「贅沢」だった4年間
こんばんは。駅伝主将4年の前原です。
この挨拶も初めは不慣れな感じもありましたが、今ではすっかり慣れました。時間が経つのは早いもので、もう1年ですか。あっという間だなぁ。
さてさて、予選会前最後の更新となりました。
同期のみんなのブログを読んで、良いこと書くなぁと思うと共に、えげつない文量と内容の濃さで最後の僕のハードルが上がってないか心配でなりません。
うまくまとめられる自信はありませんが、どうか最後までお読みいただけると幸いです。
①「君の力が必要だ」
遡ること約4年前、2018年の12月末のことです。僕のところに1通のLINEが来ました。
送り主は中高の高校の先輩で当時長距離ブロック長を務めていた田島爽也さん。
今では可愛がってもらってお世話になっている先輩ですが、その頃は直接的な関わりはなく、存在も軽く伺っていた程度でした。
そんな間柄であったため、わざわざどこからか僕が慶應に進学することを聞き、連絡先を入手してLINEしてくださったことに大変驚いたのを覚えています。
当時の僕は高校陸上部を引退したばかり。
中学高校と6年間続けていましたが、「燃え尽きる」というよりは「燃えることすらできず」と言ったところでしょうか。
目標としていた全国大会出場はおろか、やっと出れた県大会ですら予選落ちといった程度で、「自分は才能が無いのだから、現実を受け入れなきゃならない」と思っていました。
そのため大学で競技を続けるつもりなど考えてもいませんでした。
そんな僕を勧誘してくださった爽也さん。突然の先輩からのLINEにビビって既読無視しようかとすら考えましたが(笑)、流石にそれは失礼だと思い返信せていただき、見学に行くことが決まりました。
今でも忘れぬ2019年3月6日水曜日。
日吉に着くとたくさんの人たちで溢れかえる競技場の中心で、大きな檄を飛ばされながらトラックをひた走る集団がありました。
これが私と慶應義塾体育会競走部長距離ブロックとの出会いです。
あの日の練習はペーランだったでしょうか。選手たち(先輩方)は決して颯爽とはいえず、がむしゃらに泥臭く走っていたことを鮮明に覚えています。
その姿を横目に、私は保科さんにご挨拶させていただきました。
保科さんは初対面で大した実力も無い私に対して親切に丁寧に、長距離ブロックの活動についてお話ししてくださりました。
「今うちの大学は箱根駅伝プロジェクトを進めている。」
「君たちが上級生になった時に、箱根駅伝出場を目指している」
「入部時の実力は関係ない。やる気があればここからいくらでも伸びる。大丈夫」
「君の力が必要だ。」
真っ直ぐな目とその言葉に胸を打たれ、「大学でも競技を続けたい」と心動かされました。いま思えば口車に乗せられただけなのかもしれません。(笑)
しかし私にとってその言葉は、とても力強く輝いて、私の心に突き刺さったのです。
中高と実力がなかった自分でも必要としてくれる人がいる。こんな私でも、もう一度本気で箱根を挑戦できる環境がある。
消えかかってた火が再び大きな炎になったかのように、僕の心の奥底で蓋をして諦めかけていた「夢の舞台、箱根駅伝」への思いが再び大きくなりました。
そして家に帰り、目を輝かせて両親に「競走部で陸上を続けたい」と伝えたことを覚えています。
私の家は決して裕福ではありません。そのため金銭面は入部の懸念材料でした。
とある親戚からは「私立大学にまでもいって部活を続けるなんて、どこまで親に負担をさせる気だ。」「大学でスポーツを続けるのは余裕がある人がやることだ。贅沢だ。」とも言われました。辛かったですがその通りです。
ですが私はあの時保科さんからいただいた言葉が忘れられず、競技を続けたいという気持ちがどうしても諦められませんでした。
そんな時に両親は多くを語らず、「何も心配はいらない。やりたいことを最後までやり遂げなさい。」と背中を押してくれました。当時のことを考えれば間違いなく家計は苦しかったはずです。しかし厳しい表情など一度も見せず、常に私の選択を尊重し、後押ししてくれました。今でも本当に感謝しています。
こうして私の競走部生活が始まりました。
②競走部での4年間とは
競走部での4年間は同期たちのブログにあったように、ただひたすらにがむしゃらに走って来ました。
箱根駅伝プロジェクトの強化2期生として、1、2年時はプロジェクトの黎明期を過ごしました。箱根駅伝プロジェクトとは名ばかりであった当時から、徐々にチームは進化し始めました。朝練の各自jogの走行距離が10キロから12キロや15キロに増え、ペース走はAチームの設定が3’30-3’20”から3’10”へと上がり、私生活でもここでは言えませんが(笑)さまざまな変化がありました。森田のブログにもありましたが、当たり前がアップデートされて行く日々でした。
このような激動の1、2年を経て、やがて私たちは「箱根駅伝を本気で目指しているチーム」へと成長しました。今となってはとても感慨深いことです。この貴重な時期に携われたこと、そして今も進化し続けているこのチームで競技ができていることを誇りに思います。
