抵抗する「当事者」たちの描く歴史がある。ただし、当事者もまた一枚岩ではない。さまざまな立場がある中で、各著者は中立を装わず、ある特定の立場で語ることで責任を果たしているため、異なる立場に立つ読者には、違和感が生じたかもしれないが、だからこそパブリックな議論を展開する契機になるだろう。

 第8章(藤谷悠)は、ひきこもりのパブリック・ヒストリーには絶対的に語れないひきこもりの存在があること、すなわち、パブリック・ヒストリーに不存在な当事者がいることを意識し、専門家はつねに謙虚にならねばならないと提起する。パブリック・ヒストリーがたどり着けないかもしれない当事者の存在に目を向けさせられる。

 第9章(阿毛香絵)は、セネガルのイスラーム教団を例に、外部による歴史は統治のための理解の一環として書かれる一方で、社会の内部で意味を持つ歴史は物的肉体と霊性を両極とする人間の理解と、それらが神と合一することを目指す集合的な場の形成であると論じた。何が意味を持つのかの判断もまた、強い文脈依存性を持ち、社会によって異なることが鮮烈に示された。

 第10章(ハディ・ハーニ)は、パレスチナ/イスラエルにまつわる歴史実践から、専門家によるヒストリカル・パストと人びとによるプラクティカル・パストの複雑で微妙な関係性を整理した。すなわち、後者が前者によって自説を権威づけたり、その際にその学術性が検討されなかったりする一方で、それとは別の忍耐強いプラクティカル・パストがそれらの虚偽性を明らかにしてきたのである。中立を装う観察者が虚偽言説を許容する場合があると著者が鳴らす警鐘に、私たちは耳を傾けなければならない。

 最後に、第Ⅳ部(第11章、第12章)は、著者自らがパブリック・ヒストリーを紡ぐ歴史実践に、より直接的に参画しているものである。研究プロジェクトのメンバー23名はいずれも何らかの歴史実践に深くかかわっているが、その実例に触れることができる。

 第11章(竹山和弘)は、市役所職員でもある著者が、内発的まちづくりの担い手としてNPO法人を立ち上げ、住民たちの「住まいの記憶史」を紡いでいく事例である。同法人はこの事業の他にも、地域の人たちが伝承してきた名物料理(目川田楽)を広めたり、農福(農業と福祉)連携施設の運営を支えたり、滋賀県栗東市の内発的まちづくりに総合的にかかわっており、文脈を知る地域密着型の活動の強みが現れている。

 第12章(後藤一樹)は、自らが歩いた四国遍路の約1,200kmの旅を、367時間を超える撮影データに収めた。そのデータの分析と画コンテと呼ぶ表現方式で、曼荼羅のように一人ひとりの歴史が幾重にも重なりあって無限に広がる社会が作りだされている様を描いた。本書の紙幅の問題で掲載できなかったが、後藤が記録した出会いもその重なり合いも、実際にはより膨大なものであり、無限に重なり合う社会と自身の接続に気付かされることが四国遍路の醍醐味の一つだと思わされるのである。

 本書の各章原稿を受け取った後、私は国際会議での報告のためにハンガリーのブダペストにいき、そのまま客員教員として赴任するため台湾の台北へと向かった。ブダペストの自由広場にはドイツ占領犠牲者記念碑が建っており、目の前の噴水では子どもたちが楽しそうに遊んでいる。だが、噴水と記念碑の間には、この記念碑がハンガリーによるホロコーストへの関与を否定するという歴史の改竄(かいざん)であると抗議する各国語の紙が貼りだされていた。抗議文を貼っている主体や、その主張について精査していないので深い分析はできないものの、観光客も多くくる広場で公的なモニュメントの前に貼りだされていても、少なくとも抗議文が当局によって剝がされてしまうことがないことに驚かされた。

 台北では、白色テロ(1949年から1987年の戒厳令下における政治的弾圧)時代の景美軍法処看守所が、現在は国家人権博物館になっている。そこには、轉型正義(transitional justice、移行期正義)に関する展示があった。

図1  ブダペスト自由広場のドイツ 占領犠牲者記念碑と抗議文 (2024年9月5日筆者撮影)
図2  台北の国家人権博物館における 移行期正義展示の一部 (2024年9月25日筆者撮影)

 先のハンガリーにおけるホロコーストも、台湾における白色テロも、過去の大量の人権侵害に現在の社会がどう向き合うかという移行期正義の問題を抱えており、まさにパブリック・ヒストリーが要請される領域であるといえるだろう。展示の最後には来場者への問いかけがあった。たとえば「每個人對於威權統治有不同的經驗,是否要尊重威權統治的多元歧異記憶?(それぞれの人が権威主義体制に対して同じではない経験をしたが、多様で異なる記憶を尊重すべきだろうか?)」という問いがある。私たちはこの問いに、多声性を重んじて「是(そうだ)」と答えるだろう。

