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お初にお目にかかります、田島です。

 競走部出身地最南端は熊本県の九州学院からやって参りました、とっとこハムタローこと田島公太郎とは私のことです。長距離ブロック不動のアイドル、田口くんからバトンを受け取りました。はい、1限からキャンパスの朝は死ぬほど忙しいです。今回は私の初回ブログということで、田島の生態及び大まかな経歴などを知って頂けたらと思います。何にしてもすぐ寄り道してしまう性がございますので、なるべくスムーズにお話できるよう頑張ります。最後まで読んで頂けると非常に喜びます。

では、先ず軽く自己紹介を。

名前:田島 公太郎(タジマ コウタロウ)
学部:環境情報
出身:熊本県
高校:九州学院高等学校
好きなもの:音楽
嫌いなもの:ボール(スポーツテストで投球13mなんて言えません、しかも高3)
最近へぇ〜と思ったこと:森鴎外の息子は「森マックス」という名前らしい

さて、次に陸上略歴です。
 私は小学校から中学校まで吹奏楽部に所属しトロンボーンを吹いていました。音楽一家だったということもありますが、生まれてこのかた外遊び(というより体を動かすこと笑)が何よりも嫌いだったというのが主な理由です。ところが中学の頃に色々とありまして、借り出し選手として全国中学校駅伝に2年連続で出場することになります。この経験をきっかけに「長い距離を走るのはそんな嫌いじゃないのかも?」と、若干の甘い考えと共に熊本の名だたる強豪校である九州学院へと進学しました。まぁそれまでの運動経験を鑑みれば分かり切っていたことですが、入学後はひたすら怪我の連続でした。それはもう治っては壊し治っては壊しのオンパレードで、正直なところ病みかけたこともありました。しかし、雨垂れ石を穿つとはよく言ったものでして、全く走る事ができず素人ながら補強に明け暮れた1年半を過ごした私は、気付けばムキムキボディを手にしてそれを活かした粘りの走りができる選手になっていきました。勿論、そこに辿り着くまでには周りにいた本当に沢山の人の支えがあった訳で、その方々への感謝は決して忘れることはできません。今でもその想いは僕の原動力となっています。

 続けます。その後、着々とトレーニングを詰めるようになった私は2年時の全国高校駅伝“都大路”に5区走者として出走し、区間・総合共に4位という結果を残すことができました。この頃から少しずつ、地元の国立大から関東の箱根を目指す大学へと進路志望が変わってきます。そしてボール投げ13mを叩き出した高校3年時に、保科ヘッドコーチから慶應の競走部についてお話を聞く機会があり、一瞬で計り知れない興味を持ちました。スポーツ特待を設けず、箱根に出ておらず、高校時に全国で優勝した選手が居ないというチーム状況に関して、私が抱いた感想は一つ、「めっちゃ面白そうじゃん」。もう、ここに行きたいとしか考えられない脳になっていたのです。AO形式で環境情報学部を受験したので、志望理由書やPR動画の添削祭を約半年間堪能し何とか合格を頂きました。

 こうして受験期を終え、残す最後の大舞台である3年時の“都大路”を迎えます。この年、私が任されたのは最速留学生が溢れる3区、中継所に立った時にまさかのトップで襷を運んでくる九学ユニホームを見て愕然としました。同時に覚悟も決めたつもりだったのですが、いろんな選手に追いつかれ追い越され、結果は区間15位・総合6位とあまりに苦すぎる結果に終わります。高校にて有終の美を飾ることのできなかった私はこの時「もう僕には箱根しかない。」と心の底から感じました。

 大事なことなのでもう一度言います。「もう僕には箱根しかない」です。この気持ちを4年間揺るぎないものとし、慶應競走部を真の“陸の王者”にすることが私の最大の夢です。着実に力を伸ばし続けているこのチームでエースになり、皆さんの応援に応える走りをお届けすることをここに誓います。


 予想通り長くなりました。最後までお付き合い頂き、本当に有難うございました。次は新潟からの刺客、橘くんです。部内のタイム測定でぶっちぎりの独走を見せるなど頭角を現し始めており、今私が最も危険視している男です(いい意味で)。乞うご期待!!!

最近、時計と財布を無くしたそうです。早く見つかるといいね…(´;ω;` ) 

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慶應義塾大学 競走部長距離ブロック 〜選手たちの軌跡〜
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