自分語りはこれくらいにして、ここからは私が競走部での4年間を過ごして思ったこと、伝えたいことを書こうと思います。
といっても全ては書ききれないので一つに絞ります。他はまた別の機会で。
私が競走部での4年間を通して最も伝えたいことは、今私たちが競技に取り組めているこの環境、状況は「贅沢」だったということです。
これは先ほどもちらっと書いた、親戚が私に放った一言です。親戚は「贅沢であるから我慢しなさい」という意図でこの言葉を使ったと思います。ですが私はそういう意図で皆さんに伝えるつもりはありません。「贅沢な環境、現実に感謝をしなさい」というお説教じみたメッセージでもありません。
私は「この贅沢を余すことなく、そして悔いなく堪能してほしい」という意図でこの言葉を送ります。
・駅からもキャンパスからも合宿所からも近い大学専用の陸上競技場
・お世辞にも綺麗とはいえないけれど、破格の寮費で住むことができる合宿所
・部室、ケア部屋には充実しすぎるほどのトレーニング器や治療器
・誰のことも見捨てずに、真正面から向き合ってくれる保科さんと小野さん
・僕たちのことを誰よりも信じ、時に厳しく時に勇気づけてくれたマネージャー、トレーナー
・選手が怪我なく全力で走れるように、手厚くサポートしてくださる新井さん、藤村さん、カツヤさんをはじめとしたトレーナーの方々
・箱根出場という結果を出していないにもかかわらず、箱根路を走るその日まで信じて後押してくださる、ファンケル、タビオ、カゴ食、HOKA、露木さん、稲見先生、スポ健など沢山の方々。
・OBOGや保護者のみならず、日頃からチームを応援してくださる皆様
書いても書いてもまだまだ書ききれません。
これだけたくさんの恵まれた環境や人々に支えられて競技ができています。
特にこの一年間、ブロック長という立場を通して、たくさんの方々から支えられて、愛をいただいて競技ができていることを実感しました。
私たちは他大学の箱根常連校や強化校とは異なり、スポーツ推薦もなければ入部制限がありません。そのため他大学ではできている当たり前なモノやコトでも、うちの大学では多くの障壁や制約があります。
ましてや我々は成長しているチームとはいえ、1994年以来箱根駅伝に出場できていないチームです。世間からは近年の成長などは関係なく、「慶應って箱根出ていないよね」の一言で一蹴されて終わりです。
しかしそのような状況でも沢山の方々の支えがあるおかげで、不自由なく、何なら恵まれたなかで競技ができています。後輩たちにはこの状況に感謝するだけでなく、余す所なく思う存分に堪能して欲しいと切に願います。生かすも殺すも自分次第です。
私も4年間、たくさん贅沢させてもらいました。たくさんの人と出会い、支えられながら今日まで競技を続けることができました。この期間は人生の中でも1番に色濃く、深いものでした。
それはまるで僕の顔のように濃くて彫りが深くて、、、、(最後にクソおもんないこと言うやん。)
大学生活という限られた4年間を、全力で競技に取り組むことができたことに感謝の気持ちと喜びで溢れています。競走部に入って本当によかった。
来年からはイチOBとして老害と言われることないよう、後輩たちにお返しできるよう頑張ります。
でもちょっと待った。
私は欲張りなので、まだまだこの贅沢を味合わせて下さい。
あと3ヶ月だけでいいので、このチームでみんなと陸上をさせてください。
③明日は予選会
さあいよいよ明日が決戦の日となりました。先日のミーティングで少し話しちゃったけど、改めまて長距離のみんなにメッセージを送りたいと思います。
以下は該当するところを読んでね。
・当日走る12人のメンバーへ。
まずは1年間、主力としてチームを支えてくれてありがとう。頼りないブロック長だったと思います。それでもみんなは決して文句を言わず、さまざまな場面でチームを支えてくれました。本当にありがとう。
記録会の結果こそ奮わなかったものの、練習の質や内容は過去最高で、みんなは強く逞しく成長しました。
でもまだどこかで不安や緊張、自信のなさがあるのではないかな。
これまでやってきたことは「確実に!」力になってるし、今のチームは「確実に!」強いから大丈夫。4年間チームを見てきた僕が保証します。
当日は自信だけを持って出走してください。
そして特にクロちゃん!昨年までの2度の予選会はどちらも苦い経験だったからこそ、上級生として挑む今回はさぞ気合が入ってることでしょう。
君はチャランポランに見えて意外とメンタル弱いので、このブログが更新される予選会前日の夜は、緊張でガチガチになってるかもしれませんね。でも大丈夫、今年のクロちゃんは違う。合宿前からの君の復調をみて、その思いが確信に変わりました。貝川がプレッシャーは上級生に押し付けて下さいと言っていたけど、クロちゃんのプレッシャーは俺と貝川と森田に押し付けちゃって下さい。
そして当日は伸び伸び走っちゃってください。
君なら大丈夫!