 本書で扱ってきたのは、必ずしもホロコーストや白色テロといった国家・国際レベルの社会問題ではないし、場合によっては社会問題とさえされない分野もある。それでも、学問が歴史を占有することなく、人びととともに人びとの歴史を作り上げていく営みとしてのパブリック・ヒストリーの重要さは各章を通じて読者にも再確認されたことと思う。ブダペストの広場のように歴史がパブリックな場で議論され、台北の博物館展示のように一人ひとりに多声性の必要性を問いかけるような、そういう社会にこそ共生の可能性があるのではないだろうか。

 本書は、私たち執筆陣に「自分の研究や実践は、パブリック・ヒストリーとしての性格も持っているのか」と気付かせ、あるいは勇気付けるものでさえあった。だからこそ、本書の読者一人ひとりにとっても「パブリック・ヒストリー実践」やその萌芽が、すでに自分の生活の中にあるのではないかと、まずは探してみてほしい。あるいは、自らや近しい誰かが語りづらさを抱えているとき、自分たちの語られ方にどうも納得がいかないとき、オルタナティブで多声的な歴史を紡ぐ一歩を踏みだしてほしい。
(続きは本書にて)

参考文献

保苅実(2004)『ラディカル・オーラル・ヒストリー──オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』御茶の水書房。
柳田国男(1910=1976)『遠野物語・山の人生』岩波書店。

***

著者略歴

【編著者】
笠井 賢紀(かさい よしのり)※編者 [第1章]
慶應義塾大学法学部准教授。1983年生まれ、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了、博士(政策・メディア)。専門分野:社会学。主要著作:『栗東市の左義長からみる地域社会』(サンライズ出版、2019年)、『共生の思想と作法――共によりよく生き続けるために』(共編著、法律文化社、2020年)、ほか。

田島 英一(たじま えいいち)※編者 [第2章]
慶應義塾大学総合政策学部教授。1962年生まれ、慶應義塾大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学、修士(文学)。専門分野:中国地域研究、宗教と公共性。主要著作:『弄ばれるナショナリズム――日中が見ている幻影』(朝日新聞出版、2007年)、『協働体主義――中間組織が開くオルタナティブ』(共編著、慶應義塾大学出版会、2009年)、ほか。

【執筆者】
松本 章伸(まつもと あきのぶ) [第3章]
早稲田大学教育・総合科学学術院次席研究員(研究員講師)/日本学術振興会特別研究員-CPD/米国メリーランド大学カレッジパーク校客員研究員。1983年生まれ、大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。専門分野:メディア史、番組研究。主要著作:『占領期日本のラジオドキュメンタリー:音声と番組制作工程から読み解く』(大阪大学大学院文学研究科博士学位論文、2021年) 、「米国VICE Mediaの表現形式にみる共生」笠井賢紀・工藤保則編『共生の思想と作法――共によりよく生き続けるために』(法律文化社、2020年、200-215頁)、ほか。

熊野谷 葉子(くまのや ようこ) [第4章]
慶應義塾大学法学部教授。東京大学大学院人文科学系研究科博士課程単位取得退学、博士(文学)。専門分野:ロシア・フォークロア。主要著作:『マトリョーシカのルーツを探して――「日本起源説」の謎を追う』(岩波書店、2023年)、『ロシア歌物語ひろい読み――英雄叙事詩、歴史歌謡、道化歌』(慶應義塾大学教養研究センター選書、2017年)、ほか。

内尾 太一(うちお たいち) [第5章]
静岡文化芸術大学文化政策学部准教授。1984年生まれ、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(国際貢献)。専門分野:文化人類学。主要著作:『復興と尊厳――震災後を生きる南三陸町の軌跡』(東京大学出版会、2018年)、Uchio, Taichi(2024)“Bicoastal Resonances: Toward a Cultural Anthropology on JTMD, Debris Hitchhikers, and the Extended Effects of 3.11 ,” Ritsumeikan Pan-Pacific Civilization Studies, 8, 1-24.ほか。

大橋 香奈(おおはし かな) [第6章]
東京経済大学コミュニケーション学部准教授。1981年生まれ、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了、博士(政策・メディア)。専門分野:移動の社会学、ビジュアル・エスノグラフィー。主要著作:『Digital Media Practices in Households: Kinship through Data』(共著、Amsterdam: Amsterdam University Press、2020年)、ドキュメンタリー映画 “Transition” (Co-directed by Kana Ohashi and Daijiro Mizuno, 2019)、ほか。

湯川 真樹江(ゆかわ まきえ) [第7章]
滋賀大学経済経営研究所客員研究員。1982年生まれ、慶應義塾大学大学院博士後期課程単位取得退学、修士(歴史学)。専門分野:満洲史。主要著作:『戦後日本の満洲記憶』(共編、東方書店、2020年)、「満洲『水稲作』の嚆矢に関する一考察:朝鮮と満洲の日本人技術者の『乾稲』認識の差異に着目して」(『東洋学報』第105巻第4号、2024年)、ほか。

