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お久しぶりです。新2年になります東叶夢です。
僕はブログを書くとき、レポートを書くとき、いつも書き出しの部分に時間を取られてしまいます。
今回もそうでした。でもそこがうまくハマるとスラスラ書けるのでやはりスタートは大事ですね。

今回は年度が切り替わる絶好のタイミングでブログの出番が回ってきたので、2年目のいいスタートを切れるよう、今年度の反省と来年度の決意表明をさせてもらいます。

今年度の反省

ちょうど1年前の今頃、僕は鹿児島から上京してきました。
自己紹介は以前しているので気になる方はぜひ見てください。
同期の中では5000m,10000mのタイムトップ、加えて都大路などの大きな大会の経験もあったので、タイムや実績に開きはあるものの、ポスト田島としての活躍を期待されていたと思います。
そんな僕の今年の主な結果をまとめてみました。

棄権が多い、、、

自分の思い描いた結果を残すことができず、期待にも全く応えることができない歯痒い1年でした。ではなぜそうなってしまったのか、今年度の取り組みを振り返ってみたいと思います。

-4月

高校の部活の引退が2月末だったこともあり、練習を継続した状態で入部できたのでこの時期は良い状態が続いていました。特に気持ちの部分が充実しており、このチームで1番になるぞという熱い気持ちのもと、先輩たちに毎回勝負を仕掛けていました。練習の強度も今までよりグッと上がり、1回1回の練習でHPが0になっていたので回復が追いつかず、試合での結果は振るいませんでしたが、確実に速くなっている実感がありました。

六大学対抗戦

5月-7月

4月の勢いそのままに好調を維持していましたが、5月の半ばに左の腸脛靭帯を痛めてしまいました。今まで大きな怪我をしたことがなかったので、すぐに走り出せるようになると思っていましたが、思ったよりも手強くこの期間はほとんど走ることができませんでした。みんなが走っている中ひたすらバイクを漕いだり補強をしたりのつまらない日々、加えてコロナになって隔離されたり、成田空港と羽田空港を間違って帰省できず、かなりのホームシックになったりと災難が続きました。
4月のような燃える心は鎮火され、消化試合のような毎日を送っていたので、競技力もかなり落ちてしまいました。この時期にもっとできることがあったのではないかと今でも後悔しています。

8月-9月

幸いなことに怪我は7月中に完治したので、8月からの合宿にはなんとか参加できることになりました。長距離選手の中ではこの夏合宿シーズンが1年の中で最も大事な時期でもあるので間に合って良かったです。
慶應は今年、蔵王(山形)→紋別(北海道)→菅平(長野)というスケジュールで合宿を行いました。蔵王は全員行けるのですが、それ以降は選抜メンバーのみの参加となり大体チームの半分くらいに絞られます。復帰したばかりの僕はチームでもかなり下の方だったのですが、選抜合宿に残りたいという気持ちからまた心に熱い火がつきました。残るためには蔵王でのアピールが必須です。長期離脱していたのでメニューをこなすだけでも精一杯でしたが、遅れをとっている分プラスアルファの努力として、アップやダウンなどの距離を大幅に伸ばすなど工夫しました。その結果なんとか滑り込みで選抜合宿に残ることができました。
残り2つの合宿も集中力を維持したまま臨めたのでいい内容で終えることができ、8月の走行距離は915km、9月も試合がある中で600kmを越えるなど予選会に向けてかなり自信もつき、成長を感じた夏でした。

紋別!!

10月-12月

合宿の勢い・集中力を切らさず、体を研ぎ澄ませた万全の状態で10月15日の予選会に臨んだだけに予選会の結果は応えるものがありました。それ以降は練習はAチームでこなし続けるものの、試合では全く結果が出ない日が続きます。走力はついてるはずなのになんでだろうと毎試合毎に反省するも自分では原因が分かりませんでした。11月27日の日体大記録会もいつものようにダメなタイムに終わり、保科監督のもとに話をしにいくと「走りに気持ちを感じない」と中高時代を思い出すほど怒られました。大学生になってこんなに怒られる事があるのかとびっくりしつつ、保科監督の熱い気持ちを受け気合が入り、年末の記録会では10000で自己ベストを大幅に更新する事ができました。

1月-現在

年明けに出場したハーフマラソンで左の股関節を痛めてしまい、2ヶ月ほど練習から離脱していましたが現在は復帰し、元気に走っています。今回は故障期間でやれることをやろうと考え、フォーム改善に取りかかったので自分の弱点を改善する事ができました。

振り返り

”自分の思い描いた結果を残すことができず、期待にも全く応えることができない歯痒い1年でした。ではなぜそうなってしまったのか”
最初に書いた部分の振り返りです。これは、気持ちが弱かったの一言に尽きると思います。レース中でも日常生活でも楽な方に流されてしまっていました。ではなぜ気持ちが弱かったのか、それはコソコソと競技をしていたからです。
高校時代は県の中で活躍できていたので、自分の試合を見て欲しい!結果を共有したい!と言う思いでSNS等によく情報発信していました。今思えばその行為が良い意味で自分にプレッシャーを与え、頑張らせてくれていたのかも知れません。しかし大学に入って全国区での自分の立ち位置を知り、箱根駅伝出場への難しさを知り、段々自分に自信が無くなりました。その結果
目標が達成できなかったら恥ずかしいから・悪い結果は周りに見せたくないから・でも良い結果ばかり報告するのはズルイから
こんなことばかり考え出し、目標や結果を濁して言うようになってしまいました。そう、コソコソ隠れるように競技をしていたのです。存在を消すことで自分の結果はあまり人の目に入らなくなります。そのせいで責任感をあまり感じなくなってしまい、きつい時に踏ん張る事ができなかったり、きつい時に逃げ出してもいいのではないかと思ってしまったのではないでしょうか。
そんな自分を変えるべく今回僕は行動を起こしてみました。

来年度の目標

来年度は1年間通して結果を残す年にします。具体的には
・3000mscで関東インカレ出場
・箱根駅伝予選会 64分30切り 
・箱根本戦出場
・5000m14分10秒切り
・10000m29分20秒切り
この5つの達成です。
今回ブログにて宣言したので春のようにポカポカ温かくではなく、冬の寒さのように厳しく見守っていてください。来年の今頃には夏のように暑い結果をお届けできるよう、飽き(秋)るほど1年間陸上に没頭します。

こんだけ書いてしまったらもう逃げることはできませんね(笑)
ここまで読んでいただきありがとうございました!!

次は安田です!
早く一緒に走れるように頑張るね🏃




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