あ、、、でも、今日の夜飯はしっかり食べろよ。
そして消化不良はやめてくれよな!
・当日エントリーから外れてしまった2人へ
実はまだこのブログを書いている時は誰が外れてしまうのかわからない状況です。例年のこのタイミングなら確実に決まっているだけに、今年外れてしまう2人は誰よりも悔しい思いをすることでしょう。ですが、誰よりも出走者12名の気持ちを理解できるのもこの2人です。
当日は12人が何としても箱根出場の切符を掴み取りに行きます。予選会を突破すればまた選ばれるチャンスがあるので、まずはそこを信じて待っていて下さい。
最後の最後まで保科さんの頭を悩ませたことに自信に変え、ここから大きく成長することを願っています。
・エントリーに入れなかった選手たちへ
君たちの競技に取り組む姿勢が、エントリーメンバーに大きな力を与えてくれました。夏は選抜合宿に行けず悔しい思いをした人も沢山いたでしょう。それでも腐らず、暑さの厳しい日吉でも練習をやり抜きました。ちゃんとみてたよ。
昨日行われた3000TTではみんなの熱い走りがチームに大きな刺激を与えてくれました。今度は僕たちが魅せる番です。楽しみにしていて下さい。
そして同期の大上、大澤、櫛野。君らは表面ではヘラヘラしているように見えるけど、本当は悔しい思いを沢山してきたことを知っている。君らにだけは時に厳しいことを言ったりもしたけど、全ては一緒に予選会を走って箱根に行きたいという思いからでした。一緒に走ることは叶わなかったけれど、まだ一緒に部活を続けたい。
当日はみんなの想いを背負って走ってくるよ。
・サポートのみんな
これまでずっと共に戦って来てくれてありがとう。一選手としても、ブロック長としても、たくさんお世話になりました。みんなありがとう。特に同期の鯉渕には頭が上がりません。
大学2年の冬、色々あって部活を本気で辞めようと考えた時がありました。そんな時に支えてくれて背中を押して励ましてくれたのは鯉渕でした。ここまで続けてこられたのも、あの時のおかげと言っても過言ではありません。
僕たちが箱根路を走る日をずっと信じてサポートしてくれたことに感謝すると共に、最大限の恩返しをしたいと思ってます。
当日もよろしく!
・保科さんと小野さん
このブログ、恐らく読んでないと思いますが、面と向かって言うには恥ずかしいのでここに書いておきます。
僕のことを必要としてくれてありがとうございました。
夢に挑戦することの楽しさを教えてくださりありがとうございました。
そして、競技者としても1人の人間としても成長させてくださりありがとうございました。
お二人のおかげでさまざまな舞台、景色を経験させていただきました。
今度はお二人に再び箱根路の景色を見せられるよう、4年間の全てをぶつけて走ってきます。そして必ず笑顔でゴールします。
こんなところでしょうか。
他にもたくさんの方々の支えがあって、そして想いがあって、明日のスタートラインに立つことができます。12人は全ての方々の応援を力に変えて、全力で走り抜けます。
予選会は何が起こるかわからない。
僕たちは決して最後の最後まで諦めません。
どうか皆様も最後の最後まで慶應義塾の応援をよろしくお願いいたします。
まだまだ書きたいことは沢山あるのですが、それは予選会後に書けることを願って今回は締めさせていただきます。
あ、最後に一言だけチームのみんなに!
『人はね、限界だと思ってからもうちょっといける』
最後までお読みいただきありがとうございました!
105代長距離ブロック長兼駅伝主将
前原裕磨