藤谷 悠(ふじたに ひろき) [第8章]
神奈川大学国際日本学部非常勤講師/文教大学情報学部非常勤講師。1984年生まれ、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了、博士(学術)。専門分野:社会学、ひきこもり経験者への生活史調査、当事者研究論。主要著作:「ハーフとひきこもりの部分的つながり:複言語・複文化性の原点回帰と『移動』概念の再定義」(『言語文化教育研究』第17巻、2019年、339-359頁)、「『ひきこもり学』を構想する二人のひきこもり経験者の対話:当事者研究から共事者研究へ」(『日本オーラル・ヒストリー研究』第16号、2020年、187-206頁)、ほか。

阿毛 香絵(あもう かえ) [第9章]
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教。フランス国立社会科学高等研究院(EHESS)、博士(民族学・文化人類学)。専門分野:文化人類学、アフリカ地域研究。主要著作:阿毛香絵・樫尾直樹「現代社会における宗教性に関する アフリカ・アジア比較研究の可能性:認識論的視座の再検討」(『京都精華大学紀要』第57号、2024年)、“Les étudiantes musulmanes sénégalaises. Une ethnographie de la diversité religieuse et identitaire au sein des campus universitaires (セネガル人ムスリム女学生たち―大学キャンパスにおける宗教的多様性とアイデンティティのエスノグラフィー)” Cahier d’Etudes Africaines, Ed., EHESS, LXII (4), 248, 797-827, 2022, Dec.ほか。

ハディ ハーニ(Hani Abdelhadi) [第10章]
明治大学商学部特任講師。1992年生まれ、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了、博士(政策・メディア)。専門分野:パレスチナ地域研究、イスラーム地域研究。主要著作:「パレスチナ問題における「解決」のディスコース分析」(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士学位論文、2021年、1-519頁)、「イスラーム法からみるパレスチナ問題」(『イスラム世界』第93号、2020年、27-60頁)、ほか。

竹山 和弘(たけやま かずひろ) [第11章]
NPO法人くらすむ滋賀理事長。1972年生まれ、京都橘大学大学院文化政策学研究科博士後期課程単位取得退学、博士(文化政策学)。専門分野:文化政策学(まちづくり)。主要著作:『まちを楽しくする仕事――まちづくりに奔走する自治体職員の挑戦』(水曜社、2018年)、「地方自治体におけるまちづくり主体の転換に関する研究――滋賀県栗東市の事例を中心に」(京都橘大学大学院文化政策学研究科博士学位論文、2016年)、ほか。

後藤 一樹(ごとう かずき) [第12章]
千葉商科大学政策情報学部准教授。1983年生まれ、慶應義塾大学大学院社会学研究科後期博士課程修了、博士(社会学)。専門分野:社会学、生活史研究、映像制作。主要著作: 「生きられる亡き人――時間の旅としての四国遍路」浜日出夫編著『サバイバーの社会学――喪のある景色を読み解く』(ミネルヴァ書房、2021年)、「私の人生を歌える?――ライフストーリーのビジュアル化とサウンド化」岡原正幸編著『アート・ライフ・社会学――エンパワーするアートベース・リサーチ』(晃洋書房、2020年)、ほか。

目次

第Ⅰ部 「パブリック・ヒストリー」の論点
第1章 堆積するオルタナティブな歴史と記憶 (笠井賢紀)
第2章 歴史における二つの「公」 (田島英一)

第Ⅱ部 実践に埋め込まれた歴史
第3章 共鳴する親子ラジオ
    ──アメリカ統治下沖縄のラジオ放送が紡いだもう一つの歴史 (松本章伸)
第4章 ロシアの「チャストゥーシカ」と歴史実践 (熊野谷葉子)
第5章 東日本大震災の災害伝承施設とパブリック・ヒストリー
    ── Google Maps レビューデータから紡がれる声 (内尾太一)

第Ⅲ部 語りづらさを超えて
第6章 何のためなら災禍をめぐる経験を語れるのか?
    ──映像制作を通して共に考える (大橋香奈)
第7章 「語らない」から「語りだす」へ
    ──満洲引揚者・土屋洸子の戦後経験に着目して (湯川真樹江)

第Ⅳ部 誰が歴史を紡ぐのか
第8章 ひきこもりのパブリック・ヒストリーの可能性と不可能性 (藤谷悠)
第9章 宗教的経験と「歴史」実践のあいだ
    ──セネガルのスーフィー教団を事例として (阿毛香絵)
第10章  パブリック・ヒストリーからジェノサイドへ
     ──パレスチナ/イスラエルにまつわる歴史実践の相克 (ハディハーニ)

第Ⅴ部 歴史実践を生み出す
第11章 住み継ぐまちづくりに向けた「住まいの記憶史調査」の活用方策 (竹山和弘)
第12章 四国遍路につつまれて
     ──自己の死と歴史実践としての蘇生 (後藤一樹)

あとがき (笠井賢紀)


いいなと思ったら応援しよう!